「ベタベタしていると思われたくないよね。」
夫と、ではない、息子と、である。たまたま男児の母ばかりが顔を合わせていたときの雑談。「これが女の子だとまた違うんだろうけれど…」と言いながら、不思議と一致する感覚だった。人によって、やらないでおこう、と思っていることのラインはいろいろだ。

・転んだくらいで過剰に反応しない。
・自分の子供を「ちゃん」付けで呼ばない。
・鼻水くらいで心配しない。
・もこもこに着せすぎない。
・汚れることに神経質にならない。

ささいなことに聞こえるかもしれないが、意外とそんな「自分ルール」があるのだ。それを誰がやっても嫌だ、というのではなく、あくまでも自分の中の自分に許してはいけないラインのようなもの。自分の子どもがかわいくないわけはないし、子どものことを心配しないわけはない。5才の幼児なのだから時にべたべたに甘えさせることはもちろんあるし、それでいい。しかし、ベタかわいがりしていると「思われたくない」。

201205kano
「男の子の母親」としての立ち位置。息子と自分の間には適度な距離があって、突き放すところは突き放して、そう、『毎日かあさん』の西原理恵子のような、昭和の肝っ玉母さんのような、どんと構えた感じでいられたらいいなぁ、と思っているところがある。それは憧れにすぎず実際そこまで出来なくても、最低限人前ではとりあえず息子に対してドライでありたいと思う、その微妙な感情。ささやかな、プライド。

プライド?何に対して?どこから来ている?

話していると、その「やらないでおきたい自分ルール」には、それぞれ、そう思うようになったきっかけがあることがわかった。

・小学生の時に、同級生の男子のお母さんにそういう人がいて…
・独身の頃、駅で見かけた子連れのお母さんがあまりにもすごくて…
・実は、義理の母親がいまだに夫にそういう反応を…

そう、何か強烈な、印象的な反面教師がたいてい存在するのだ。しかも同性の。自分もあんな風に見えたらまずいなぁ、格好悪いなぁ、という判断が、その自分ルールに大きな影響を与えているらしい。

話は「大人になった息子にしたくないこと」に発展し、「少なくとも、大人になったら養わない」でまとまった。

「男のくせに…」「女のくせに…」という時代でもないし、結局は個人による違いが大きいとはいえ、やっぱり性差は確実に存在する。そして、男の子と母親の関係と、女の子と母親の関係、これもまた何か違う。なぜか、母親と仲のいい大人の女性は「素敵な親子ね」と評価され、母親と仲の良い大人の男性は「ちょっとね…」と評される傾向にある。ついでにその場合、母親の方は非常に高い確率で「子離れできていない」と揶揄される。

そうだ、ここなんだ、子離れできていない母親のイメージをまといたくない、それは格好悪い。それが男児の母のプライドの源泉かもしれない。


出産後、部屋に戻って初めて息子を抱いたとき、「とはいえ、いずれこの子は別の女の人のところに行っちゃうんだよなぁ」と、思った。あぁ、そうか、生まれた直後から、もう始まっていたんだ。プライドの向く先、将来息子の妻となる人への意識。…子離れできていないと格好悪いよなぁ。

まぁ、自分の息子が将来、生涯のパートナーを見つけられるくらい魅力的な人間に成長するかどうか、そっちを心配するのが先か。
あ、いや、かといって、息子にパートナーができたとかできないとか、20年後にもしそんな心配をしているとしたら、それこそ全然「子離れできていない」。


狩野さやか狩野さやか
ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。