ロンドン五輪 体操競技で、日本の至宝・内村航平が見事個人種目で金メダルを獲得した。普段から内村航平を「脳内息子」と認定している私としてみたら、この快挙はこの上なく喜ばしい反面、ちょいちょい出てくるツインテールをキめた内村母に対して複雑な感情を抱いてしまう。

しょせん、脳内息子は脳内息子。私がどんなに頑張ろうと(テレビの前でわーきゃー言うだけですけど)、モノホンの母たちには敵うわけがない。


メダリストの母たちは、子どもに自分の持てる力のすべてを注ぎ込む。子どもはそんな思いを受け取り必死に戦う。試合後のインタビューで「支えてくれた母に感謝したい」なんて言ってるのを聞くと、「エエ子やのう……」と勝手に目が潤んでくるのである。

しかし、そこではたと気づく。ここまで母親業を頑張らなければ、「エエ子」は育たないのだろうか。そもそも、私は何をもって「エエ子」としているのか。
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ちょっと前にツイッターで話題になっていた「はるかぜちゃんVS嵐ファン」の戦い。嵐の番組に出演したはるかぜちゃん(子役の春名風花ちゃん)に対し、嵐ファンから「生意気!」「嵐に失礼!」「謝って!」など非難のリプライが殺到したという。
※【参考】はるかぜちゃんがツイッターで嵐ファンを返り討ちして話題に - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2134278608457919401


はるかぜちゃんはもちろん受けた仕事をまっとうしただけ。現実と虚構の区別がつかない熱狂的なファンたちが闇雲に騒いで恥ずかしい思いをしただけという、お粗末なオチだった。

しかしこの騒動で少なからずあったのが、今をときめく嵐と共演しながら、それを「自分の仕事をしただけ」と言い切り、荒れるツイッター民を冷静に捌くはるかぜちゃんに対する「子どもらしくない」というご意見。

はるかぜちゃんが「嵐さんと共演した!かっこよかった!」と少しでも浮かれていたら、ここまで騒ぎは大きくなっていなかったのかもしれない。「子どもらしくない」はるかぜちゃんに、大人たちは若干の恐怖と違和感を覚えたのは間違いないだろう。

そして子どもから「子どもらしさ」を奪う「子役という仕事」に、非難の一瞥を与える。大人にしてみたら、アイドルに浮かれたり、ネットリテラシーを守れなかったりする方がよっぽど「子どもらしく」思うのだ。

その根底には、「子どもは前後の見境もつかず感情のままに訳の分からないことをする、(大人より)劣る人間」という決めつけがある。要するに、「子どもらしさ」というのは大人が作り上げた規格であり、そこにうまいことハマらなければ「エエ子」とは認定されないからだ。

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「子どもらしくない」と非難されがちなもう一つのジャンル、いわゆるJSファッション誌『ニコ☆プチ』(新潮社)を読んでも、同じことを感じる。おおよそ小学生とは思えない大人っぽい顔立ち&スタイルの女の子が、こだわりのファッションに身を包み、メイクを研究し、ネイルもキメる。

そしてイケてる男子との恋に悩んだり、心友(超仲のいい友だちのこと)づくりに奔走したり、スー読(スーパー読モ)やプチモ(専属モデル)に憧れたりするのだ。婚活特集がないだけで、読んでみれば『MORE』(集英社)や『SWEET』(宝島社)となんら内容は変わらない。いや、読者を雑誌の世界へ引き込もうとする力においては、そこいらの女性誌は敵わないかもしれない。

しかし大人は「少女」は許しても、「小さな女」は認めないから、おしゃれに興じる彼女たちとその親を「わざわざ大人みたいな格好させて」と白い眼で見がちである。しかしJS現象を「オワタ」と言う方々の「小学生女子らしいスタイル」を見てみると、おさげ髪に紺のワンピースに白いハイソックスだったりするわけで、その礼賛こそ別ベクトルでおっかなかったりする。

『ニコ☆プチ』を読むと、この子たちが2012年現在の「エエ子」なんだと痛感するのだ。おしゃれに気をつかい、友だち関係に気を配り、家族とも仲良くして、とにかく周りから浮いた存在にならないように細心の注意を払う子どもたちがそこにいる。

浮かないことこそが彼女たちの思う「子どもらしさ」。鼻水垂らして子どもらしいと言われるより、よっぽど難儀だ。

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それでも大人が「子どもらしさ」に囚われてしまうのは、私たち自身が子どもらしい子どもであることを強く要請されてきたからに他ならず、その記憶が自分の規格外にある子どもを無意識に拒んでしまうのだろう。

大人が望む「子どもらしさ」は、もう消滅した。いや、「子どもらしさ」がWindows95からWindows7に更新されたと考えた方がいいのかもしれない。大人が既存のソフトを使おうとしても、ハードが違うのだからしょうがない。

そこに柔軟に対応できるかどうかが、いわゆる毒親か否かを分けるポイントなのだろう。子どもが分からないと嘆く前に、自分は果たして子どもらしいエエ子だったのか、立ち止まる余裕が欲しい。大人が望む子どもをロールプレイングして安住してはいなかったか。私なんて相当クソ生意気なガキだったじゃん、ねえ。

ニコ☆プチネット
http://www.nicopuchi.jp/


西澤 千央(にしざわ ちひろ)西澤 千央(にしざわ ちひろ)
フリーランスライター。一児(男児)の母であるが、実家が近いのをいいことに母親仕事は手抜き気味。「散歩の達人」(交通新聞社) 「QuickJapan」(太田出版)「サイゾーウーマン」などで執筆中。