私は走っていた。
17時02分の電車に乗らないと、2歳半の息子の保育園のお迎えに間に合わない。
念願のやりたかった仕事。全力投球したい気持ちを抑え、後ろ髪を引かれながら仕事場を後にした。

ギリギリで電車に乗り込むと、1分たりとも時間をムダにできないと、仕事関係の資料を読み込む。最短距離で移動し、最寄り駅の改札口のゲートを出た。時間を確認すると、保育園が閉まるまで、あと9分。また走る。

まさにリアル「24」(TWENTY FOUR)。爆弾ではないが、受け渡しに間に合わないと面倒なことが保育園でおきてしまう……。



保育園が閉まる1分前に、園のドアをあけた。
息子との感動のご対面!とはならず、息子から発せられた一言にうなだれる。

「あっちいけ」

イヤイヤ期が絶好調の息子。私の忙しさに比例するように泣きぐずりが激しくなった。ゴキゲンがよろしくないようですね、わかります。後ろめたいことならゴマンとあるのだ。

朝無理やり起こしたことや、食事をせかしたことや、自ら履こうとした靴下を「時間がない」と履かせたこと……。

あるいは夕方、ほかの園児の迎えがくるたびに、「自分の迎えじゃなかった」と、小さな胸を痛め続けたのかもしれない。


「子どもにかわいそうなことしてる?」と自分を責める。

「もっと時間さえあれば、ダメな母親でなくてすむのに」と唇を噛む。


一方、仕事は時間との戦いだ。
午前中ってこんなに短かったっけと、自席でお昼を早食い。15時には、一日でできる仕事量の少ない現実を前に時計を恨めしく見つめる。そして17時前になると、積み残す仕事の山を前に泣く泣く強制終了するのだ。

上司はきっと深夜まで必死に仕事をすることになるのだろうか。謝りながら、家路を急ぐ。
夜も納得するまで自由に働きたい。悔しい想いでうなだれる。


―― クルマの「遊びがないハンドル」をにぎりながら、綱渡りの日々。
こころのエンジン音が怪しげな音を響かせている。
どの道もうまく走れず、ため息でフロントガラスを曇らせているように感じた。


子どもを産んだ責任が、こころに重くのしかかる。

数週間そんな状態が続いたあと、ひさしぶりに息子とゆっくり遊ぶことができた。
後ろめたさと罪滅ぼしで、懸命に遊んだ。

息子がやけに愛おしい。

私が教えていない単語をしゃべる息子をみて、一抹の寂しさを感じつつも、成長を喜ぶ。増えた乳歯を発見し、息子の姿をそういえばゆっくり見られてなかったなぁーと、痛感した。

陽のあたる何の変哲もない小さな公園で、笑い転げながら駆けずり回る息子。
箸が転がっても面白い年頃って、じつは幼児なのでは?そんなことを感じながら、
「あぁ、いてくれるだけでいい」
そう感じた。肩の力がみるみる抜けていった。


そのとき、脳裏によぎったのは、父の姿だ。
幼いころ父は激務だったので、平日はほとんど顔を合さなかった。
でも休日は、汗をかきながら、どちらが子どもかわからないくらい熱心に遊んでくれた。

あぁ、私、父と同じことをしている。
もしかしたら、自分の存在で父は癒されていたのかもしれない。
そう思えたとき、からだの奥深くが温かくなった。

「いてくれるだけでいい」

親の声が聞こえた気がした。
仕事で思うような成果を出せなくても、完璧な母親でなくても、私は私でいいのだ。自分を許せた気持ちになり、あることに気がついた。

≪自分をいちばん苦しめていたのは、自らを肯定できない自分だったのだ。≫

人生は山あり谷あり。我が子にも、うまくいかないことは起きるだろう。
そんなとき、自らのことをダメ出しして一層苦しくなることは望んでいない。
自らを責めずに起き上がり、前に歩き出してくれたらと願う。

それは親である自分も同じ。「どんな自分でも大丈夫」と、自らの存在を認めてみることが大事なのではないか。

子どもの自己肯定感を育むことは、まずは親が自分自身の自己肯定と向き合うことなのかもしれない。

格好悪くても、悔しい思いをしても、自分を受け入れ歩く親の姿の先に、子どもの自己肯定がある気がするのだ。

どんな状況になっても、肩の力を抜いて無条件に自分を認めたい。
そして、子どもが物心がついたときに、アナタがいて自分を肯定できた話ができたらと思う。

福井 万里福井 万里
大学卒業後、大手システムインテグレータでSEとして10年間勤務も、東日本大震災を機に、本当にやりたいこと(書くこと)を生きがいにと決意し退職。2012年に結婚&長男を出産するも2013年に離婚、シングルマザーに。ライターとして活動を開始。