アングロとかゲルマンとかの健康志向、自然志向はツッコミどころが満載である。
先日、ドイツでは有機栽培法によって育てられたスプラウト(モヤシ類)を生食した人々が、腸管出血性大腸菌O104の集団食中毒を起こし、死者も出た。

日本でもその昔、カイワレダイコンによるO157食中毒が大きな社会問題となったが、スプラウト類は温度、湿度の高い室内で栽培されるので、そこに牛糞などを原料とする堆肥を用いた有機栽培農法を組み合わせると、大腸菌汚染のリスクが飛躍的に高くなる。スプラウト栽培業者にとっては衛生管理が一番の肝となるわけで、そこに漏れがあると、今回のような大規模な食中毒に発展するという。

ただ、特にヨーロッパでは日本に輪をかけて有機(オーガニックまたはビオ)表示のある食物の人気が高い。飽食の先進国らしい現象でもあるのだろうが、ミドルクラス以上、教育や収入レベルの高い者ほど有機を好み、割高な商品を喜んで購入するのである。
日本でも食の安全という視点からオーガニック熱は高いものの、「何を食べているか」が即、社会的階層を示すのは、実に階層差の激しいヨーロッパらしい現象だろう。そして、その食生活は往々にして衣食住のオリエンタル志向や第3世界志向と抱き合わせである。

つまり、ヨーロッパ人にとって「非ヨーロッパ地域」の文化をどれだけ知り、身につけ、普段の趣味に上手に取り入れているかは、イコールその人がどれだけ教養と収入があり、世界各地を旅行してきた「豊かな」人間であるかを表すと考えられているのである。

ダイエットとも関連して日本食は相変わらず人気が高いし、中華も都市部では当たり前のように浸透している。星付きレストランからマクドナルドやピザ屋に至るまで、外食産業は一様にベジタリアンメニューを揃えており、それは特にインド系移民の歴史が長いイギリスにおいては必須とも言っていい。宗教上の理由からベジタリアンであるインド系は相当数おり、またその影響と健康上の配慮からベジタリアンを標榜するようになったイギリス人も相当数いるからである。
yasai

この「非ヨーロッパ文化」へのファッション的な興味は明らかに大航海時代のオリエンタリズムへの憧憬と同根だ。およそ肉食文化のもとで骨も肉付きもがっちり育ってきたヨーロッパ人が、ある日突然ベジタリアン宣言をしたり、「ZEN」に目覚めてグリーンティーを飲み始めたり、中には突如イスラムに改宗して黒い布で全身を覆って街を歩き始めるヨーロッパ人女性がいたりするのは、自分たちが育ってきたヨーロッパ文化とは違う「ここではないどこか」への憧れが根底に流れている。

しかし、それは決して自分たちが非ヨーロッパ人に本気でなりたいと思っているとか、非ヨーロッパ文化を対等に扱い学ぶとかいうことを意味しているのではない。非ヨーロッパ的なものをファッショナブルとする考え方は、ヨーロッパ軸のヨーロッパ人が上から目線で自分たちの選択肢を増やしただけに過ぎないからだ。

アイスクリームスタンドに並ぶ人を押しのけて「牛乳を一切使ってないレモンシャーベットとか、ある? 私、ベジタリアンなの」とベジタリアンという単語をさも特権的であるかのように発音したイギリス人女性がいたが、動物性タンパク質を摂らないことはそれほどにカタルシスを呼ぶものなのだろうか。

「中国人は肉を食べるけど日本人は肉を食べないから、体型が違うわね」と勘違いをしていたドイツ人女性がいたが、そんなファッション・ベジタリアンたちは、本当に宗教上の理由でベジタリアンとして生まれベジタリアンとして育つ子どもがどれだけ骨格が小さく、細いかということを知っているだろうか。

ジャイナ教や多くのヒンドゥー教徒のインドの子どもたちは、生まれた時から肉を一切口にしない。殺生をしないという原則なので、命の源である卵も口にしない。牛乳と母乳は殺生には繋がらず、命の副産物であるという観点から、乳製品は摂取が認められている。

すると、子どもたちはおやつの時間にアイスクリームを食べられないが、ヨーグルトは食べられる。ケーキは食べられないが、チョコレートは許可される。普段の食生活は野菜を具とした様々なカレーで、そこにヨーグルトを添えて食べる。しかし幼児期の成長に必要なカロリーが圧倒的に不足してしまうので、彼らの骨格はとても細く、背も大きくない。

インターナショナルスクールに、ジャイナ教徒の子どもたちがいた。ヨーロッパ系の母親たちがクッキーやケーキを焼いて、自分の子どもの誕生日にクラスに差し入れする。すると、そのインド人の子どもたちはそれを食べずに引き出しにしまう。食べたくても、親に食べてもいいか聞いてからでないと口に出来ないからだ。

迎えの時に母親に許可を求めると、母親はケーキを一瞥して、多分最大限の宗教的寛容なのだろう、家の玄関より中には持ち込むなと言う。子どもは下校しながら道々ケーキを食べ、玄関に着くまでに最後の一口を飲み込む。母親たちが子どもに与えるおやつは、果物やきゅうりや人参のスティックだ。

だから子どもたちはチョコレートとポテトチップスが大のご馳走で、食べることが許されると延々むしゃぶりつくのである。でも、それが彼らの文化であり、そうやって生まれ、育っていくのだ。

一方、インターナショナルスクールの「子どもと食を考える」とかいう勉強会で、フランス系カナダ人の若い母親が手を挙げて質問をした。「8歳の娘が『かわいい動物が殺されるのはかわいそう』と、2週間前から突然ベジタリアンになって一切肉を口にしなくなっちゃったんですけど、何を食べさせればいいですか」。

「わが子の選択を尊重してあげたい」のだという。その前に親と娘でいのちと食の話をちゃんとして、食物連鎖について教えて、それ以外に本当に選択肢がないか親として一緒に考えるべきだと思うのだが、教師は「それは彼女にとってとても良い経験だ」と請け合い、植物性タンパク質の多い豆製品を薦めた。そのやりとりはジャイナ教徒のインド人母たちの目の前で行われたが、当の筋金入りのベジタリアンである彼女たちは苦笑するのみで、発言はしなかった。

「かわいそうだから」という娘の動機を適切に導けない母親のナイーブさに鼻白みつつ、「あなたたち選択肢があってよかったね」というのが私の皮肉な感想だった。ベジタリアンに生まれた子どもは、ベジタリアン以外に選択肢を持たない。あるいは貧しい国の子どもは、オーガニック野菜とそうでない野菜の間に価値の違いを見ない。オーガニックとかベジタリアンを選ぶ私たちのライフスタイルってステキ、というメンタリティは、彼らの目には先進国の傲慢として映るだろう。


河崎環河崎環
コラムニスト。子育て系人気サイト運営・執筆後、教育・家族問題、父親の育児参加、世界の子育て文化から商品デザイン・書籍評論まで多彩な執筆を続けており、エッセイや子育て相談にも定評がある。現在は夫、15歳娘、6歳息子と共に欧州2カ国目、英国ロンドン在住。