「ねぇお母さん、年長さんになったらピアノ習わせてくれるって言ってたけど、あれどうなったの?」

先日、保育園からの帰り道。某有名音楽教室の前にたむろしている、次女(年長)と同年代の子どもたちの姿をチラと横目で見た娘に鋭く問われ、母は狼狽(うろた)えた。

「ごめん忘れてた……」
「ふーん、やっぱりね。そうだと思った」

耳が痛い。

耳も痛いが、懐も痛む子どもの「習い事」をどうするかというのは、子を持つ親にとってつくづく頭の痛い問題である。

本人がやりたいと言うものを、何でもかんでも端からやらせてあげられるのであれば、悩みもないのだろう。が、三人の子がいる筆者にとって財力的にも体力的にも、そりゃ無理というものだ。ちなみに、この体力というのは、子のそれではなく親のを指す。

piano
そう……。問題は習い事への「送迎」、これにかかる手間というか「体力」が本当にバカにならない。超・必須なのだ。正直、この「送迎」の目途が立たない限りは新しい習い事を検討することすらできない。「子どもがやりたいと言う意思」など、送迎問題に比べれば二の次だと言ってもいいだろう。

はてさて筆者が初めて「子どもの習い事をどうするか」問題に直面したのは、現在小4の長女が、幼稚園年中だった秋のことだった。当時、長女はグループレッスンの『ピアノ教室』か、幼稚園の放課に実施されている『体操教室』への入会に迷っていて、いずれも体験レッスンを経た後で受講決定するつもりでいた。

実は、筆者自身が3歳からピアノのレッスンに通っていたこともあり、母の思いとしてはピアノ推しではあった。体操のほうは、いささか運動神経がアレな娘を慮った父親推し。まぁ、娘がやりたいと言いさえすれば両方やらせてもいいかな、と思ってはいたのだが、妙に律儀な娘本人はどうやら「片方だけ」と心に決めていたらしい。「おかねもかかるちね。どうちよう、ちゃんとえらべるかちら…」なんて拙い言葉で呟いていたのを、ほのぼのと思い出す。

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しかして。ピアノ教室の方は体験したその日に「無理」と悟った。娘がではなく、母親がである。

ピアノ体験レッスン当日のこと。いつものように14時から16時半までは幼稚園併設の保育園で一時保育を頼み、仕事を終えた母が0歳児を抱いて保育園で長女をピックアップ。週末なので何かと荷物が多く、一瞬いったん家に帰って物を置いてこようか迷ったものの、そのまま教室に向かった(後から考えるとこれが一つの敗因になる)。

もろもろの書類に記入し通された教室には、長女と同年代の落ち着いた女の子とその上品なママ、そしてやや年配の先生がおり、ここで開講される場合にはこのメンバーになる旨の説明を受けた。(えー、2人かあ……これじゃグループレッスンにならないよなあ…)とチラリ思いつつ、デモレッスン開始と同時に筆者は赤ん坊を抱えて教室後方の椅子に移動しようとした。その時、意外な声がかかった。

「あ、お母さんはずっとお嬢さんの隣に座っていてくださいね?」

へ? 隣りにいろと言われても…。椅子は電子ピアノ用の一人掛け椅子であり、筆者は、隙あらば鍵盤やスイッチを触りたくて仕方なく降りて歩きたくてうずうずしている0歳児を抱えている。隣りになぞいたら嵩張(かさば)るし、何かとレッスンの邪魔になること必定であろう。いいのかな~と、やや腑に落ちないまま長女の隣りに戻った。

なお、この日の体験レッスンのカリキュラムは、以下のようなものだった。

  1. 先生による、ハイレベルなデモンストレーション

  2. 教室のお歌斉唱 (初見。もちろん歌えない)

  3. 母と子でマンボのリズムを体得すべく踊る (やっと電子ピアノのスイッチ・オン!)

  4. 子がタンバリンでマンボのリズムを体得 (椅子に座ったまま上半身で踊る)

  5. 先生の弾くピアノに合わせて「いぬのおまわりさん」歌唱レッスン

  6. オリジナル曲を弾いてみる(初見。右手親指でド・ド・ド、だけ)

  7. 再度、お歌斉唱(今度は歌えるかナ~?)

  8. 保護者の方へのご説明(来週月曜までにご返答下さい)

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「じゃあ、始めましょうか!」。テキストを渡され、開いた筆者はのっけから驚いた。このレッスン、まるっきり「お母さんが隣に座っていること前提」でカリキュラムが組まれているのだ。それも一年間!ずっとだ!

えぇー聞いてないよ! そういうものなの? なんで隣り? 困惑しつ低下していく母のモチベーション&テンション。反比例して高まり続けたのは、後にピアノを習いたがることになる次女その人、当時0歳だった。マンボのリズムを繰り出すため電子ピアノのスイッチが押されるや否や、目を輝かせて鍵盤を無手勝流に打ち鳴らし尻を振り喜びの奇声を上げたのだ! ……う~んキーボードおもちゃ大好きなんだよねこの子……。教室内に轟く異音。うや~やめてくれ~。

デモレッスンは混迷を来し、かわいそうな姉は半泣き。果たしてあまりの惨状に、隣席の母娘は困惑して固まっている。無理もない。これじゃあレッスンにならない。


もっとも長女自身、「ピアノをたくさん弾かせてもらえるかも~?」という期待で体験しに来たのに、ほとんど鍵盤を触らせてもらえない状況に焦れて「どうしてまだひかせてくれないのぉ?」を連発していた。実際、メカニックな超高級電子ピアノを前に蛇の生殺し状態で、気持ちはすごーく、分かった(お母さんもちょっと弄りたいもん…)。

つまるところ結局、母親が隣に侍っていなくてはならない理由とは、子どもには操作の複雑過ぎる電子ピアノのスイッチング制御のため(=子どもに遊ばせないため)というのが主であるらしい。ならば、先生が目の前にいて生徒が2人しかいない環境かつ自制できる子であれば、母は必要ないのではないだろうか。

モットモットアソビタイヨーとギャン泣きで暴れる0歳を抱え、「あの、やっぱりご迷惑なので後ろに行っていいですか?」と再度問うが、先生の答えはNO。「お母さんと一緒にやること」の方に重い教育的意義があるらしい説明を受けたのだが、筆者の感想は「むしろ意味わかんない」。結局、受講するかどうかの即答は避け、この日の体験は終わったものの、最後の方では長女も椅子の上で舟を漕いでいるありさまだった。

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その帰途の凄まじいまでの疲労感は、いまもって記憶に鮮明である。そもそも金曜夜というのは、大人でも疲労度MAX。子どもも一週間を登園した疲れが、母も弁当作りと送迎と育児と仕事に費やした疲れが、風邪をひいているわけではなくとも身にズッシリと蓄積されている。ここに大荷物と、10キロの赤ん坊の重さと、そんな個人事情など全く意に介さないピアノ教室的論理との齟齬に対する絶望がまぶされ、答えは……導かれたのである。

「ピアノはさあ……やっぱり、諦めようか?……」「うん……体操、がんばるね……」「ごめんね……」「あやまらなくていいのよ、おかあたん……」。かわいそうなことをしたと今でも胸が痛むが、仕方ない。あの頃あの時点ではそうするしかなかったのだ。


結局、長女は『体操教室』のほうを受講し、4年続けた。それに並行して小2から『モダンバレエ』を習い、体操教室を辞めた後は『スイミング』に通うことにして今に至っている。

身体を動かす習い事ばかりなのは彼女の持っている素質その他と親の教育方針ゆえであるが、同じ考えを次女三女に敷衍(ふえん)し押し付ける気はない。向き不向きは子それぞれ違うからだ。

もっとも、しっかり者の長女はとっくにこれらの送迎を必要としていないし、師弟関係がハッキリしているので親の出る幕は発表会ぐらいしかない。その点、非常に気楽だし、下にチビたちがいる母には助かっている。子が長じると物理的な面で断然楽になる。これは、子育ての醍醐味の一種だ。

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さてと。今の喫緊の問題は、次女のピアノだ。もうお母さんはグループレッスンのお教室はこりごりなので、個人レッスンの先生を探さねばならない。しかしこれがまた、なかなか難しい。

「もう一年生になってからにしようかなあ。近所のどこかに、勝手に行ってくれるとこ見つけて。一人で行くようになれれば、一番いいんだけどなぁ~!」
と、別の土地でピアノ教室を開いている友人にぼやいたところ、「ダメよ、一年生になったと同時、みたいに環境が激変するときにこちらも新しくレッスン始めるとなると、子どもにとっては酷いストレスになりやすいのよ!」と諭された。なるほどなぁ……そういうのは、あるかも。親の都合でばかり考えるの、やっぱり良くないよね。はー。お母さん、反省。でも、どうしよう?

今朝も、「ねえねえ早く習いたいんだからさー、お母さん! ピアノの先生、もう見つけてよね!」と次女。ごめんなさい、なるべく早く、探します……。なるべく近所で、なるべく子ども好きで、なるべく人気があって、なるべく都合の合う日時に開講してくれる先生を……(いったい実在するんだろうか?……)。


藤原千秋藤原千秋
大手住宅メーカー営業職を経て2001年よりAllAboutガイド。おもに住宅、家事まわりを専門とするライター・アドバイザー。著・監修書に『「ゆる家事」のすすめ いつもの家事がどんどんラクになる!』(高橋書店)『二世帯住宅の考え方・作り方・暮らし方』(学研)等。9歳5歳1歳三女の母。