「グローバル」ほど、日本で散々使われながら眉唾な言葉もないだろう。なぜなら、日本にいてごく普通のほんのり楽しい日常に満足していれば、わざわざまなじり吊り上げてグローバル化などを目指す理由がないからである。

四方を海で囲まれた便利で安全な国の中にいて、どうしてわざわざ弱肉強食で紛争や闘争ばかりのコワい世界(←偏見)へ飛び出さねばならないのか。どうしてわざわざ、優しくて空気の読める日本人の心地よい輪の中から飛び出て、隙あらば人を騙そうとするような怪しい外国人たち(←偏見)の中に飛び込まねばならないのか。

私自身は若い頃、北米に妙な憧れがあって日本を飛び出したりしたものだが、今の時代、どう考えたって日本の方がインフラも確かでサービスも良くて衛生的で、はるかに暮らしやすいのは事実だ。
toudaiglobal

●アジアのトップ層の学生すら東大を一瞥して飛び越えている


にもかかわらず、「日本の受験ヒエラルキーの頂点に君臨する」東京大学が、入学時期を国際標準に合わせることで、大学のグローバル化を加速させるそうだ。

現在、世界ランキング10傑にすら入れず、いまや特定の市場に向けてしか魅力を持たない東大を、アジアのトップ層の学生たちは一瞥もせず飛び越えて、米国の大学に向かっている。日本人は国内で日本の教育をこき下ろしあざ笑う風潮があるが、日本の教育が、世界でこそ、「いったいどうしたんだ」と笑われている。

私は東大卒ではないが、ひがみを抜きにして言いたい。日本の“the cream of the crop”(選りすぐり)、トップエリートのはずの彼らが、官僚や外交官や民間のビジネスマンとして、世界中のあらゆる政治経済の最先端に送り込まれ、欧米のトップ大学院の修士・博士号で武装してもなお、老獪な白人社会を前に、決して対等に闘い得ないという現実には、私は日本人として素直に悔しい。

●「斜陽大学」となった東大関係者こそ忸怩たる思いではなかろうか


「日本人はもっと学力があって頭がいいというイメージだったのに、同僚の日本人を見ると期待外れなのは、その『特殊な』文化ゆえなのか」とは、日本での赴任歴もある女性エリート華僑の率直で辛辣な弁である。

彼女の子どもは全員オックスフォードへ進んだ。日本での赴任時代は、子どもの良い経験にはなったが、アカデミックにはむしろ停滞だったそうだ。国際社会で魅力のない「斜陽大学」となった東大関係者こそ、そんな遠慮のない言葉はあちこちで聞き、忸怩たる思いを抱えていたはずだ。

●一大学の“傲慢”で受験社会全体が変わらざるを得ない


「東大行動シナリオ」という形で秋入学への全面移行がぶち上げられ、新聞の見出しとなったのは、昨年7月1日のことだった。その時、東大の浜田総長がコメントした「今の春入学制度は、10年はもっても50年はもたない」というフレーズは、欧州在住である私の琴線に大いに触れた。

春入学制がもたないだけじゃない。東大が、そして東大をうやうやしく頂点に掲げている日本人の教育が、50年ももたない。秋入学移行について、一部では東大の暴走と言われ、「一大学が牽引できると思っている傲慢」とも揶揄されるが、東大の入り口が変われば、受験社会全体が変わらざるを得ない。

なぜなら、実は日本の受験ヒエラルキーは東大を頂点にしているというよりは、「東大入学=東大の入り口」を頂点にしているものだからだ。入学システムが変われば、教育が変わる。内容が変わり、輩出される人材が変わる。浜田学長が口にした「ようやく(世界と)同じテーブルにつける」は、ふと漏れた真実の言葉であろう。「同じテーブルにつきたい」は、それこそ明治維新からの日本人の悲願だったろうから。

●日本人学生の海外への循環をスムーズにする秋入学


しかし、「同じテーブルにつく」は、秋入学制によって留学生をたくさん呼び込める(であろうという曖昧な目論見)から世界と同レベルになれるのだという解釈には、多いに異論がある。

秋入学は留学生のためになるばかりではなく、日本人の学生のためでもある。秋入学は、日本人の子どもや学生が海外で学んでからもスムーズに日本の高等教育に移行できる、またはスムーズに海外に出て行けるという点にメリットが大きい。

海外からの流入をスムーズにするのではなく、日本~海外の循環をスムーズにするのだ。私は「ギャップターム」は非現実的で、周囲を納得させるための当面の方便、ドラスティックさの緩衝剤に過ぎないと受け止めている。

●「ウチ、入試制度変わりますんで、みなさんもよろしく」でけっこう


日本の初等中等教育が春入学を維持したまま、ギャップタームを挟んで帳尻を合わせ、東大や追随した一部の大学だけが秋入学に移行して、いったい何が生まれるのか? 先述した一般的な批判の中の「一大学が牽引できると思っている傲慢」は東大だからこそ似合うのだから、その役割を引き受けて欲しい。

受験社会に最も影響力をもつ学校として、入試時期も変え、受験業界も日本の初等中等教育も、就職の一括採用も公務員採用試験も、その硬直した制度に「ウチ、入試制度変わりますんで、みなさんもよろしく」と軽く言い放って欲しい(いや、既にその状態だとも言える)。

●まず日本の人材をちゃんと育てて欲しい


魅力ある東大って、どういう状態なのだろう? 今の日本に優秀な留学生がたくさんやって来る、は少々はかない夢だ。「放射能ユンユン」の国へ足を踏み入れ、世界ランク10傑にも及ばない大学にわざわざ留学して学位を取るのは、相当な(多くは過剰に期待・誤解した)日本マニアか、「日本で妥協した」学生だからである。

「アメリカの大学は外国人に開放されていてフェアですばらしい」というのも無邪気な勘違いで、米国が世界中から優秀な学生の獲得に躍起なのは、留学生や移民による発想と特許技術を国内に蓄積して、米国の産業の斜陽をスローダウンさせ、国家が生き永らえるための政策である。

だからこそ、東大はまず日本の人材をちゃんと育てて欲しい。「内向き指向」で海外で学ぶ日本人留学性の数が年々減っていると憂うが、母数の学生数が年々減っているのだから当然だ。

●東大の豪胆っぷりを後世が評価するかもしれない


さらに、情報にも物質にも恵まれているイケてる日本から、わざわざ数倍のコストをかけて海外の大学に行く動機が見つけにくいのも仕方ない。日本が充実(というか飽和)しているから、わざわざ海外に出ることにメリットが見いだせないのであって、しかし日本のエリート教育の弱点は、まさにこの「国際的流動性の低さ」による国際社会での経験不足なのである。

日本は大きな変革が苦手でマイナーチェンジが得意だと言われるが、そんなのは戦後の仮想平和な数十年間、日本社会の特徴だったに過ぎない。日本はドラスティックな変化を孕む時代には、「360度あらゆる方向から慎重に精査」の結果、後世の自分たちから見てもその豪胆っぷりに感心するような大きな決断をすることがある。

メジャーな変化にアレルギーを示しやすい現代の保守的な日本が、それを徐々に乗り越えて「高流動性の社会システム」を受け入れ実現したとき、意外と日本も日本人も「実はこっちの方が生きやすい」ことに気づき、極めて魅力的になると思うのだが、どうだろう。


河崎環河崎環
コラムニスト。子育て系人気サイト運営・執筆後、教育・家族問題、父親の育児参加、世界の子育て文化から商品デザイン・書籍評論まで多彩な執筆を続けており、エッセイや子育て相談にも定評がある。現在は夫、15歳娘、6歳息子と共に欧州2カ国目、英国ロンドン在住。