この春、二人目の妊娠が分かりました。そろそろ第二子を、と思っていた矢先のことだったので、うれしくて、二度目のマタニティライフをうきうきと過ごしていたら、ある時、つわりがぴたりと治まり、微量の出血から稽留流産と診断されました。

手術から数ヵ月が経ち、心身ともにすっかり回復したと思う時もあれば、ふと、「本当だったら今頃妊娠○ヵ月だったのに」と悲しみに暮れる時も。きっとまだ、完全には立ち直れていないのだけど、出血した時から今日に至るまで、身近にいる流産経験者のアドバイスや、ネット上に書かれた体験談に本当に救われたので、今回、思い切って自身の経験を書くことにしました。

今回、現地のドクター(※海外在住のため妊娠から手術に至るまで現地のドクターがかかりつけでした)に言われたことですが、100人の妊婦がいれば、およそ15人がなんらかの形で流産を経験しているそうです。

私自身、第一子を妊娠するまでは、「流産」と聞くと、とても悲劇的で、簡単には触れてはいけないことのように感じていましたが、妊娠して初めて読んだ妊婦の心得本に、15~20%の妊婦が流産を経験する、と書かれていたり、ママ友が、「実はこの子を産む前に流産していて……」と告白してくれたりしていたので、知識として、流産がそれほど珍しくないことは理解しているつもりでした。

一方で、第一子の妊娠・出産はなんのトラブルもなかったため、「自分とは無縁のこと」と、どこかでたかをくくっていたのも事実。でも、起きてしまったのです、自分の身に。

そしていま改めて、【流産は誰の身にも起こりうること】、【悲しいことだけれど、決して恥ずかしいことではないということ】、【極めてプライベートなことではあるけれど、タブー視することでもないこと】、と感じています。
以下、私が流産を体験して、感じたことです。


■手術の前後
微量ながら、突然出血したのが、とある木曜日。初めての経験で焦る一方、微量だったため、翌日に予定していた定期検診まで待ってもいいかな、とのん気に構える自分も。ところが自分の週数と出血をキーワードにネットで検索すると、「流産」の文字が。急に不安になり、診察を受けることにしました。

そして、病室。エコーを見ながら、神妙な面持ちのドクター。画面を見ると、4週間前の検診時から大きさの変わっていない胎児の姿が目に飛び込んできて、一瞬のうちに、良くないことが起こっていると悟りました。

激しく動揺しながら、ドクターの説明を受けました。ドクターが強調していたのが、「胎児に生き続けるだけの強さがなかった」、「自然の摂理(※natureという言葉を何度も使っていました)であること」、「母体には何の問題もないので、次にはきっと元気な赤ちゃんに会える」、ということでした。

週末をはさむのは心配なので、手術は翌金曜日が望ましい、とドクター。今日の明日ではまだ気持ちの整理もついていなかった部分もありましたが、すでに出血の始まっている状態だったため、時間の猶予はなく、翌日に手術を受けることにしました。

ネットでいろいろ検索したところ、日本では一泊の入院になるケースもあるようですが、私の住んでいる国では、手術は日帰りで済みました。初めての全身麻酔でしたが、前後とも驚くほど痛みはなく、あっけないぐらいです。それでもやはり、流産を宣告されてからずっと、涙は止まりませんでした。


■家族について
まさか流産するとは考えていなかったこともあり、2歳の娘には、妊娠が分かってすぐ、「赤ちゃんができるよ!」と伝えていました。幼いながら、お姉ちゃんになれることをとても楽しみにしていた娘。

手術から帰宅して、娘の顔を見ると、また涙があふれてきました。「ママ、どうして泣いてるの?」と尋ねられ、「赤ちゃんいなくなっちゃったの」と言うと、「大丈夫。ここにいるよ」と、自分のお腹をさすってみせる無邪気な娘。また、涙が止まりませんでした。

でも何より、娘に癒され、救われました。元気に生まれて来てくれたことを当たり前のように思っていたけれど、改めて、娘がここにいてくれることに感謝し、愛おしさが増しました。

娘は流産を理解し受け止めるには幼すぎるのか、赤ちゃんがいなくなったことのショックはないようですが、もう少し年上のお子さんだと、きちんとした説明と、心のケアが必要になるかもしれません。

そして、もしかしたら私以上にショックを受け、落ち込んでいたのが夫でした。
前述の通り、妊娠・出産を経験して、周りに流産経験者を何人も知っていた女の私と違い、男性にとっては、「流産」はやはり想像を絶する出来事のようで、立ち直る術を知らないようでした。

手術の際、ドクターが改めて夫にも同様の説明をしてくれ、自分なりにネットを検索したりして少し落ち着いたようですが、流産を経験した夫婦の妻側のケアはもちろん、夫側の心のケアも、社会全体で考えていく必要があるのでは、と感じました。


■立ち直るまで
ネットでの「匿名の」打ち明け話は別にして、流産に関しては、なかなか本当のことを打ち明けにくいものです。

私自身も、周囲には「体調不良」という便利な言葉を多用しましたが、両親や現地、日本の親しい友達には、あえて流産したことを話して、たくさん慰めてもらいました。隠しているよりも、話すことで立ち直れた気がします。

また、「実は私も」と初めて教えてくれた友だちもいて、改めて、流産経験者の多さに気付かされました。

普段、信仰心とは無縁の私ですが、今回は日本の両親にお願いして、赤ちゃんの供養に行ってもらいました。これだけで、少し気持ちが軽くなり、ほっとしました。

私の知る限り、欧米にはない習慣のようですが、こちらで同じ時期に流産を経験した欧州出身の友人は、亡き赤ちゃんの魂を穏やかに祭ることができる素晴らしい習慣だ、とうらやましがっていました。

あとはやはり、夫と慰め合い、励まし合って、元気になれた気がします。とても悲しい経験でしたが、夫婦の絆は以前より強くなったと思います。そして、夫婦とも、娘に対する愛情も一層深いものになりました。

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今でも、芸能人の妊娠、出産のニュースを見ると、「本当だったら私も今頃……」と思ったり、ふと、まっ平らなお腹を見て悲しくなったりします。今後も、出産予定日が近づくと、また悲しみに襲われることでしょう。

でも今回、この手記を残したことで、私自身、前に進むきっかけになりそうな気がします。そして、流産を経験したからこそ、より人の気持ちの分かる人間、女性、母、妻、ライターになれる、ならなければいけないと感じています。

極めてプライベートな体験を、実名で書くことに、迷いもあり、不安もありましたが、この手記で少しでも気持ちの軽くなる方がいれば、幸いです。


恩田 和(Nagomi Onda)恩田 和(Nagomi Onda)
全国紙記者、アメリカ大学院留学、鉄道会社広報を経て、2010年に長女を出産。国内外の出産、育児、教育分野の取材を主に手掛ける。2012年5月より南アフリカのヨハネスブルグに在住。アフリカで子育て、取材活動を満喫します!