明確な原因はないけれど、「私っていったい何のために生きているんだろう」とふさぎこんだり、友だちが楽しげに夜のイベントに出かけている様子を知ってウズウズしたり、ちょっとずつ育児のイライラが蓄積されて抱えきれなくなったとき。

そんな時、どうしていますか?

子どもが0歳のころは、初めてのことで精一杯だったせいかそれほどでもなかったのですが、2歳・イヤイヤ期を迎えている今、親の消耗がハンパないです。夫婦ともに毎日同じくらいのダメージを受けているので、ついなんでもないようなことで当たりが強くなりがちなところは否めません。

そんなわけで、「プチ家出」のお話。

イライラしてもしばらく経つと何であんなに怒ってたのか忘れてしまうから今があるのですが、

Twitterって、便利ですね。
過去ログ、残るんですよね。

ですので、思い出さなくていい情報をいちいち掘り起こしながら、ある日、筆者が『プチ家出」に至った経緯を書き残したいと思います。

「GPSで居場所さらしながら家出するイベントを思いついたんだけど参加する人?」


と企画を立てるものの、わが家で利用していたカーシェアの使い方を知らなかったので、一人で車を出すこともはばかられる。このとき家に自転車はなく、道は暗く、近所に深夜営業の店はマクドナルドだけ、という状況。

すっかり忘れていたけど、私はこんなことを書き残していた。

「私はお外で娯楽がほしいだけなのです。コンビニもないこの街で」
「お母さんたちってこの産後の娯楽ギャップをどう埋めてるの?」


夜中のそんなタイムラインを見た夫が翌朝起床後にひとこと言った。

≪家出するのもいいけど、(カーシェアの)夜間パックで≫

その後、一人でカーシェアの車を借りて運転して戻すという練習をさせられたものの、緊張しすぎてまったくリラックスしない! やっぱり、人の車に乗っけてもらってナンボだよな! ということで私にはこの方法、向かなかったようで……。

しばらくは週末になると夜、親子3人車で出かけ、東京タワーを眺め、新しくなった六本木アマンドの屋根を見て、「もうナンチャンが隠れられないじゃないか」と毎回憤りながら、きらびやかな街を通り過ぎては帰るという穏やかな日々が半年ほど続いたのだった。

しかし、チャイルドシートを軽量品に買い換えた直後、事態は変わる。

子が落ち着かない。
今までおとなしく座ってくれてた子が、まったく落ち着かない。
出かけた先で「帰る!帰る!」と泣き出して中断すること連続して2回。
しかも2回目は蕁麻疹が出てしまったので当然ドライブは打ち切り、そのまま救急外来へ。

不幸中の幸いだったが、かゆい以外はまったく元気で、夜の病院という非日常を完全に楽しんでいる2歳男児の姿がそこにはあった。
その救急外来で楽しそうに元気にはしゃぐ子どもをみて、ポツリ。

≪なんだよ、お前、元気じゃん……≫

だんだん悲しくなって、私、こんなことを書き残しておりました。

「お母さんたち、みんなどうやって死にたくならないようにバランスとってるんでしょうか」


私が娯楽を楽しもうとするたびに息子につぶされることが2週も続くと、私の存在意義ってなんだろうって思い、さすがに息子を恨んでしまうのでそれはよくないし、かといってネガティブになって自分を責め始めて、人として再起不能になってもよくないので、

≪……とりあえず家出だ!≫

病院から帰宅後、夫と子どもが寝たのを確認して脱出。とにかく誰も私のことを知らないところに行こうと、自転車で走ったのだ。

……とりあえず武蔵小山まで行けば充分だろうか。

そこまで行ったらファミレスも、マックじゃないおしゃれバーガーも、カフェバー的なものもきっとあるし。

日曜日の深夜1時に、“子を乗せていない子乗せ自転車”をこぐ女が一人。
そんなホラーを彷彿とさせる女に変質者が近づくこともないし、万が一遭遇したら大声で歌って「より変な人」を装えばいいと、なぜかそこだけは覚悟して自転車をこいでいた。

パルムの端から端まで走って、中原街道から戸越銀座に入り、戸越銀座も端から端まで走り、“商店街 to 商店街”でいいかげんお腹いっぱいになったので、大崎方面に抜けた。所要時間、90分程度。

家出と言うにはショボ過ぎる、でも、まあ、ちょうどいいかな。

【プチ家出のポイント】
▼必要なシチュエーション
・熟睡した子ども
・子の面倒を看られる旦那(妻にいつ何か起きても大丈夫なようにあらかじめ準備しておく必要あり)
・徒歩は危険なので乗り物(自動車、原付、電動アシスト付き自転車など)
・ケータイはオンに
▼行き先
・深夜でもにぎわっているところ。ファミレスなどがあるとベスト
・近場だと知り合いに見つかったときに面倒なのでなるべく遠いところに
▼ルール
・気が済んだら必ず帰ること
・90分一本勝負
・事前にプチ家出の許可を取る


■母たちのアイデンティティ・クライシス


なんか、行き詰まってるなあと感じていた。

変に「文教地区」というか、夜中までやってるあれやこれやがない街は、じわじわ首を絞める感じがあって、近所をフラフラしたら「Mちゃんのママ」ってどこに行っても言われる。知らない人からも言われる。多摩川を越えて、「ここまで来たらさすがに知り合いもいないだろう」と思った神奈川県某駅の構内でも声をかけられたことがある。

なんだろう、もう、息子の顔が広すぎる。お前何なの? ねえ、何なの?

……しんどい。

駆け込み寺みたいな行きつけカフェバー的なものがあればいいけど、地元のそれは限りなく入りづらい。チェーン店くらいの方がありがたい。

でも地元の店に入ったら入ったでまた、「Mちゃんのママ、こんな遅くにどうしたの?」といわれてもめんどくさい。

≪っていうか、わたし「Mちゃんのママ」って名前じゃねえし!≫

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そういえば小学生のころ、よく親に夜連れまわされて、六本木界隈を車で、両親、祖母、私の4人でうろうろした思い出がよみがえる。

毛足の長い、歩きにくいじゅうたん。ホテルの豪華なラウンジで、ボーイさんがポットを両手に持って高い位置から注ぐコーヒーとミルク。できあがる温かいカフェオレ。ふかふかのソファに座る小学生の私。

わずかに残る“バブル”の記憶。

ディスコでシャンデリアが落ちた事件のあったあの夜も、私たちはちょうど六本木にいた。対向車線に何台もの救急車を見送った。

――あのとき、夜連れまわされた思い出は、母の“アイデンティティ・クライシス”を救う行動だったのだろうか。

週末になると「出かけたい! 出かけたい!」になり、車を出してもらっている私は今、まるで自分の母親をトレースしているように思えた。

ワシノ ミカワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在は日本テレビグループ・LIFE VIDEO株式会社のデジタルコンテンツ全般を担当。