春が来た。花粉の舞う春が。でもノンストップで流れる鼻水隠しの使い捨てマスクをちょいと下げれば、梅やら沈丁花やらのツンと刺すようなあの香りが鼻腔をくすぐる。悪くない、花粉さえなければ。春っていいもんだ。

等々マスクで隠れているのをいいことにブツブツひとりごちながら、10年物のボロベビーカーを押し、この4月から年長に進級する次女の保育園に朝夕往復している。3月も末。

もう赤ちゃんっぽくグデーと寝ることなく、背すじをピーンと伸ばしてベビーカーの先っちょにチンマリ座っている我が家の最終兵器三女(1歳半)は、その行きも帰りもに同行している。だから、勘のいい顔見知りや知人は、こんなふうに声をかけてくることが最近とても多いのだ。

「ああ、この子は保育園、まだなんだね」「この春から入れるの?」

筆者は答える。「そう、まだなんですよう」「いやー、来年の春からです!」

すると「来年? 来月じゃなくて?」と、働く知人らはのけぞるのである。「えー、それまで家でこの子、看ながら仕事、凌ぐの?」

「休日出勤と夜勤で」と筆者。冗談っぽいけどマジだ。「じゃなきゃ、ファミサポか一時保育で誤魔化しながらですかね」

hoikuen
まあ、拙宅の三女が来春から保育園に行くのは、少々の説明では追いつかない深い家庭事情があってのことなのだが。そもそも当地は丸の内勤務のキャリアウーマンなマザーすらもが認可を落とされる激戦地。

保育園に子どもを預け「行ってらっしゃ~い」と手を振られ向かうのが自宅(=兼事務所)などというアヤシイ商売の家の子が、スルリ入園できるほど甘くない(と思い込んで長年頑なに認可園への申請を行わなかったのだけれど、その是非については後述する)。

よって、筆者宅の9歳の長女は「流しの一時保育ビジター→私立幼稚園2年保育→14時以降は近所のナーサリー(私立認証保育園)」というダブルスクール状態で凌いだのだし、5歳の次女は姉が顔を売っておいたお陰で、半年待ちの末(これでも待ち短い)、2歳半からこのナーサリーに預かって貰えて現在に至っている。

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さて。普通の人に「認可」だ「認可外(無認可)」だ「認証」だと言ったところで、たいてい一発ではその違いを理解しては貰えないものだけど、ざっくり言えばニンカの他には税金があんまり落ちていないということだ。要はニンカ以外は高い、保育料が。かなり違う。

特に認可外保育園を1時間あたり幾らの一時保育(ビジター)で8時間利用する、とかいう場合にはもう「エエエエエッ?!」という保育料になってしまうのだが、こういうことって普通の人にはほとんど知られていない。折角なので詳解したいと思う。


認可外と一括りにしても保育施設により保育料はピンキリではある。ただ、キリな場合でも0歳1歳児はおおむね割高で、だいたいビジター料金1時間2,000円~3,000円程度と見ておく必要がある(施設によってはその他、ご利用前に入会金や登録料などもかかる)。

近所の認可外に、拙宅の1歳児(クラスとしては3月中なら0歳児クラス)を明日の9時から17時までビジターで預けるとしよう。すると、

・保育料1,890円×8時間=15,120円
・昼食(給食)費=400円
・3時のおやつ=100円

計15,620円かかる。
たった1日(というか8時間)でだ。
筆者風情のささやかなギャラなど吹き飛ぶ勢い、というか消えてマイナスになる。


反していわゆる認可保育園の場合。その保育料は逆の意味で「エエエエエエッ?!」だ。

東京23区内某区の「前年分所得税900,000円以上」という最高スペック(高額所得者!)での保育料徴収基準額、3歳未満児の場合の数字を見てみよう。

「第1子に適用する基準額」の場合57,500円で「第2子以降の基準額」では40,250円。これは1ヵ月でだ。

57,500円というのは金額だけ見れば充分デカイけれど、先の15,620円で割れば4日でモトが取れてオツリがくる額である。比較するまでもなく激安、猫も杓子も「ニンカニンカ」と言う所以である。

もちろん、「ニンカ」が保育施設として優れている点は保育料のお得さだけではまったくないのだが、また必ずしも何の問題も無いわけではないのだが、とりあえず拙稿では触れずにおく。また保育園という場の価値についても詳細は場を改めて書く。

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さてここで唐突に、表題の謎解きを始めたい。

実は、筆者の長女が幼稚園に通っていたころ、ムチャクチャな保育園批判を我が身に受けることがままあった。筆者は幼稚園児母でありつつ、手近な保育園児母でもあったのでちょうど良かった(?)のだろう。そのときは面食らいつつも後で「ははん」と納得したことが以下の内容である。


そもそも「保育園育ちの子はサルのように乱暴」「保育園の子は愛情に餓えている」「保育園育ちの子は“だから”可哀想」という由緒正しいディス三柱は、幼稚園母界では根強い前提だ。

かつ、「保育園児の親はズルい」と(押しなべて)思われているものらしい。ウソだと思うなら手近な幼稚園ママに「ぶっちゃけどうよ?」と聞いてみては如何だろうか。おそらく「ズルい」に首肯する人は存外多いはずだ。


曰く「8時間などという長時間保育でラクしている」「お弁当じゃなく給食なのでラクしている」からズルい。さらに「幼稚園では当然の、親の参加と注力を前提とした大行事を、根こそぎスキップできて気楽(時間・手間的にラクをしている)」だからズルい。

そして、実はそれよりも、「安すぎる保育料・軽負担という恩恵」を「のうのうと享受している」からズルい、のだ。「夫婦二馬力でバンバン稼いでるくせに保育料が、幼稚園に払ってるお月謝と同じかそれより安いってどういうこと?」「税金ガメ過ぎじゃないの?」。もっとも、保育園母がいないところで言いたいことを言うのは自由だ。

でも認可と認証の違いも知らず、バンバン稼ぐ人の多額な納税額も考慮せず、ただ「ズルい」で済まされては懸命に働く母らは浮かばれない。明らかなる誤謬は誇りを持って訂正したほうがいい。


同時に返す刀で、家庭で子育てしながら幼稚園に行く子どもたちをディスる必要も無いのは言うまでも無いことである。人の置かれる状況、境涯、考え方その他、変化していくのが世の条理なのだ。

一度「保育園母=ズルい」という刷り込みを持ってしまった、その人自身が後に認可保育園を利用しなければならない立場になったとき。かつて他人を呪った言葉が、要らぬ罪悪感をもって自分自身に戻り、その自由を縛り上げてしまうことのほうが憂慮されるし、不幸だ。
白状すると、かつての筆者が、そうだったのである。

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とはいえ、「育児は手抜きできてラクしてられて税金ガッポリ掠め取ってお得でズルしまくってる」ような「ズルい親」を助長する保育園という施設を、何もかもごっちゃ混ぜにイメージしてその虚像に対しルサンチマンと憐憫を滾らせている層が少なからぬこと。
或いはそんな層をバックアップしてきた一馬力の男性たちの認識なんてそんなもんだということを、あらゆる「保育園」にコミットする親は、じゅうじゅう踏まえておかなければならない。

そういった色眼鏡を外し、金勘定を排したところから、「子どもたち自身」の幸福を第一に忖度(そんたく)しなければならない。これは大前提である。

一度巣食った勘違い?はしかし、その後えんえん数十年単位で持続することもある。だから「孫が保育園に入った不憫さに泣くバァバ」などが現れ、また「可愛い孫を保育園なんかに預けてラクする嫁を怨むジィジ」なども発生する。でも、そんなふうに泣かれたり怨まれたりする筋合いなんてどこにもない。

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「ああ、この子は保育園、まだなのね」「この春から入れるの?」

冒頭のやりとりに、筆者は答える。「そうなんですよう」「いや、来年からです!」

すると「保育園、あんまり早く入れても、可哀想だもんねえ」……そう頷かれる、こともある。いや、そういう反応のほうが実数は多い。


言っている人に悪意は無い。「子どもは、お母さんのそばに長くいられたほうがいいもんねぇ」「ですねぇ。でも親と一緒にいるっていうのもある意味、可哀想なんですよう」
でも筆者はこう答えている。これは本心だ。

なぜなら、締め切り間際の今日は、もう3時間近く母の膝の上に跨り服をめくってオッパイを銜えウトウトし続けているのが、我が1歳児の現実なのだから……(これちょっと、可哀想じゃない?)。


保育園児と非保育園児のどっちが可哀想?なんてディスり合いには、まったく、何の意味も、価値も、無い。


藤原千秋藤原千秋
大手住宅メーカー営業職を経て2001年よりAllAboutガイド。おもに住宅、家事まわりを専門とするライター・アドバイザー。著・監修書に『「ゆる家事」のすすめ いつもの家事がどんどんラクになる!』(高橋書店)『二世帯住宅の考え方・作り方・暮らし方』(学研)等。9歳5歳1歳三女の母。