人は二分できるというのが私の考えである。「食を楽しみたい人」と「食に興味のない人」の2種類にだ。

えらく雑な二分法と思われるかもしれない。けれど、私の中でこの分け方は、割合に長い歴史を持っている。

最初に断わっておくと、私自身は後者のほうに属する仲間である。正直に言うと、食べるものにも、食べることにも、ほとんど興味も、執着もない。


でもそれじゃあ、「人としてどうか?」「興味を持って関らなければならない問題なんじゃないか?」と思っていたりはするので、頑張って興味を持とうとしている。頑張って、ちゃんと食べようとしている。頑張って、食べさせようとしている。

でも私にとっての「食」というものは、基本的に物心ついたときから15歳ごろまでの間、とにかく苦行であって、決して楽しみではなかったのである。「食べること」は義務であり権利ではなかった。その認知は、いまだ私の人生全体に暗く影を落としている。

さて、こんな食に興味のない私ですら、が、驚き戦慄するような「他人の食」の習慣や実態の話を今回は始めてみようと思っている。戦慄したり驚いたりするのは私だけの感覚かもしれない。皆さんも「え?」と思うかもしれない。分からない。そのくらい、このテの話は、少し、やっかいだ。そして育児に関わり、底が深い。


そう。初めて他人の食に対して、「え?」という明確な驚きが刻まれたのは、私が中1のころだ。西暦でいえば、1987年のこと。

当時は、土曜日も普通に半日授業があり、お弁当を食べてから午後はみっちり部活動、というのが埼玉県西部に住む公立中学生のライフスタイルであった。私もその日、クラスメイトと、放課後教室で弁当を広げていた。

平べったく大きなキャラものタッパの弁当箱に、ぎっしりの白飯、刻みキャベツ、煮込みハンバーグ、ミニトマトにインゲンの胡麻和え……。

25年前のメニューを空で言えるのは、うちの母の作る弁当が、延々だいたい3パターンくらいしかなかったからだ。まあ手は込んでいるものの、決定的にバリエーションが無いのが、私の母の料理の特徴だった。

かく、食に興味が薄くとも食欲は旺盛にあるのが成長期の子どもである。だから、「私も一緒に食べていーい?」と、副担任になった新任の女性体育教師が、薄いコンビニサンドイッチのパッケージひとつを隣りの机の上に、ぽんと置いたのに、そのとき心底ギョッとしたのだ。

「え? せんせ、これしか食べないの?」本当に、すごく、ビックリした。
「せんせ、おべんと、無いの?」

「ないよ」

こともなげに言う先生。

「平日は給食があるからいいんだけど……土曜はねぇ」

「先生のお母さんはお弁当作ってくれないの? 実家なのに?」
「ん~、社会人だもん」
「えー、こんなんじゃ足りないよ、足りるの? せんせえ」
「いいんだよ、ダイエットしてるし……」


……先生、体育教師でしょ?
栄養バランスの観点から言って、それでいいの?!

そのとき、そう思ったのを覚えているが、内申を考慮して、口に出しては言わなかった。(やな子だな)
でも、ひどく、ずっと、モヤモヤしたのも、昨日のことのように覚えている。

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次に驚いたのは、そのおよそ2年後の1989年のことである。日がとっぷり落ちた通学路を、同級生と一緒に帰る道で、彼女が「あー、お腹すいた。でも今日はパパの給料日前日だから、きっと夕飯のおかずは無くて塩だけなんだろうな」とため息を吐いた。

「お給料とおかずに何の関係があるの?!」びっくりして問うと、「え? お金無くなるじゃん。うちのママいつも給料日前は苦しい苦しいおかず買えないって言ってるけど、あんたんち言わないの?」。逆にびっくりして、訊かれた。

「……うち、そんなの聞いたことない……」

奇しくも友人のパパも私の父も同じ公務員で、お給料日も同じだった。だからその日のうちの夕飯も、質素にせいぜいカレーかおでんだろうと目星がついていたのだが、「その程度」の食事も用意できない給料日前、というのがまったく理解と想像の範疇外で驚いたのだ。

思春期の心を複雑な気分にさせたのは、友人の家は立派な旧家で我が家は公務員借家。私は自分の家の方がはるかに貧しいと思っていたので、ここでも、ひどくモヤモヤしたのを覚えているのである。


その後も、ときどき、このテの驚きはやって来た。

大学時代、お嬢系友人実家の夕飯おかずが、週3日業務用冷凍コロッケだけだと聞いた時(千切りキャベツすらも無し、えっ?)。これは、1994年の話。

子どもが高校を卒業した瞬間に、家族の炊事一切を辞めたというバイト先の先輩ママの話(ママは母を卒業したんだって!だから食べて帰らないと家には何もないのー!)にも驚いた。これは、1995年。

夕飯は基本的にスナック菓子しか食べないというサークルの友人もいた。彼女は飲み会の時に「ひさしぶりにご飯の夕飯~」と言い、ここ2日家ではコアラのマーチしか食べてないと言った。実家で、弟とママもそうだと。1996年。

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「栄養バランスの観点から言って、それでいいの?!」というエア問いも空しく、あれから20年近くが経過した。今やもう年賀状のやり取りすら引っ越しにまぎれて途切れ、インターネット時代にもつながらず、彼女たちの消息はもうイマイチつかめずにいる。シリアスに言えば、その所在も、生死も、分からない。

率直に言って、この「驚かせられた」夕飯譚には、驚きのほかに一抹の軽蔑と、かすかな羨望を感じていた、食に興味のない私である。

「それでいいのか?!」「いいはずないでしょ!」「でも、それなのに、なんでいいということになっているの、あなたの家では?!」「理解できない!」「理由が知りたい!」

そんな、あてどない詰問に「うるさいな、うちの勝手でしょ!」と投げつけられたかのようなタイトルの書籍が、『家族の勝手でしょ!写真274枚で見る食卓の喜劇』(岩村 暢子 著/新潮社/発行2010年2月)。この刊行時に読んだ際の衝撃は、だから、言いようのないものがあったのだ。


そのカラー写真の中にある2000年代の「他人の晩ごはん」には、子どもと摂る食卓のおかずとして「うまい棒」が置いてあったり、ご飯代わりの主食としてロールケーキが家族分あったりしたから……。


「食っていったい、なんなの?」


食に興味のなかったはずの私が、得体の知れない食の迷路にはまり込んだのは、おそらく、このときだったのではないかと思う。

次稿、この本のなかみを一緒にみていきたい。


……つづく。


藤原千秋藤原千秋
大手住宅メーカー営業職を経て2001年よりAllAboutガイド。おもに住宅、家事まわりを専門とするライター・アドバイザー。著・監修書に『「ゆる家事」のすすめ いつもの家事がどんどんラクになる!』(高橋書店)『二世帯住宅の考え方・作り方・暮らし方』(学研)等。10歳6歳2歳三女の母。