先日NHK Eテレで放送された、EXILEメンバーがダンスをレクチャーする番組『Eダンス☆アカデミー シーズン2』に、「ロネ&ジージ」というクラウンの二人組が出演し、子どもたちに“声を使わない身体表現”をテーマに、パントマイムなどを教えていた。

クラウンというのは道化師のこと。
「道化師」といえば、日本では「ピエロ」という名称の認知度が高いと思われるが、哀しみを持ち合わせたピエロとはまた異なる、“人々に笑いをもたらすキャラクター”なのだ。

ところで、「なぜ、ここでクラウン?」ということである。

一応ダンス経験者の筆者であるが、“身体表現”という意味ではパントマイムの要素も必要であることに違いない。体を使って喜怒哀楽を表現することが求められるからだ。


たとえば、筆者の息子が敬愛するマイケル・ジャクソンのダンス。
アメリカのダンサー、フレッド・アステアに影響を受けていることは知られているが、ムーンウォークしかり、細かい足さばきのステップしかり、パントマイムやタップの要素もかなり入っている。

ありとあらゆる“身体表現”のジャンルをインプットし、しっかり飲み込んだ上でのアウトプットだからこそ、輝きが出るのであろう。

■パントマイムと幼児の興味


『おかあさんといっしょ』の“ゴッチャ!のおねえさん”が卒業し、“パント!のおねえさん”に交代したのが2012年。

それまで番組を通して、子どもとダンスの親和性に「ああ、自分の子も3歳になったらこうなるのかな」と思っていたところでの交代だったため、正直最初は馴染めず、ダンスに比べて展開も地味だし、出てくる子どもたちもポカーンとしている回が多かったことから、「ほら、ね!」とテレビに向かって誰が答えるわけでもない同意を投げかける日々ではあったのだが、自分の子どもに変化が起こったことから考えを改めることとなった。

テレビを真似しながら見えない風船を作り、それを私に投げてキャッチボールをはじめたのだ。投げ返すと喜んで、しばらく「見えない風船」で遊んでいる。

「大人が思うより、子どもってこういうの好きかもしれないな」。

我々新米親より、もう何十年と3歳児を見つめ続けているスタッフの選択である。その目に狂いはなかったということなのだろう。

さて、パントマイムには大きく分ければ「しゃべらないパフォーマンス」と「しゃべるパフォーマンス」、このふたつがあるように思う。

たとえば、『Beポンキッキ』(BSフジ)などの出演で知られる「が~まるちょば」は、言葉を使わない“サイレント”の部類に入るが、『パント!』の指導を行っているカンジヤマ・マイムはしゃべるほうのパフォーマンスである。

したがって、りさお姉さんもしゃべりながらの進行になっているのだが、年齢の低い幼児においては、しゃべりながら展開するパフォーマンスのほうが集中しやすい傾向があるのかもしれない。

「風船を膨らまそう!」と言われれば「ふうせん!ふくらます!」とインプットされ、「ロボットになった!」と言われればロボットになれるのが3歳児なのだろう。

もちろん、日によっては冷めた目で立ち尽くすクールな幼児も登場するのだが。

■子どもの発想力は不完全な自由


すべての3歳児の何パーセントがそうであるがが気になるところだが、筆者の子は身体表現のジャンルが大変に好きである。ダンス、歌、ジャグリング……。

しかし勝手に好きになったかと言われればそういうわけでもなく、それぞれにきっかけがあった。テレビでの接触や、たまたま街頭で見たパフォーマンス、身近な大人のお手本など。

しかし、ネタだけポンッと渡して「さあ、やってごらん!」ではなかなか動かないということは、これまでにわが子で何度も経験していることであった。

おかげで「きのうみた、おにいさんみたいにやって?」と家でジャグリングをやらされたり、「うたってごらん?」となぜか上からな口調で命令されたりと、親になるってことは体力的にキツいな……と思い知らされつつも、やり始めてエンジンがかかってしまえば、あとは勝手に走り出すので、上手にスイッチを押すコツが大事だと日々思っている。

おもちゃを与えても基本的な使い方を教えてあげないと興味を示さないことはあるだろうし、逆に興味さえ示してしまえば、そのあとは独自の遊びを開発していくのもまた子どもだ。

■その想像力が大人になってから身を助く、かも


近年ニュースを見ていて、若年者による痛ましい事件などが起こるとコメンテーターが「最近の若者の想像力の欠如」というようなことを言っている。

たとえばその事件を起こしたらそのあと自分や家族はどうなるのか。そこで危険運転をしたらその後どうなるのか……など、これらはすべて危機管理能力の問題であるが、知識があって想像力が働けばわかりそうなものである。

対人関係にしたってそうだ。
日本語には同音異義語も多いので、ひとつの言葉を発した際にどんな気持ちで言ったのかを表情や身振りで補足する必要があるだろう。そして受け取る側にもある程度の想像力が必要とされる。

想像力と表現力。相手の気持ちを考える能力と他人に伝える技術。
海外に出ようとしているのであればなおさらだ。

また、社会に出て企画書を書かなきゃならない事態になったとしよう。
企画職以外の場合でも、会社から「斬新な提案を一人ひとつずつ」などと言われて、使ったこともなかったパワポ(パワーポイント)に苦戦したことがかつて筆者にもあった。

斜め上の発想を常に求められる、というのは面白くもありつらくもあったが、自分の発想は本当になかなか常識の枠を出ないなと、何度も落ち込んだことをよく覚えている。

何かに似ているものではなく、まったくゼロから面白そうなものを生み出すにはエネルギーがいる。

当時まだ結婚もしていなかったし、当然子どももいなかったが、身近に子どもがいたら何かの参考にできたかな……と思っていたことはたしかだ。

今、子どもの些細な行動や言動をつい書き留めているのは、そのときの名残なのかもしれない。

■わかりやすく見えているものとのバランス


たとえば、最近のわかりやすいおもちゃの代表に携帯ゲーム機やスマホのアプリがあるだろう。

それらはルールが決められていて、それに従うことでハイスコアが出るし、むちゃくちゃをすれば当然すぐ終わってしまう。解を導き出すまでが楽しい反面、裏ワザなどを除いてその解はひとつであることがほとんどだ。

ルールが決まっている遊びにはほかにも鬼ごっこなど、体を使うものもある。それらは子どもたちでルールを自由にコントロールできるので、小さい子が混ざっていれば「おまめさん」にしてハンデをつけてあげられるだろうし、もっと難解なルールを設定することだってできる。

対して、想像力を必要とする遊びとはなんだろうか。
幼児でいえば、おままごとや積み木、ブロックなどの比較的トラディショナルなものだろう。

これらには正解などない。好きにやって出来上がったものを「これは○○だよ!」と本人が決めればそのものになるのだ。前衛芸術の領域に近いかもしれない。

その代わり終わりもなく、もっとこうしようと思えば永遠に続けることもできるので、どこで線引きをさせるかも、成長の過程で必要だと思っている。

また、ブロックだからってブロックとして遊ぶ必要も、実はない。
コマ回しが非常に大好きな息子なのであるが、先日面談で担任から、丸い形のブロックをコマにしてずっと遊んでいると報告を受けた。

言われてみれば、同級生たちのようにレゴで何か大物を作ったりしている姿は確かに一度も見たことがないのだが、それが回せそうだなと思って回して楽しかったら、今はいいんじゃないかな……と思っている。

かつて自分もウルトラマンのソフビ人形にいろんなポーズをさせたり、それを遠投して友だちと距離を競ったり、チョロQをいかに原形をとどめなく改造するかにハマり、超合金のパーツを別のおもちゃにくっつけて遊ぶという、メーカーの人が知ったら怒りそうな遊びしかしていなかったので、まったく息子に何かを言えた義理ではない。
……というのが一番大きな理由ではあるのだが。


今後続いていく集団生活を考えれば、自由すぎても支障が出るだろうし、型にはまりすぎるのも少し寂しい気がする。

ルールを理解してそれに従って遊ぶ楽しみと、想像力を働かせる遊びをバランスよく楽しめたら一番いいのではないだろうか。

もう自我の芽生えた幼児である。親が口を出しすぎずに、子どもの意思を尊重しつつ、かつ安全に導くスキルを求められているのかもしれない。

ワシノ ミカワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。