「モモちゃんが生まれたのは、夏でした。」

この1行から始まる長い長い2人の姉妹の物語。1964年に発刊され、1992年に6冊目の『アカネちゃんの涙の海』で物語は閉じられる。『ちいさいモモちゃん』『モモちゃんとプー』『モモちゃんとアカネちゃん』『ちいさいアカネちゃん』の4冊で記憶が止まっていた私は、モモちゃんが中学生になっていたことを知らなかった。

ふとしたきっかけで、上記の5冊に『アカネちゃんとお客さんのパパ』を加えた6冊すべてを一気読みした。そして、読んでいる間、子どもに戻ったり親になったり、忙しく気持ちが揺さぶられた。

「育児日記×ファンタジー」としての『モモちゃんシリーズ』


小学生のころ、夢中で読んでいた。

「猫のプーがなめる金魚水」「モモちゃんの影をなめたウシオニ」「おいしいものの好きなくまさんが作るとろとろシチュー」「ママのところへ来る死に神」……子どもの読書は食欲や恐怖が記憶にこびりつきやすいのか、「あったあった」と立ち止まりながら読む。文字から描いていたイメージや味が、むくむくと立ち上ってくる。

その懐かしさの対極に、「親である自分」がいてツッコミを入れる。

モモちゃんが生まれた朝、カレーの材料たちやチューインガム、ソフトクリームが食べてもらいにやってくる。「まだまだ、まだですよ。もっと大きくなってから」とママが追い返す場面。子どもの頃は追い返された食べ物たちがかわいそうだ、ぐらいに思っていた。

今は「まだまだまだよ!」と焦るママの気持ちがわかる。
チューインガムなんて、4歳のわが子には今もまだ何となく怖くてあげてないぐらいだ。

続いて、ママがモモちゃんにおっぱいをあげる描写に胸をつかまれる。

「モモちゃんは、ちいさなお口ですいついて、ゴックン、ゴックン、音を立ててのみました。黒い目をあけて、どこかを、じっとみながらね」

授乳中、黒目がちの目をぽーっと開けていた娘や、今まさに乳児の息子が重なる。「どこかを、じっとみながら」。このフレーズが実感として迫ってきた時、自分でうろたえてしまった。ああ、親になってたんだ、私。

子どもたちの描写にあるあると膝を打ちながら、育児日記を盗み読みするような楽しさにあふれている。


(画像:本に出てくる手紙と同じく、4歳の娘に保育園の友だちから届いた「謎文字」の手紙。娘も象形文字を駆使して返事を書いていた。講談社の新装文庫版は、表紙が『よるくま』の酒井駒子さんによるもの。)


ふ、深い!さらっと描かれていた「オトナの事情」に考えこむ


そして、モモちゃんの見ている世界を通じて、親としての自分を反省する。キュウリが水ぼうそうになったと思い、薬に見立てたのりをぬりたくるモモちゃんに、ママは言う。

「まあ、キュウリが、どこへ行ったのかと思ったら、まあ、ぺたぺたにして、まあ、そこらじゅうぺたぺた。モモちゃんの手も。まあ、困った子ですよ」

そう言ってキュウリを持ち去る後ろ姿に、モモちゃんの号泣が鳴り響く。うむむ、似た場面が我が家にもあった。段ボールで彼女が作ったお城を、こっそり撤去して泣かれた日を思い出す。私も数々の娘のファンタジーを叱り、取り上げていた。

夕食にキュウリを使わねばならない、大人の事情。
6畳間の半分を段ボールで埋められては困る、大人の事情。

そんな小さな話だけではなく、『モモちゃんシリーズ』にはもっと深い大人の事情が描かれている。

「ママとパパは、いろいろお話をして、さようならをすることにきめました」

親の離婚、そして別居という事実を子どもたちがどう受け止めていくか。この前後を読み直すと、著者・松谷みよ子さんの心の揺れが刺さってくる。靴だけしか帰って来ない、すなわち帰らない夫のために夕食やお風呂を用意するママに、飼い猫のプーが話しかける。

「それ、パパのためなの?」
「そうねえ」
ママはまた、考えました。
「パパのためかもしれないし、そうでないかもしれないわ。ただ、こんなふうにしているほうが、気がすむのよ」

子どもができて変わる夫婦関係、意地の張り合い、目指すものの違い……長く夫婦をやる中で、大なり小なりぶつかる問題が、さりげなく描かれている。今読むと、痛みを伴う。

そこにぽん、と提示される飼い猫プーの「家庭観」にうなってしまった。

「ぼくねえ、ジャム(プーのお嫁さん猫)んとこへいくでしょ。ジャム、じぶんのごはん、みんなたべちゃってるよ。そうでないときもあるの。そいでね、すやすやねてるときもあるの。でもぼく、やっぱりジャムのとこ、すきだよ。ジャムがいれば、おうちだもん」

猫の台詞に、我が夫を想う。冷蔵庫の物を食べ尽くして洗い物を放り出し、子どもたちと寝ているイビキ寝姿を「あなたがいれば、おうちだもん」と言えるか……「もっと家事やって!」「育児やって!」と肥大する要求の根っこに、結婚当初はダダ漏れだったオット愛が薄れていることを突きつけられる。

子として、親として、親子で。何度も味わいたいロングセラー


子どもの頃の自分と読む。
子どもを重ねながら読む。
大人の事情を感じながら読む。

『ちいさいモモちゃん』シリーズは、親になってからこそ面白い。

最後に、もうひとつの味わい方をおすすめしたい。

子どもの反応を楽しみながら読む。

現在、『ちいさいモモちゃん』を4歳の娘に読み聞かせ中。彼女は新しい傘がうれしくて雨降りごっこをするモモちゃんに共感し、ウシオニがママに叱られる場面に爆笑する。

「いばっとるな、なんでそう、いばるんだ?」
「わたしは、ママだからよ」

ママはそういうなり、ウシオニのおしりを、ペンペンペンと、いやというほどたたきました。

あのころ、ママは家で最強にいばっていた。
今、娘の頭の中に、仁王立ちの自分が見える。

親子の記憶にまた、『モモちゃんとアカネちゃん』の物語が引き継がれていく。

ちいさいモモちゃん (講談社文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/4062770881


山口照美山口照美
広報代行会社(資)企画屋プレス代表。ライター。塾講師のキャリアを活かしたビジネスセミナーや教育講演も行う。妻が家計の9割を担い、夫が家事育児をメインで担う逆転夫婦。いずれ「よくある夫婦の形」になることを願っている。著書に『企画のネタ帳』『コピー力養成講座』など。長女4歳・長男0歳(2012年現在)