お風呂のふたが汚い。10年越えのそのふたは、もうどんなに危険そうな洗浄剤を使っても太刀打ちできないレベルに到達。そろそろ買うしかない。で、これを捨てるには、粗大ごみか。何か他にあったらついでに手配するかな……。

あぁ、ベランダの人目につかない片隅に追いやられた、ぐるぐる巻きの、あれだ!中身は、ベビーカー。

息子は7才になり、さすがにもうベビーカーは使わない。でもなぜか、ビニールに包まれ紐で縛られた怪しげな状態で置いてある。



■なかなか捨てられない(1) ―けっこう高価だったという記憶


ベビーカーは、それなりに値段が高い。

ある程度体がしっかりしてから使えるB型で2万円台、0歳から使えるA型は4~6万円が多い。機能が上がったり珍しさが加わるともっと高くなる。

産後の節約気分満点の時期に、金額と機能とデザインを天秤にかけてえぃっと選ぶから、頑張って買った気分も加わり、なんとなく、特別。

開封済のごま油が戸棚にずっと置きっ放しなんだけれど、高級品だったからなんだか捨てられない……、もう着たら絶対恥ずかしいデザインのスーツなんだけれど、高かったからどうも捨てられない……。そんな感じだ。

■なかなか捨てられない(2) ―そこそこの思い入れ


ベビーカーは、車無しで公共交通機関のみの生活をしていると、本当に毎日よく使う。どこに行くのにも必要だ。

移動手段としてはもちろん、外出先で食事させるときはそのまま椅子代わりになり、昼寝してしまったらそのままベッド代わりになる。子どもにとっては、いわば移動式居住スペースのようなもの。

母親にとっても、育児用品の中では比較的特別な存在だ。外出中ほぼ常に使い続けているから、「いつも使っている」というより、「いつも身につけている」感覚に近い。

中学や高校時代の自分の記憶が、制服のデザインとセットであるように、育児をしている自分は、ベビーカーとセットになって記憶の中に映像として残る。使用頻度が高ければそれなりに思い入れは強くなるだろう。

■なかなか捨てられない(3) ―「次の子」でも使うから


私が育児をスタートしたのは7年前。その頃流行っていたメーカーの当時の新デザインはよく覚えている。だから、今そのデザインのベビーカーを街で見かけると、乗っているのは「下の子」なんだろうなぁ、と反射的に思う。

こんな風に、子育てグッズは第二子・第三子と続けて使われ、母親のキャリアを映し出す。誰だって、単機能で、かつそこそこの値段がする物を、何度も買い直したくはない。

「また使うかもしれないし……」、子育てグッズを保管してしまうことの理由の多くがこれだろう。だいたい、丈夫なのか使用期間が短いからか、子どもがひとり使ったくらいじゃそれほどボロボロにはならないのだ。

しかし、子どもの人数や授かる時期というのは、希望や予定の通りにいくとは限らない。精神的にも物理的にも時間的にも意外と明確な「終わり」が無い場合が多いものだ。だから、また使う「かも」という極めて不明瞭な薄い気分だけが漂い、なんとなく、処分できない。

■しかしずっとは置いておけない「玄関の肥やし」


納戸や物置に十分なスペースのある家ならば、思い出の尽きるまで、ずっと置いておけばいいのかもしれない。でも、狭い集合住宅では、物を置くスペースは貴重だ。とにかくもう、まったく余裕がない。

小さな玄関はベビーカーと三輪車で埋まり、身をよじって出入りする状態。ほぼ使わなくなってからも、室内に収納する余裕は無く、しばらくはベランダのような屋外に保管する気にもなれず、タンスならぬ「玄関の肥やし」と化す。

1年もすると、腰がぶつかるたびに、「ねぇまだここにいるべき?」と問いかけてくるので、「いや、給水車に水をもらいに行くような事態になったら、ほら、台車代わりに……」と答えてやりすごすことになるのだ。

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捨てるのが苦手ながらも、これまで努力していろいろ手放してきた。玄関からベランダの隅に格下げされながらも、幾多の仕分けをしぶとく生き抜いてきたベビーカー。

さて、こんどこそ、お風呂のふたとともに処分できるかどうか……。

あぁ、あの紐を解いて包みを開けて、意外ときれいだったりしたら、きっとまた躊躇するんだろうなぁ。

【関連アーカイブ】
子どものモノを「捨てる」ための心得
http://mamapicks.jp/archives/51903912.html

狩野さやか狩野さやか
ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。