さて、昨年末にこのようなコラムを書かせていただいた。
早生まれの保活 ―― 現在進行形の実録
http://mamapicks.jp/archives/52165831.html

第二子の出産が2月末になるとわかった段階で、認可保育園の4月入園は難しいことが確定、さらに育休も取れないと判明した。
勤務先の雇用契約期間の都合で、どうしても6月末までに保育園に預けなければならず、認証保育園、保育ママさんなど約30軒に電話をかけたものの、「4月で全部埋まってしまうから」との返事で手ごたえはなく、途方にくれていた……というのが、これまでのお話。

今回はその続きということになる。


■臨月妊婦、保活に奔走する


産休突入まであと1ヵ月となった1月のこと。
健診で不整脈や逆子を指摘され、「比較的安静に」と言われながらも、時々張ってくるおなかをさすりながら通勤し、ひと月に2~3件の認証保育所見学をこなしていった。

この時期になると筆者の居住区では認可園の締め切りも過ぎているため、心なしか認証保育所の対応がやわらかくなっている気がした。

しかし、

「絶対に4月入園したい0歳児の親 VS 絶対に4月に空きを作りたくない保育園」

という、
一見Win-Winなのか“ほこたて”なのかよくわからない構図ができあがっており、説明会に独特の緊張感が漂う中、見学と申し込みがセット、かつ、出産前に書類が出せる保育園には総あたりをかけた。

認証保育所は見学しないと申し込めないところがほとんどなので、正直おなかの大きい妊婦にはつらい。

長男のときにはどこも見学しないまま保育園を決めてしまったという経緯があり、今回はちゃんと自分で見たかったのもあるが、「今じゃないでしょ?」と周りの人が言いたくなるような私の見た目ではあったし、自分自身も後半は心が折れていた。

そういう経験をしてはじめて、認可園の一括申し込みシステムってありがたいなあ、世の中の保育園が全部こうなればいいのに……と思うのだった。

■入院直前、不安に駆られて……


出産を数日後に控えた日、認可園の結果発表があり、各認証保育所はその結果を受けて人数の調整に入るといわれ、再び電話をかけまくることになった。

「5月1日の入園を希望しているものですが、その後いかがでしょうか?」
「ああ……全員埋まっちゃったんですよねー」

このやり取りがおよそ10回ほど続いたところで、「もしかして、どこにも入れないのではないか?」と思い始めた。「何をいまさら?」と思われるだろうが、「いやあ、そんなこといったって最終的にはどっかは入れるでしょ?」という思いがあったからだ。

「いつもだと5~6月までは0歳も空いてるんですよ」といわれた保育園から“ごめんなさい”をされたとき、不安は一気に増した。

そして本当に“切り札”と思っていた認可外保育施設に連絡をすると、ちょうど入園可能枠の発表日だったので、あわせて見学説明会の案内をされた。予定どおり分娩が行われればまだ入院している日程だったので、夫に説明会への参加を打診した。

■出産、からの保活後半戦


出産当日、手術が予定より1時間早まったため、心の準備ができないまま手術室に運ばれた筆者。生まれた瞬間に『ハッピーバースデー』にBGMが切り替わる手術室のニクい演出に苦笑いしながらも、なんとか“中の人”はおなかを卒業して“新生児”と呼ばれるようになった。

しかし、よほど“なにかの中にいる”のが好きだったのか、我が家の新生児はしばらく保育器での暮らしとなる。

「すごく具合が悪いわけでもないけど、外に出せるほど健康でもない。だけど予定帝王切開にはよくあること」。

微妙に不安になる説明を受け、自分も腹の傷や収縮痛と戦い続けていたが、同時進行で保育園の申し込みと問い合わせをしなければならなかった。

最初の数日は夫も休みを取っていたので、土日とあわせて4日ほど、面会に来るたびに“作戦会議”と“申し送り”を繰り返した。

生まれたらすぐに書類を提出してといわれた園も多かったので、生まれた翌日には夫が出生届を出し、その足で各保育園に書類提出。
(FAXや郵送、メール添付可能な園もあったが、手渡しを条件に申し込みを受け付けている園もいくつかあった)

私はといえば、痛いのと忙しいので数日が過ぎていった。

やっと自力で起き上がれるようになったころ、授乳の空き時間にPCを開く。
すると、「ああ、なにやってんだろうなあ」という思いがふつふつとわきあがるのだ。
「一緒に退院できる見込みもまだないのに保育園探しって、いったいなんなんだろうなあ……」それを言っちゃあ、おしまいなのだけど。

■安心はお金で買えるのか?


認可外保育施設の説明会に行った夫から状況を聞いた。

「『今ここにいる人たちは“認可園に入れなかった人”です』っていうところから始まったよ」。

という説明会では、申し込み多数の場合には寄付金の多い順で確定すると話があった。周りからは「10万?10万くらいでいいかな?」と夫婦で相談する声も聞こえたのだという。

「……どうする?」
「……ねえ。」

夕方の病室で重苦しい雰囲気に陥った。

寄付金の話はさておき、とにかく初期費用で20万超を確保しなければならない。
どこから捻出を? 毎月10万ずつ払えるのか? すぐに認可や認証に移れなかったらどうするのか?

考えても考えても、二人の口からは「うーん……」という声しか出せなかった。

「でも、入園が決まったら払うお金であって、まだ決まったわけでは……ハハハ」と苦笑いで話をぼかしているうちに、その連絡はやってきたのだ。

―― 『(件名)入園決定のお知らせ』。

「……どうする?」
「……ねえ。」

またこのループである。
しかも今度は締め切りが3日後に設定されている。時間がない。

切羽詰まって、ありとあらゆるローンの金利比較サイトを病院のベッドで検索し続けたのだが、消費者金融というものに手を出すのはさすがに怖かった。

ぎりぎりのラインでメインバンクのカードローンかな、という話をしていたところ、「へそくり」という名の息子名義の貯金など、総額を合わせたら何とか足りる金額をかき集められたのだ。

生活資金のバッファがなくなることに恐怖はあったが、“背に腹はかえられぬ”である。

「安心を20万で買う、って考えよう。確保してしまえば仕事はあるんだし」。

夫はそのように言い、私は同意した。
私たちは病院のコンビニから指定された金額プラス、わずかではあるが、出せる限りの寄付金を振り込んだ。

■そして、一発逆転ホームラン


認可外保育施設の契約も完了し、とりあえず仕事に復帰できるめどはついた。
契約のときに聞いたのは、意外と認可園に入れてしまってキャンセルが出た、という話だ。

筆者の居住区は、少し前にネットニュースで「保育園に入りやすい街」として紹介され、そのせいなのか大変に流入が多かったそうだ。

そこであせった応募者が、とにかく全部の希望枠に書けるだけ希望園を書いたものの、実際に決まると、「遠くて通えない」とキャンセルが出て、認可園の中だけでも結構な混乱があった、とのこと。

認可園の5月入園枠が発表になる4月1日に筆者は自治体の保育課をたずねた。

「書類を持ってきたんで、あとは希望園を埋めるだけなんですけど」

4月1日に来れば入れそうな園を案内する、と言われていたからだ。

「うーん、たぶん大丈夫じゃないですかね!」

担当の方は、我が家のポイントを確認するとそう言った。
というのも、0歳児クラスに空きのある園が複数あったからだ。

そして、結果発表当日。午前中に珍しく家の電話が鳴る。

「○○保育園ですが」

それは、第4希望の園からの入園案内であった。

その日のうちに私は保育園に書類を取りに向かった。
電車・バスでの移動となり、これが毎日続くのだと再確認する。
送迎に片道45分……やるしかない。

翌々日にはさっそく入園説明会と健康診断、翌週には慣らし保育……と、そこから先の展開は早すぎてもう記憶がおぼろげだ。


現在、すっかりたくましくなった次男は、毎日抱っこひもに揺られてぐっすり眠ったまま登園している。迎えに行くといつも最後で、複数の先生たちに囲まれておとなしくしているのだ。

一方で、契約を済ませていた認可外保育施設にはすぐさま事情を話した。
お金はもう返ってこないものだと思っていたが、保証金以外を返金してくれるというのでそれを待っているところだ。

ドタキャンで嫌がられるだろうなと思ったが、メールでお祝いの言葉を添えていただいた。

登園初日には、道行く見知らぬご婦人方から、「もう預けられたの?よかったわね!」と、“街中で見かける赤ちゃん”にしては小さいほうの2ヵ月児を見て声をかけられた。

「よかったね、みんながお祝いしてくれてるよ」。

……保活の最中、さまざまな施設に生まれる時期を言っただけで拒絶されていた次男のことを不憫に思っていたが、生まれてからはその5倍くらい祝福してもらっているので、本人的に元は取れたのではないだろうか。

「身重の体で、不安な気持ちで保育園見学しまくったのはなんだったのよ!」と正直思わなくもないが、遠いとはいえ認可園に入ったので、結果オーライだろう。

幸い我が家はこのような結果になったが、今年度保育園難民になった方もたくさんいらっしゃることだろう。

願わくば、「待機児童」が本当の意味で解消されることと、生まれ日によって入園可否に大きな差が出てしまうシステムの改善を求めたい。

実際のところ、早生まれ向けにバッファを持っている保育園もあるとは思うが、明言しているところは少ない。世の中の保育園を必要とする皆様が、安心して2月~3月の出産を迎えられるよう、制度を整えていただきたいものだ。

ワシノ ミカワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。