【2011.8.10 8:44 初出/17:00 追記&画像追加】
londonimageロンドン北部郊外トットナムで、29歳の黒人男性が警官によって射殺された事件への抗議を発端としたとされる暴動が起きたのが8月6日土曜日の夜。以来、それに便乗した「主張なき」若者たちによる暴動は郊外へ、またロンドン外の都市へと飛び火し、いよいよ4日目の火曜日を迎える。

第3夜にあたる昨夜は、ロンドン西部の我が家から目と鼻の先にある大通りへ200人若者が押し寄せ、大通り沿いの店のショーウィンドウを軒並み割って回り、路上に駐車された2台の車に放火し、私がよく世話になる気の良いインド人が経営するコンビニを真っ黒に燃やした。街の人気店である、ロンドン一のピザを焼くと評判のピザ屋のガラスも粉々になった。
戦後は「郊外の女王」と呼ばれた、緑多き平凡な中流階級の街である。その少し外れた西部にロンドン最大のインド人コミュニティができ、次いでポーランド人コミュニティができたところに日本人も多数移り住み、並行して東部にはソマリア人コミュニティが生まれ、ロンドンでも多人種による統合(というか無難な住み分け)が最も成功している地域の一つと認識されてきた。

しかし、ロンドン暴動でいわゆる貧困地域がクローズアップされる中、この凡庸な街にまで被害が飛び火したということは、事態は元々の人種問題や階級問題、失業問題から軸を外れ、退屈をもてあそぶ若者による遊び半分の便乗暴動へと変質してしまったことを物語っている。

およそ10代から20代と察せられる若者がパーカーのフードを被り、さらにその上に野球帽を被って、まだ夜も明るいうちから(現在ロンドンの日没は9時過ぎである)地元の繁華街の店をからかうようにして集団で襲う。その出で立ちからHoodies(フディーズ)などと呼ばれたりもするが、要は本当の地元意識にも、家族の絆にも、責任感にも欠けた、ただのならず者に過ぎない。

もともとの火種となった黒人貧困層のギャングスタには、まだ人種意識や被差別への怒りなどがあったかもしれないが、しかしそれはこの暴動と無意味な略奪を正当化する役割は果たさない。飛び火してからはもはや暴れる若者たちの人種などバラバラだ。暴動が起こった当初はこれを人種問題と見る向きも多かったが、今となっては「溢れるエネルギーの使い方を誤った、無知で無謀な若者」の仕業と見なされている。
londonboudou

昨夜の警察の公式メッセージは、平たく言えば「お母さん、お父さん、お子さんが今夜どこへ出かけるのか、何をしに出かけるのか、ちゃんと確認してください」といったものだった。それほど貧しくもない家庭の子どもが、夜仲間と繰り出して、集団の感覚に酔いしれ、勢いで街を壊し、火をつけて興奮する。店から商品を強奪して万能感覚に陥ったついでに、目についた金持ちそうな家にも不法侵入してみる。警察に追われてスリル満点、非日常のゲーム感覚である。

この街を襲った200人の子どもたちの親がどんな親なのか、それはこれから明らかになるだろう。自分を匿名だと勘違いして暴動に参加していた10代、20代の青少年たちは、いまこれから自分たちは匿名でも何でもないことを知る。暴動や略奪の様子は街のあちこちに仕掛けられた監視カメラで録画されており、その画像がメディアでどんどん公開されている。バーミンガムではツイッターで暴動を働きかけた少年が捕まった。あらゆるところから、芋づる式に仲間が割り出されていく。

自分が匿名だと勘違いするのは、社会にちゃんと関わっていない青少年ならではの無邪気である。夏休みの退屈をもて余しただけの、何の政治的主張も社会的意義もない暴動は、フットボール観戦後のフーリガンの興奮と同質だ。キャメロン首相は「彼らには激しく後悔してもらう」と明言した。英国のメディアの中には、いっそ軍隊出動を願う者もいるほど、納税者であるオトナたちは怒っている。

今夜、夏休みを返上してロンドンへ帰って来た1万6千人の警官が、ロンドン中の通りを警備する。夜の街に溢れる仲間たちの「キブン」に操られて軌道を外れた青少年たちには、相応の父権主義的なお灸が据えられる。激しい後悔に苛まれ、社会への責任感をここで知るとは、彼らにとっても大層な(そして少々遅すぎる)夏休みの宿題である。さて第4夜が明けて明朝、どのような結果が出るだろうか。

【2011.8.10 17:00 以下追記▼】
ロンドン中のストリートを1万6千人の警官が埋め尽くした火曜夜、暴動はむしろイギリス中部のバーミンガム、マンチェスター、ノッティンガムなどで活発化。ロンドンでの暴動をそのままなぞるような破壊、放火、略奪と警官との衝突が次々と報道された。

ロンドンでは、火種となった北部トットナムや南部クロイドンでの衝突が報告されたが、比較的小規模なもので終わった。若者たちが警官の数に恐れをなしたなどというよりも、事件後も身元を追跡されることをようやく認識し「いまやっても割に合わない」と判断した、または「一回デカイのをやったからもういい」とガス抜きされた?

いずれにしても、主張なき暴動はあくまでもその時点の仲間の空気のみが動機。あっという間に雲散霧消するし、場合によってはまたツイッターなどを通じていくらでもわいて出てくる。

根本に政治的問題があるとして対応策を練るのはもちろんだが、先進国の体力を持て余す若者が、携帯電話を通して数多集まり、暴徒と化す気味の悪さを強く認識しなければならない。例えば30人の若者の集団と警官が衝突した次の瞬間、いきなり集団はどこからか合流した100人に膨れ上がる。手薄な警官は応戦が精一杯だ。結局、力には力、数には数、より実効性のある武器を持つ側が場を制するという、ただのパワーゲームになる。

ネットの持つ「呼びかけ」の良くも悪くも圧倒的な力が、いつも必ず人間社会を救うわけではない。その効力が誤って使われた時、このような事態はいつでも起こり得る。主張がないということは、暴動を起こすのにもやめるのにも、大した理由がないということだ。「大した理由なき反抗」がここまで大規模になり、一つの国であちこち飛び火して被害を拡大することを、深刻に受け止めなければならない。


河崎環河崎環
コラムニスト。子育て系人気サイト運営・執筆後、教育・家族問題、父親の育児参加、世界の子育て文化から商品デザイン・書籍評論まで多彩な執筆を続けており、エッセイや子育て相談にも定評がある。現在は夫、15歳娘、6歳息子と共に欧州2カ国目、英国ロンドン在住。