平日の午前、電話が鳴った。「ブライダルサービスの○○と申します。ご結婚のお手伝いを……」と始まったので、「もう結婚してるので大丈夫です」と言おうと相手の言葉が途切れるのを待っていたら、「失礼ですがご子息様は……」ときた。
え?うちの子? 「あの、まだ小学生になったばかりなので結構です。」

「それはやり過ぎ!」と笑っていたこと


ついこの前まで幼稚園に通っていた子どもに婚活だなんて!と電話セールスのデータの粗さに苦笑しながら、とはいえ、うちの子結婚できるかなぁ……、それだけの魅力的な人間に成長するかどうか……、いやまて、私はあの子がそういう年齢になったら結婚の心配をして世話をやくような親になるつもりなのか?と自問する。

この前、テレビのニュースが大学の入学式に親が大勢出席しているシーンを紹介していた時、「私の頃は『恥ずかしいから来ないで!』が主流だったのになぁ~」と驚きに揶揄をこめていたじゃないか。

率直に言えば、大学生になった子どもの入学式や卒業式、就活セミナーに出たり、いい年した子どもの結婚の心配をしたり、そんなことを親がするのはやり過ぎだ、と思う……思っていた。

心配してしまう親心


先日小学校の入学式を終え、登校し始めた息子の通学路。途中まで後ろをついて歩き別れたあと、学校脇の横断歩道を渡る後ろ姿を建物の影から見届けた。

あぁ、そうか。この感覚なんだ……。

おそらく、大学生の子どもの入学/卒業式も、いい年した息子の就活や婚活も、基本的には「小学生の初登校を見届ける母」の気持ちと同じなんだろう。親にしてみればごくごく普通に心配してしまう自然な感覚なわけだ。

「親にとって、子どもはいつまでたっても子ども」とよく聞く。正にこれだ。

区切り無く続く子育ての流れの中で、離れ時を失い、ごく自然に、当然のことのように、子どもの年齢に関わらず心配をし続けてしまうのだろう。

小学生になりたてなら、校門まで送って行ったり途中までついていくのも当たり前かもしれない。でも、いくら「子は子」だからといって、例えば30~40代のいい大人が転職後初出勤の日、その親が通勤経路、家を出る時刻、服装の指南、なんてしたらどうだろう。いやそれはさすがにまずい。一般的にはちょっとびっくりするレベルだ。

徐々になのか、どこかを境になのか、子どもの自立と親の干渉のバランスを見極めていかなければいけないのだろう。伴走し続けず、時に俯瞰し、適正な距離を測りながら……。

距離感の難しさ


うちの子もたかだか6年間だけれど、写真を見返してひとつずつ思い出してみれば、随分、変わった。でも、私の息子に対する感覚の変化は、彼の6年分の成長に足りていないかもしれない。

もう小学生だし、べたべたするより投げ出してみよう、と早速通学路途中で離れたその日、「朝から一時間目ずっと泣いて、今日は学童クラブには行かないっ!と言っていますが、お母さんのご都合は……」と学校から電話がかかってきた。

「あぁ、まだ門まで一緒に行った方がよかったかなぁ……」と、本人のプライドと不安のバランスを読み誤った可能性を思う。「いやいやそれが原因じゃなくて、複合的な問題だし……」とそれを打ち消す。子どもの自立に自分の判断がどうしたらプラスに働くのか悩むものの、そこに答えは無い。

どこまでが本人にとってのプラスのサポートになり、どこからが甘やかしになり、どこからが過干渉になるのか……。そこに自信が持てないままひとつひとつ判断して悩みながら進んでいくしかないのだろう。


年頃になって、息子が女の子とデートに出かけるときに、あぁ、その服と今日の映画の選択は微妙じゃないか……なんて心配をする親になっていたくはない。いや、そもそも息子のデートの内容を把握できてしまう距離感てどうなんだ、とも思う。

その頃に干渉しない親に成長できているか、少し不安になってきた。せめて、デートに気づいていないふりはできるようになりたい。

-----

本当は、人一倍体の小さな息子にとって、ランドセルで登校すること自体が結構なチャレンジであることも、小学校のイメージがわかず、知らない人だらけの場所にいる不安感もよくわかる。

でも、母ができるのは、大袈裟な反応をせず、笑って一緒に朝ごはんを食べることくらい。そして、泣きながら歩くあなたと手をつなぎ、何でもないよって顔をして、一緒に学校までの道を歩こう。

最初はとってもこわいかもしれないけど、自分で乗り越えるしかない。大丈夫、みんなが助けてくれる。なんとかなるよ!


狩野さやか狩野さやか
ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。