最初の子どもが自発的活動(=ハイハイ)を開始してこのかた、約10年。筆者の家は、毎日ビックリするほど汚れる。一日掃除をサボるとてきめんに家じゅうがゴミタメ状になり、しかし張り切って掃除した次の瞬間には、辛くも汚される。綺麗な状態が数時間と持つことはない。

その汚し(され)方はいつも、子どもの居なかった時分に想像していたアイディアおよびレベルの斜め上を往く。子どもたちは家を汚すことに関して、いつも革新的手法を試みないではいられない。そこには日進月歩のイノベーションがある。新たな汚しの創出。それは奇想天外な、斬新な、ヨゴシの新機軸だ。

かつて筆者が住宅メーカーで家を売っていた独身時代、大きな掃きだし窓の掃除方法をお客さまに問われて、「窓の内側の汚れなんてせいぜい手垢ですから……(笑)」とかなんとか知ったかぶっていた己がもはや呪わしい。窓ガラスがクレヨンや色ペンの餌食になるなんて、ミカンの果汁でべったりの手「垢」だらけになるなんて、よもや立体鼻水アートが施されてしまうなんて! 考えたこともなかった。

片づけたところで、拭いたところで、またあっという間に汚される。掃いてはこぼされ、吸った先からブチマケられ……。この、無間地獄の如き言いようないやりきれなさどうしようもなさというものは、日常的に子どもの居る住まいを掃除している者・毎度汚されている者にしか分からない感情かもしれない。

しかも、だ。「掃除」は家族からその仕事が感謝されない家事ナンバーワンであろう。感謝どころかやったところで、「やったこと」に気づいてすら、もらえなかったりする。だいたい普段掃除しない輩に限って、家なんて「綺麗で当たり前」くらいに思っていやしないか。掃除に手が回らなければすぐ気づくくせに。

やさぐれていっそ掃除などいっさい放棄し、汚家(おうち)化を決め込むほどには投げやりにも無責任にもなりきれない家庭の「掃除者」には24時間365日休みは無い。でも、嗚呼。「だから」つらい。「時に」苦しい。「そして」哀しい……のだ。


筆者は掃除に関するコンテンツを多く輩出する専業ライターであり、掃除ノウハウの蓄積だけは無駄にあるものの、いち母・いち生活者として日々の掃除をこなしていくそんな「気持ち」の立て方で、幾度となくつまづいた経験がある。

思えばそのピークは、子どもが1人から2人に増え、さらにこの子が自在に動き回り出して、「手が足りない!」とパニックに陥ったあたりだった。その頃から6年。今では三児の母となったが、だいぶん悠々としている(当社比)。

あの終わりなき掃除ウツから離脱するに至った、<マイ「べからず」5ヵ条>がある。今回はここでそれを、ご紹介したい。

「またこの汚い部屋を一人で何とかしないといけないのか……」と辛い気持ちになっているどこかのママの一人にでも、この「べからず」の一項目が役立つなら、嬉しいと思う。

  • 第1条 「達成感を覚えるほど毎日頑張るべからず」
    「こんなに綺麗になった……!」という「達成感」は掃除のモチベーションを高める貴重な「アメ」の一つである。しかし反面これは「ムチ」にもなり得るから、注意だ。なぜなら「達成感」を感じるほど頑張り、結果を示してしまうことが、逆に家族(子ども)に汚されたときの虚脱感や疲労感、ひいては「怒り」をいや増してしまいやすいからだ。

    家が綺麗でも家族間がギシギシし、皆が不幸では意味がない。ゆえに「あえて達成感を感じないレベル」の掃除を日常的には心がけたい。ポイントは「単純・単箇所・短時間・高頻度」である。


  • 第2条 「自分基準を家族に押し付けるべからず」
    真面目な人ほど、自分に課す「掃除レベル」を高めに設定してしまいがちである。しかし「いつ来客が来ても良いように」といった高レベルを目指し、維持したいと思っているのは家族の中で自分だけ、ということも少なくない。

    また家庭内における掃除の高レベル化は、往々にして他の家族が掃除に参加する機会を排除してしまい、ますます自分にかかる重圧を増してしまいがちで結果的に辛くなる一方だ。

    よって、現実的に「必要」なレベル、つまり「子どもがゴミを誤飲しない」「足の裏に汚れが付かない」など低めにゴールを設定、かつ家族の行う掃除の結果にはダメ出しを避けよう。

    「来客前にはこの状態にする」など、最初のうちは掃除直後の写真を撮って目に付くところに貼り可視化しておくと、家族にもゴールのイメージを共有させやすくなるのでおすすめだ。


  • 第3条 「下準備なしに掃除を行うべからず」
    料理の出来・不出来を左右するのがその下準備のあるなしであるように、日々の掃除にも「下準備」は欠かせない。具体的には、住まいのあらゆるモノの「整理整頓」と「不要物処理」を先にこなすこと。これなしに「掃除だけ」を行うことは、実際のところ困難である。

    また、「掃除」と「整理整頓」を混同したまま同時に行おうとした場合、混乱の末に身動きが取れなくなることも多く、これには残念な経験者も多いはずである。

    ただ「整理整頓」には得意不得意があり、実は自分よりも家族の誰かの方が得意だということもある。「整理整頓」「不要物処理」を苦手だと自覚している人は、勇気を出して家族に任せ、委ねてみよう。


  • 第4条 「掃除道具との相性を軽視するべからず」
    近年の住宅建材・住宅設備は日進月歩で改良され、床材や建具、サッシやドアや浴室や便器等に至るまで便利に使い良く進化している。そういった変化の中では親にならった掃除法や、いわゆる「おばあちゃんの知恵」が、掃除の足を引っ張ることもまま起こり得る。しかし逆に、新しい掃除道具がいつも必ず使い良いというわけでもない。

    「住まいと掃除道具」「自分と掃除道具」はどこかで定着してしまうとなかなか新しいやり方や道具に変えられない傾向があるものだが、これを改めて意識し見直してみよう。よりラクな方法、使いやすい掃除道具に出会えるかも知れない。また日常的に「持ち出す、取り出す」のが億劫な掃除道具は無用の長物になりやすい。掃除機の買い替え含め変化を恐れず、試行錯誤してみたい。


  • 第5条 「掃除を自分だけで抱え込むべからず」
    掃除に限らずだが、昨今は親世代からの技術の伝承というよりも、後天的に「ハウ・ツー本」などでやり方を学んで家事に従事しているケースが本流だ。また共働き家庭の増加にも見えるように、家庭内に家事に専従できる人がいない場合も多い。

    掃除は生来身に付いた技術にもとづく特殊な営為ではなく、しくみさえ整えば子どもでも男女問わずとも行うことのできる、家事の中でも容易で安全な部類の作業である。なるべく一人で抱え込まず、家族の数だけ場所やタイミングをシェアし合えるようにしたい。

    方法はベタだが、「お掃除チェック表」「当番表」「お掃除手順表」は地味に効く。往々にして家事は慣れてくると「自分のやり方」に固まりやすいものだが、これを家族間の掃除シェアに生かすには、はっきり項目化するなど明文化するのが早道なのである。


実は、この10年の間で10日間だけ、掃除をした後の家の中がどこもかしこもほとんど汚れなかった期間が、我が家にはある。子どものうちの一人が病気で入院し、他の子は親戚に預けられ、親はその付添のため仮眠時間しか在宅しなかった期間だ。

キッチンで調理する余裕もなかった。湯を溜めた入浴の時間もなかった。ご飯を食べこぼす子どもの居ない食卓はピカピカのまま、床には紙ゴミもおもちゃも散らばらず、うっすらホコリが積もるだけでもその量はほんのわずかでしかなかった。

「家族のいない家は汚れない」

そんな当たり前すぎることを、筆者はこの時初めて、知った。そしていつまでも整然としたままのリビングにうずくまって泣いた。


元気あふれる子どもたちによって毎日ビックリするほど汚される家というのは、本当は、天国なのである。


藤原千秋藤原千秋
大手住宅メーカー営業職を経て2001年よりAllAboutガイド。おもに住宅、家事まわりを専門とするライター・アドバイザー。著・監修書に『「ゆる家事」のすすめ いつもの家事がどんどんラクになる!』(高橋書店)『二世帯住宅の考え方・作り方・暮らし方』(学研)等。10歳6歳2歳三女の母。