9月から学校新年度が始まるアメリカ。ほとんどの学校は9月3日が登校初日だったらしく、私のFacebookのタイムラインは、親がアップした登校直前の小学生から高校生までの子どもの写真で埋め尽くされた。どの子も笑顔で楽しそうだ。


アメリカの学校には日本の学校と、あるいは今の親が通っていた頃の日本の学校とは違うことがいろいろあるが、なかでもアメリカの特徴とも言えそうなのが、数々の「賞」だろう。

賞を出すのは、学校、企業、政府、財団、軍隊などさまざま。
内容も学業成績、スポーツや芸術での成績、ボランティア活動など幅広く、1年に1度だけ受賞者を出すものから、1年に何度も受賞者を出すもの、奨学金がつくものなど、じつに多種多様だ。

また、なかには学校が申し込んでいれば受賞の対象になるものなどもある。例えば、学業成績が優秀な小学生から高校生までが対象になる President's Education Award (http://www2.ed.gov/programs/presedaward/index.html)は、1年の最後に発表されるもので、受賞者には大統領と米国教育長官から賞状が進呈される。

大統領の署名つきの賞とあれば目指す子ども(親?)が多そうだが、「子どもがもらってきた賞状を見て、何かと思ったら、オバマ大統領の署名だった!」とは、豪放磊落な知人の談。しかし、それを目標にしてやってきわけではないのにそんな賞をもらえるほどがんばった子どもは、やはり親として誇らしいのではないだろうか。

これらの賞は、子どものやる気を引き出すためのツールのひとつとも言える。とにかく褒めて子どもをやる気にさせる手法がよく使われるアメリカでは、このように賞がたくさん用意されているのも不思議ではない。


しかし、筆者が住むシアトル学区で2002年から教鞭を取る浩美・ピングリー先生は、「この国では賞が多すぎて、何ももらわなかった人のほうが少ないのではと思います。賞を目標にがんばることは素晴らしく、その過程で得たものは大きいが、賞ががんばる目的になるのは寂しい気がします」と言う。

「賞をもらうのにふさわしい生徒たちはたしかにいます。私の子どもたちが卒業した高校で、次男が卒業した年に卒業生の父兄が寄付をして、その高校の活動に目立たないところで寄与した生徒に贈る賞を作りました。その最初の受賞者は、私が幼稚園から知っている生徒でした。彼はなかなか団体生活になじめず、勉強もほかの生徒たちより苦労していましたが、コンピュータ関係の勉強が好きで、高校のコンピュータの管理をしていました。彼は賞をもらおうと日々活動していたのではありません。ただ、そんな彼のことを認めてくれた学校には拍手を送りたい」。

そんなピングリー先生が終業日にしていることは、受け持った生徒一人ひとりに、その子がよくできるようになったことを認めるような、例えば「縄跳びが上手になったで賞」とか、「怒らなくなったで賞」といった賞をあげることだという。「その賞の名前を聞いた生徒たちは、『それは××君だ』とか『○○ちゃんだ』と言い出します。子どもたちもお互いの成長に気づいているのだと思います」。

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「賞なんかどうでもいいけど、それがやりたい」ことなのか、「賞をもらえるものならやるけれど、賞がもらえないものならやらない」なのか。
前者ならとにかく夢中になって、楽しくてたまらないはずだ。そしてそんなに夢中になった経験は、誰かに賞を与えられたかどうかよりも、はるかに大きく深い威力をやがて発揮しそうな気がする。

大野 拓未大野 拓未
アメリカの大学・大学院を卒業し、自転車業界でOEM営業を経験した後、シアトルの良さをもっと日本人に伝えたくて起業。シアトル初の日本語情報サイト『Junglecity.com』を運営し、取材コーディネート、リサーチ、ウェブサイト構築などを行う。家族は夫と2010年生まれの息子。