「道で会ったおばさんに、『かわいいわね~』って赤ちゃんをいきなり触られたんだけど、手がきれいだったかなぁって気になっちゃって……」というママの声。児童館の赤ちゃんコーナーで、「口に入れちゃダメ!」と片っ端からおもちゃを取り上げるママ。「赤ちゃんの洗濯物は、もちろんパパや大人のものとは別に洗っているよ」というママ。


清潔観念のレベルは上がりやすい


これらの様子、神経質すぎる!と驚くだろうか? どれも私が乳児の子育て期に実際に見聞きしたことで、皆それぞれ真面目に考えて一生懸命悩んだり実行しているだけだ。

実際に気にする内容は個人差がとても大きいから、「どれも気にしすぎ~」とすべてを軽く笑い飛ばす人もいれば、「この気持ちはわかるなぁ」という人もいるだろう。

乳児育児の常識はもともと清潔さへの意識が高い。「外から来た人は手を洗ってから赤ちゃんを触りましょう」とか、「哺乳瓶は消毒しましょう」のように、最初に病院で教えられる注意事項からスタートし、保つべき清潔さについていくつもの自分ルールが出来上がっていく。個人差はあっても、赤ちゃんに対してはワンランク上の清潔レベルをもって接するようになるのは間違いない。

何を読んでも「乳児期は抵抗力が弱いので……」と、書いてあり、気にするなと言っても無理な話だし、赤ちゃんに対してある程度の清潔さを保つことは必要だろう。ただ、この清潔観念が時に神経質なのでは?というレベルに達する傾向があるのも事実だ。


第二子以降は自然におおらかになる


まだ小さい赤ちゃんなのに、砂場で砂だらけの手を口にいれそうになっていたり、公園のせせらぎに腰までザブンとはまってしまったり、そんな微笑ましい光景を見せてくれるのは、たいていお兄ちゃんやお姉ちゃんのいる「下の子」だ。

こういうノビノビした育児っていいなぁと思って、そのお母さんに、「上の子の時からこんな感じだった?」と聞いてみると、答えは「まさかぁ、全然。すごい神経質だったよ~」なのだ。

この違い。第二子以降に自然に生まれるこの余裕は、やはり「結果」を知っているからだろう。どんなに守ったところで、風邪はひく、汚れた物を口にする、それでも元気に育つ、そういう事例を上の子で、現在進行形の結果として身をもって経験しているからだ。

では、第一子育児に襲われやすいあの鉄壁の清潔観念はどこからくるんだろう。


すべてのものが「異物」に見える「ゼロ状態」という原体験


息子が生まれてすぐ、哺乳力が弱く母乳がうまく飲めずに病院判断でミルクも飲ませることになった。「あぁ、早速人工物が入っちゃったなぁ」とその時感じた。なんだか、「異物」が入ったような感覚。

生きる糧であるミルクすら何か「異物」のように感じてしまうのは、客観的に見たら十分おかしい。でも、出産後の私は自然とそんなふうに感じた。

出産を経て、母親は、自分の身体の外側に赤ちゃんが出る、という経験をする。物理的に「体内」から「体外」に出た瞬間、赤ちゃんが外界の影響を受け始める「ゼロ」の状態を目撃してしまうのだ。当たり前のことのようで、これは母としてのすごく重い原体験だ。

自分の「体内」にいたから自分の母乳は赤ちゃんにとって異物だと思わない一方で、ミルクは「異物」に思えてしまう。それくらい、この「ゼロ状態」は、まだ何にも侵されていない「限りなく最初のクリーンな状態」に感じられる。

この「ゼロ状態」の赤ちゃんをなるべく異物にさらさない方がいいはずだ、と思う気持ちが、過度な清潔観念として表れやすいのだろう。「乳児は抵抗力が弱い」というあふれる情報とドラッグストアに並ぶ「赤ちゃん用」除菌グッズにあおられ、さらに清潔レベルを上げて防御する。レベルを下げるリスクを負うのは怖いのだ。

すべての「異物」のおかげで成長もする


母親の体外に出てあらゆる「初めての経験」を繰り返し子どもは発達していく。すべてのものは「異物」であると同時に、とても大切な経験の源だ。

第一子の育児に、第二子以降の育児のようなおおらかさを持つのが難しいのは仕方ない。だからといって、赤ちゃん自身の経験のチャンスを失わせてしまうほどに、過剰な清潔さにとらわれてしまうとしたら、それは残念でもったいない話だ。

過度に守るよりも経験するのが一番、と頭ではわかっていてもなかなか実行出来ないのが、初の育児のしんどさでもある。大切なのはバランス感覚。赤ちゃんにとって大切な経験の芽を摘み取ってしまわない程度に、適度な清潔さのラインが見つけられたらいい。

「ここまで清潔にすれば安全」という正解はなくて、親がどこまで耐えられるか、という気分の問題でしかないこともきっと多いはずだ。

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「ゼロ状態」からスタートしたはずの息子はもう6才。先日夕食の話をしていたら「コロッケがよくねー」と語尾を上げて言った。ん?どこで覚えて来た!その表現!! 「その言い方、全然さまになってなくね?」と言いたいのを必死にこらえて、心で苦笑しながら精一杯の背伸びに付き合ってみる。

こんなことも立派な成長。外からの多様な刺激はいつしかわかりやすくおもしろい形で表出され始める。それを繰り返しているうちに、「限りなく最初のクリーンな状態」なんてどうでもよくなってくる。

親が選んだ刺激と経験だけで子どもは成長できない。


狩野さやか狩野さやか
ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。