この本ほど、敢えて論争を起こすべくエクセントリックに戦略的に書かれた子育て本(?)は最近類を見ないのではないか。

中国系移民の二世としてアメリカで育ったイェール大ロースクール教授の著者、エイミー・チュア氏が、娘二人をカーネギーホールで演奏させたりハーバードへ送りこんだり、音楽と学業の双方で成功させるに至り、そして激しい抵抗と挫折を経験するまでの壮絶な「戦記」である。

「西洋」と「東洋」で異なる読まれ方


欧米でベストセラーになった本書は、教育という切り口で異文化間のジレンマを語ったものでありながら、西洋のバックグラウンドを持つ評者たちには「緊迫感溢れるサスペンス」として読まれ、東洋のバックグラウンドを持つ評者たちには「ノスタルジーと共感溢れるパラレルな自分史」として読まれる。

参考までに日本のアマゾンで読者レビューを見てみたところ、「中国のやり方が一番と信じて押し付ける猛烈教育ママの自分自慢と娘自慢」という批判や、逆に「私もこれをバイブルに頑張ります」という無邪気な妄信があり、正直、著者がどうしてこんな本を書くに至ったかの背景の過酷さを理解しない(理解のしようがない)というのは平和な証なのだろうと感じた。

著者のアイデンティティのために書かれた本


自分の選択とは関係なく、生まれながらにして「中国人」の顔と訛り、生活習慣を持って、白人たちがひしめく学校へ独りで送り込まれる。そして親からはそこで常に飛び抜けて優れた結果を出すことを期待される。

見るからに中国人であることで、故のない注目や見当違いの批判や、トンチンカンな憧憬の視線(特にアジア女が大好きな白人男からの)に晒され、悔しい思いを人生丸ごとして来た。だからこそ、ユダヤ系アメリカ人男性と結婚したのちも、著者は背負って来たものを東洋と西洋ハーフの子どもたちを育てるプロセスで消化せずにはいられなかったのではないか。

東洋/西洋の対比を自分の中で消化するのに、親から自分、そして子どもまで、実に3代に渡る葛藤があった(そしてこれからも続く)ということなのである。がっちり育てられたゴリゴリのインテリだから自意識もかなり過剰で、だから彼女は自分のアイデンティティのためにもこういう本を書く必要があったのだろう。

興味深い日本人に対する視線


中国系アメリカ人2世である彼女の、日本人一般への視線も興味深い。自分の背景である中国的な教育観を「移民的」と呼び、「西洋的」なる教育観へ批判的な見方をしているが、どうやら日本人は同じオリエンタルでありながら西洋の側へカテゴライズされているようだ。

「移民的」価値観を共有する仲間は、韓国系やインド系、パキスタン系なのだと言い、彼らにはシンパシーを寄せている。しかしフィリピンでビジネスを起こし成功した祖父母から、「日本兵は戦時中に中国人に対して想像を絶するような虐待を行った、残酷な民族だ」と教えられた著者は、彼女の「東洋」「西洋」スキームの中で、日本を「あちら側」の箱に入れている。

他の民族に対しては特段の(名指しする)エピソードがない中、あえて日本人に関する祖父母の教えのエピソードを開示しつつ、娘たちが楽器を始める手がかりとしての「スズキメソッド」と、娘が師事する高名な日本人ピアニストの名前が後半で出てくるのには、著者の複雑な心境が感じられる。

過剰に頑張っちゃう人の「自分史」


努力してできないことは何もないと信じる中国系移民の長女として、親の過大な期待に必ず期待以上のリターンを提供する人生を送り、努力しても努力してもまだまだ満たされない責任感、決して癒されない渇きをずっと抱えている。

これは東洋も西洋も関係なく、現代の「つい頑張ってしまう、頑張る以外に生き方を知らない」女性全員に共通する渇き、むしろ強迫観念と言ってもいい。その著者が自分の長女に述懐する場面で、同じく長女の私は(著者からすると「西洋」の日本人ではあるが)、なんだか突然心の中の真実を衝かれて、泣き笑いした。

「人生はね、『できの良い娘』がある日突然目覚めて、もうこれ以上ルールに縛られたり勝負に勝ったりしなくてもいいわって解放感に満たされて海に向かって走っていくようなディズニー映画とは違うの。『勝つ』ことこそ、本当に自由になるってことなの。海に向かって走ってる場合じゃないのよ」。

「中国系」、そして「長女」と自分の業を強烈に自覚しながら、つっ走る以外に生き方を知らない少女が母親となり、自分を育ててくれた家族や先祖のために、「優れた血を自分の代で絶やしてはならない」と、子どもと二人三脚で孤独な戦いをする。

これは「教育ママのエリート子育て本」なんかだと思ったら大間違い。ゴリゴリのオーバーアチーバー(過剰に頑張っちゃう人)のインテリ中国系アメリカ人女性による、悩み多き自分史である。

『タイガー・マザー』(日本語版) エイミー・チュア/著 斉藤孝/訳
『Battle Hymn of the Tiger Mother』(原語) Amy Chua


河崎環河崎環
コラムニスト。子育て系人気サイト運営・執筆後、教育・家族問題、父親の育児参加、世界の子育て文化から商品デザイン・書籍評論まで多彩な執筆を続けており、エッセイや子育て相談にも定評がある。現在は夫、15歳娘、6歳息子と共に欧州2カ国目、英国ロンドン在住。