今月中旬のニューヨークタイムズに、The Milk Wars(ミルク戦争) というタイトルのオピニオン記事が掲載された。


ニューヨークを拠点に活躍するフリーライターが、娘を出産直後の病院で医師から「粉ミルクは悪だ」と母乳育児を強要された体験を基に、産休/育休が数週間しか取れないアメリカで完全母乳育児を続けることの難しさを訴え、母乳育児礼賛の昨今の風潮に異議を唱えたもの。
アメリカでは5月に発売された雑誌「TIME」が、「Are you mom enough?(あなたは母親として十分ですか?)」の見出しとともに、4歳目前の息子に授乳する母親の写真を表紙に使い、母乳育児に関する全国的な論争を招いたばかり。日本でも、育児雑誌で頻繁に母乳育児特集が組まれるなど、母乳育児全盛の感がある。

ただいま、2歳になったばかりの娘の卒乳作戦真っただ中の筆者。フリーランスという仕事柄、2年以上1日も欠かさず授乳を続けることができたのは、幸運だと思う。しかし、白状してしまうと、崇高な理念を持って今まで完全母乳を続けてきたわけではなく、たまたま母乳の出が良く、「哺乳瓶を洗うのが面倒」「夜中に起きてミルクを作るのが面倒」「泣かれるのが面倒」という理由で、ダラダラ2年が経ってしまったというのが実情。

そして今、「いい加減疲れた」という身勝手な理由で、娘をおっぱいから引き離そうとしているが、これがなかなか大変。漫然と母乳を与え続けたことが良かったのかどうか、自問自答の毎日である。

もちろん、母乳育児の利点は論をまたないし、娘が人並み以上に丈夫で体が大きいのも、母乳のおかげなのかもしれない。しかし、あえて問いたいが、「完母」って、本当に「子どものため」だけ?「完母で育てている」という母親の矜持と自己満足が混じっていないだろうか?

考えてみてほしい。自分自身が母乳かミルクか混合だったかなんて、果たしてどのぐらいの大人が知っているだろう? 筆者自身は、出産を経験して初めて母親に赤ん坊時代のことを尋ね、自分が混合で育てられたことを知った。感想は「ふ~ん、そうだったんだ」である。そこで「完母じゃないんだ…」とショックを受けたり、母親を恨んだりする大人はいないだろう。自分の人生のごくごく初期の一時期、母乳だったかミルクだったかで、その後の人生に影響が及んだと考えたことはあるだろうか?

完母を続けることは並大抵の努力ではできないし、尊敬に値する。しかし、母乳の出には個人差があるし、出が良くても仕事の状況などで母乳育児を断念せざるを得ないケースもあるだろう。完母じゃないことで後ろめたさを感じるのも、完母であることに優越感を感じるのも、どちらもナンセンスだと筆者は考える。

そんなわけで、先のニューヨークタイムズの記事の、母乳かミルクかは母親自身の意思で決めることであり、どの選択も等しく尊重されるべきだという意見には大賛成だし、完全母乳を推奨するなら社会的サポートが必要という意見ももっともだと思う。そもそも、母乳かミルクかというミルク戦争自体が不毛なのである。

筆者自身の意志の弱さもあり、なかなか完全な卒乳には至れない娘と私。私のミルク戦争はもうしばらく続きそうである――。


恩田 和(Nagomi Onda)恩田 和(Nagomi Onda)
全国紙記者、アメリカ大学院留学、鉄道会社広報を経て、2010年に長女を出産。国内外の出産、育児、教育分野の取材を主に手掛ける。2012年5月より南アフリカのヨハネスブルグに在住。アフリカで子育て、取材活動を満喫します!