このところ、正直行き詰っていた。
“必殺・イヤイヤ期”の息子は日に日にボキャブラリーを増強し、もはや無敵となった3歳児とどう向き合っていいのか、私は完全に方向を見失っていた。

言うことをきかない子を叱れば、「ああ、これってあんなに怒らなくてもよかったよな」と自分が落ち込んで泣くし、今日は叱らないで過ごす!と決め込んで対応すれば、ストレスが上限に達し、気分が落ちて、やっぱり泣く。
どっちにしろ家に帰ると妻が泣いているのだ。夫の心中、お察しします……としか言えない当事者である。

そんなある日、夫が出張中に彼あてのAmazonのダンボールが届いたので連絡すると「あけていいよ」との返事。どれどれ?とあけてみると、入っていたのは、オライリー・ジャパンから出ている「ギークマム」という本の和訳書だった。


『ギークマム――21世紀のママと家族のための実験、工作、冒険アイデア』(発行:オライリー・ジャパン)

ちなみにオライリーといえば、妙に写実的な動物の絵が表紙のプログラミング言語本がおなじみで、我が家にもラクダの絵が描かれたPerlの本がある。

開封の義を見ながら息子が、移ろいやすい音程でBGM(鼻歌)を繰り出す。
「♪あわてんぼうのー さんたくろーすー」
おいおい、まだ早い、そうじゃない、……いや、もしかしてそうなのか?
最近話題になっていた本なので気になっていたのだ。
もしかして、それを察知してのサプライズプレゼント?

せっかくなので、だいぶ慌ててやってきたAmazonサンタからのプレゼント、ありがたく読み進めることにした。

■“ギーク”ってそもそもなに?


本書の帯には「ギークであることは、何かに対してひたむきになれるということです」と書かれているのだが、ざっくり説明すると「オタク」、とくにコンピュータ系のオタクというニュアンスだろうか。

たとえば、草の根BBS時代からインターネットに親しんでいる、プログラムガリガリ書きます、PC自作は当たり前……など、そんな感じ?
また、アメコミやスターウォーズが好きで収集しているような層もギーク(あるいはもう少し広範囲のジャンルに用いる「ナード」)に含まれるであろう。

本書はそれよりももうちょっと裾野を広げた、サイエンス、手芸、工作、ビデオゲーム、アニメカルチャーのほうにも振っているので、多くの方も読みやすいのではないかと思う。


私はどちらかというとコンピュータ寄りの仕事をしている人間ではあるが、残念ながらド文系である。
高校時代、テストの点数が由来で「3点女」と化学の先生からあだ名されたほどのサイエンスアレルギーの持ち主でもあった。

コンピュータというものに初めて触れたのは、聖子ちゃんがCMしていた「HiTBiT HB-55」という赤いマシンであった。発売時期からして7歳かそこらのころだ。英語が若干読めたので、付属のプログラムの本を見ながら、いとこと一緒に猫が歩くゲームを作った記憶がある。

その後しばらく空き、次にマシンを手にするのは20歳。1996年、「日本におけるインターネットの夜明け」ぐらいのころだ。

この13年ですっかりプログラミングから離れていた私は、ラフォーレ原宿にあった千葉麗子のインターネットカフェにしばらく通い、手始めにインターネットワープロという中途半端なものを買ってもらったのち、ホームページ管理を急に任されたがためにMacを入手する。1997年末のことだった。

「パワーパフガールズ」や「テレタビーズ」といった外国のキャラクターが好きで、部屋中に「PEZ」というお菓子のブリスターパックを貼り付け(数年後ラムネがとけて大惨事に)、テレビの上はコンプしたスターウォーズのボトルキャップであふれ、平日は昼に起きて、Tシャツをシルクスクリーンで作り、ジャンク屋で買ったMacのキーボードや電子パーツを使った光るアクセサリーをちまちま作っては写真を撮り、現像に出し、スキャナーで取り込み、サイトにアップしてのメールオーダー、休みの日はゲームをして、夜中はクラブに行くかインターネットで“社会勉強”……という、典型的なダメニートのような実家暮らしをしていた、20代の前半。

これを「ギーク」と呼ぶかどうかはちょっとわからないところではあるが、まあ、近いものはあるのではないかと思う。

■「ギークなお母さん」の生きづらさ


我が家は、私も夫も似たような趣味なので、共通言語で会話が成立する恵まれた方だと自覚している。新技術には敏感だし、積極的に取り入れようとする(ゆえに貯金がたまらない)。
全自動化と効率化に注力する二人なので、Googleカレンダーで夫婦間のスケジュールを調整しているがこれは大変に便利だ。そしてこの既存の技術をどう応用(ハック)するか。それが楽しくて仕方ない。

このように、夫婦二人の生活では独身のころの生活スタイルを変えずともやっていけるのだが、子どもができた後の環境の変化というのはみなさんも覚えがあるだろう。

ある時期になると子どもが興味を示すので、機械の類を目の前で開けなくなる、小さいパーツのフィギュアは隠さなきゃいけない、ご近所のママさんの目もあるのであまり派手な格好もはばかられる(以前は髪の毛が赤やピンクだった)。子ども中心の暮らしにシフトせざるを得ない中で、うまく「クラスタ変更」できなかった私は、ひどく息苦しさを感じていた。

妊娠がわかったときに、諸先輩方から、「あなたという個の部分はこれからどんどんなくなるよ」「子どもに生活は支配されるよ」といったフレーズをきかされてきたのだが、「じゃあ、私が今まで生きてきたことの意味はいったいなんだったのかしら」。そこがずっと引っかかっていたのだ。

「コドモのドレイになりたくない」「私は私でありたい」──

それはぜいたくでわがままを言っているだけなのだろうか。みんなは違うのだろうか。覆すことは、本当にできないのだろうか。

■「何だ、それだけでよかったのか!」という気づきと安堵


読後の感想を先に言ってしまうと、「救われた」。
それが正直な気持ちだった。

この本は、子どもと一緒に遊べるアイデア集でありながらも、お母さんが楽しく子どもと一緒に遊んで、なんなら自分が率先して楽しんでもいいんだよ!と優しい顔で教えてくれる。子どもができたら「お母さん枠」にクラスタ変更するのではなくて、所属先を一つ増やせばいい。それだけのことだったのに、なんだか3年も苦しんでしまった。

しつけってなんだろうなあと思う日もある。
叱りながらどこかで、「これってそんな悪いことかなあ」と思う自分がどうしてもいる。じゃあ私は何で叱るのでしょう? 体裁?将来を先回りしての心配?「あの親はダメね」って言われることへの恐怖?


ある日、保育園の帰りに、スーパーに置いてある薄いビニール袋を風船代わりにして遊ぶ母子を見た息子が、「あれやりたい」と要求。家に帰って早速やってみると、こんな単純なもので1時間は余裕で遊べる。

しまいには空気清浄機を使って遊びだし、吹き出し口に袋を当てて、手を離すと一気に天井まで袋が飛んでいく。これを何度も繰り返す。楽しい。単純なことがとても楽しい。しかも材料費はかかっていない。

私は急に幼いころをいろいろと思い出した。
誰の発案かわからないのだが、水を張ったお皿にドライアイスを入れて煙を発生させる「ベストテンごっこ」というのを家族でよくやったのだ。昔は今よりドライアイスが入手しやすかったので試したご家庭も多いのではないだろうか。

軍手を紅茶で染色してのぬいぐるみ作りや、ドライヤーの送風口にピンポン玉をセットし宙に浮かせるものなど、家にある簡単なものにちょっと手を加えるだけで、子どもは何時間でもキャッキャして遊ぶ。それには多少サイエンスの知識が必要となるが、遊びながらだと私のような「3点女」でも結構楽しめる。

……つまりは「でんじろう最強説」ということなのか?
(ちなみに最近の若手では、丹佳夫という芸人が、子どもと遊べる化学実験動画をYouTubeにアップしているので、ぜひ検索してみていただきたい)

■親の娯楽も大切に


一時期、学研の「大人の科学」シリーズにハマってふろくを組み立てていたことがある。
アナログリボンシンセサイザーやテルミンなど、引越しの際にしまったままなのだが、今だったら一緒に遊べるのではないだろうか。また、KORGから出ているモノトロンシリーズなど、直感的インターフェースなプチプライスシンセもきっと楽しいだろう。

KORGといえば、本書の中で少し触れられていたが、電子工作キットの「littleBits」というものがある。これは平たく言うと磁石でくっつく電子ブロックなのだが、このシンセキットは音楽好きな「ギークマム」たちにぜひおススメしたい。ブロックの延長線上で電子回路の知識もシンセサイザーの知識も得られてしまう。
これなら、電子回路設計系の夫の賛同も得られるかということで、おもちゃにしては高額ではあるがプレゼンしてみる予定だ。(=つまり自分が欲しいということ)


なお、本書は対象年齢が未就学児から12歳くらいまでと幅広い。小学生向けがメインではあるが、幼児でもそこそこ楽しめるアイデアがつまっている。成長に応じて都度読めるように、百科事典のように手元に置いておくのもいいだろう。

ワシノ ミカワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在は日本テレビグループ・LIFE VIDEO株式会社のデジタルコンテンツ全般を担当。