別に風邪を引くこと自体は春夏秋冬いつでもあり得るものの、やっぱり朝冷え込んだり、夕方の風がしんしんと身にしみ出すと、「ああ今年も冬が来たな」と身構えたくなるのが小さな子を持つ親の習いである。振り返れば過去9年、様々な病気(感染症)が筆者宅を訪れ、そして去って行った。

実を言うと、最初の子どもが生まれて初めて発熱したのはなんと1歳半過ぎだった。おそらく筆者は人の親になってから子どもの看病を体験するまでの時間が、人より非常に長かったに違いない。そもそも噂に聞く「子どもの病気」が死ぬほど怖かったヘタレな筆者は、11月生まれの娘を1ヵ月健診で病院に連れて行って、以後まるまる半年近く自宅に閉じ込め、徹底的に「外界のバイ菌」に触れないよう細心の注意を払っていたのだ。
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春先、「あんまり可哀想だから、そろそろ外気浴させてやったら?」と提案する家人に怖い顔で「でもまだインフルエンザシーズンだから」と拒み、桜が咲いた4月過ぎになってやっとベビーカーに乗せてのお散歩を、決死の覚悟で敢行した有様。

くれぐれも子どもにうつさないよう完全防備してたが……

だいたい当時は赤ん坊ではなく、自分自身が自宅マンションのエレベーターに乗ることすらためらわれ、マスクその他完全防備のもと自分の歯医者通いなど行っていたほどなのだから、我ながら恐れ入る。ていうかヤバい。

「だって母親が引いた風邪を子どもにうつしたら馬鹿みたいでしょ」という、強い思い(込み)……。そんな努力の甲斐(?)あって、長女の初風邪は堂々生後18ヵ月を過ぎてからであり、その後も4歳半になって幼稚園に通い出すまで、ほとんど熱を出すことはなかった。

思うに筆者は当時、得意満面だったのだ。「親がきちんと子どもの健康を管理すれば、このように子どもはカゼ知らずに育つのよ……」と。でも今、タイムマシンがあれば、そんな自分を「このモノ知らずさんめ!」と、後ろからスリッパで引っ叩いてやりたい。

入園直後から風邪、病原菌、ウィルスを拾って来たわが子

そう、努力の甲斐あって……4歳半まで極端にバイ菌に触れず長じた我が子は、もう入園直後からクラスで流行るあらゆる風邪、病原菌、ウィルスを拾って来てるんじゃないかと疑いたくなる勢いで病気になりまくったのである。

その発熱ペースは平均月に2回。多くて4回。しかし4歳児のみが熱を出すなりなんなりするだけならまだ良く、悪いことに当時0歳だった次女が、その幼さから姉のかかる病気をもれなく貰い受け体力の無さからもれなく長引く。そうして2人の子どものリレー看病に明け暮れ寝不足が続き抵抗力を失った母が、子らと同じ病気をもれなく貰い最後にバッタリ倒れるパターンが続いた。

風邪の持ち回りの実態

例えば。11月1日(月)に長女が熱を出し咳だのハナだの嘔吐だのといった症状を呈し、2日(火)に通院や寝ずの看病などを行っているうち3日(水)夜半には次女が高熱を発して一晩中ぐずり泣き、母は三徹する。4日(木)次女受診。5日(金)も次女の芳しくない症状は続くが、その頃になると長女は快復して「もう幼稚園行きたい」とか「ヒマ」とか騒ぎ出し、母は昼寝できない。

しかし土日、夫の在宅に気を許すと夜中ぶり返して吐いたりし、気が抜けない。幼い次女はあまりに長引くので休日診療に連れて行ったりすると、木曜とは違う処方の薬を出されたりするので親は不安になるものの、日曜晩に突然解熱して復活したりするのが赤ちゃんの恐ろしいところ。

そうして子らが復活しかけた週明け7日(月)朝、ついに母親39度の熱でダウン。子どもの病気というのは時に大人が罹ると子どもの症状をはるかに超える劇症となることがままあるのだが、そんな塩梅でトイレから出られなくなるなどし、家庭生活は敢えなく破綻。夫が欠勤して看病するはめに。

8日(火)には遠方の祖母らが出動。9日(水)なんとか家事に立てるようになり、10日(木)になってやっとお弁当を作りヨロヨロと幼稚園への送迎も再開される。そうして11日(金)には完全復活……と思いきや、12日(土)ちょっと外出した夕食後、妙にぐったりした長女の額を触ると「……熱い」。

エンドレス・ルーティン!!!


意外性を伴う切迫度で、子の不調は親を締め上げる

今でも当時のことを思い出すとうっすら涙が滲む。寝られなくても何でも仕事は継続していたので、各々の〆切とのせめぎ合いもあり、鬱が発動することも度々。いつも眠くて、身体が重く、だるかった。自分の内科(かかりつけ医)に行くだに「だめよあんたがちゃんと寝なきゃ」と諭されるも、寝なきゃと言われて寝られればわけはない。だいたい、風邪を引いていてもいなくても、乳幼児を抱えた母親がぶっとーしで6時間寝られるなんてそうそうあり得ない。

しかし子どもたちは容赦なくお疲れの親を振り回す。インフルエンザやノロウィルス(お腹にくるカゼ)といった流行り病のみならず、喘息や食物アレルギーと言った持病のある筆者宅の子はそちら由来の不調も冬は特に多くなる。

喘息発作で夜間救急に駆け込んだり、学校で発作を起こした子をそのまま救急車で搬送したり、出先で「隠し味」のアレルゲンに反応してぐったりした子を休日診療に抱えて行ったり、ちょっと受診したらそのまま入院と宣告されたり、転倒して昏倒した子を脳神経外科に抱えて行ったり、鼻の穴にビーズを詰めて出なくなった子を横抱きに雨の中、耳鼻咽喉科に駆け込んだり(しかも妊娠初期……)。

「想像の少し斜め上」とはまさにこれ、という意外性を伴う切迫度で、子の不調は親を締め上げ、鍛え上げる。最近では、子育てとはそういうものなのだ、と半ば諦念を持って、強く思う。「なんかのトレーニングなんだ」と。

子どもの病気・ケガを語り合う「戦友」も貴重

とはいえ筆者などは所詮女児のみ持ちなので、男児を持った親御さんの経験には程遠いヌルさである点は否定し難い。男児は一般的に身体の弱さも女児に比べて半端ないうえ、圧倒的に怪我が多く、血を見ることが多くなる。

筆者の周囲でも何人の子が額からどくどく血を流し、手だの足だの骨折しているか。「とにかく無事で良かった」と親同士頷き合い、傷が残るかどうかなど二の次。折々今最新流行の感染症についてや近隣の小児科評定など行いがちだが、そういった会話が各々をより親として強くしていっている感もまたある。かく「戦友」の存在は貴重なのだ。

三女になると「生きてりゃオッケー」

さて、少しは希望のある後日談を。筆者宅長女の「もれなく風邪罹患地獄のルーティン」は、幼稚園を卒園する頃無事に終了した。時を同じくして2歳半で保育園入園した次女は、入園後クラスで流行るあらゆる病気を華麗にスルー、入園以来半年近く皆勤して周囲を驚かせることになる。その半年後に久々罹ったのは姉の小学校から伝播した新型インフルエンザ。それも姉に比べて非常に軽く済み、「赤ちゃんのうちから風邪引きまくってる子は強いなあ!」と親はのんきに感嘆した。

さらにその2年後、上の姉たちが殆ど病気をしなくなってから生まれた三女は、たまに姉たちが貰って来て発症する風邪等やっぱり貰って、熱を出したりゲホゲホしたりしている。この子は長姉を超える強烈なマルチアレルギー持ちのアトピーっ子ではあるのだが、親ももう「貰うもんは貰うし、貰わんものは貰わん。生きてりゃオッケー」と至極適当な姿勢。この子は次女と違って保育園に入れたらしばらく感染症の嵐になるかも知れないが、それはそれ。致し方ない。小学校に上がる頃には風邪引かなくなるし! あと子ども時代に風邪いっぱい引いた人はオトナになってから丈夫な気がするし!(私感)

ようやく、コツを習得してきた今

そして子どもに流行るあらゆる風邪関係を律儀に貰って発症、倒れていた母も今やそれなりに免疫ができたようで、子どもに追随して倒れることは(あまり)なくなった。というか、いよいよ悪化する前に、さくっと各方面に頭を下げ仕事を調整し直し、100パーセント育児放棄して寝込むというコツを習得した。子の成長に比例してこちらも老いているし、多少は学習したというわけだ。

つくづく、子育てに必要なのはイチに体力、ニに体力。サンシに気力、ゴに財力であるなあ!!! 出産するならなるべく若いうちに限るなぁ……という話は、しかしまた別の機会に。


藤原千秋藤原千秋
大手住宅メーカー営業職を経て2001年よりAllAboutガイド。おもに住宅、家事まわりを専門とするライター・アドバイザー。著・監修書に『「ゆる家事」のすすめ いつもの家事がどんどんラクになる!』(高橋書店)『二世帯住宅の考え方・作り方・暮らし方』(学研)等。8歳4歳0歳三女の母。