夏祭りの季節。あの縁日の色合いや雰囲気が楽しくて好きだ。まだ息子が幼稚園の頃、近所の夏祭りに出かけた数日後、同じ園のお母さんが笑いながら教えてくれた。

「この前のお祭り、うちのビデオにね、○○くん(=息子の名前)が映ってたの~、しかもちょうど転んだところが!!」

撮影中は気づかなかったものの、あとでビデオを見ていたら、うちの息子が後ろの方に映り込んでいるのを発見した、というわけだ。

■それは背景か?出演者か?


そうそう、家族を撮った写真やビデオには、周りにたまたまいた「知らない人たち」もたくさん映っているものだ。でも、知らない人がいくら映っていても、「背景」として見ているからいちいち気にならない。木や建物と同様に、ひとまとめに背景であり、配色の一部でしかない。

「誰か」のビデオに映りこんだその日の息子は、ただの背景でしかなかった。でも、そのお母さんが「あっ◯◯くん!」と気づいた瞬間、まったく同じ映像の中で、背景から出演者になった。

この、背景から出演者になる瞬間て、ものすごいことだと思うのだ。
日常を眺めるときにも、そんな背景と出演者の区分て、じつはすごくしている。

■自分は他人の背景であるという緊張感 ――邪魔をしてはいけない


公園や道に泣く子を相手する親がいても、多くの人にとってそれはただの背景でしかない。時にノイズですらある。子育てをする前の私にとっても、それらはただの背景でしかなかった。

だから、自分自身が子育てを始めても、「他人にとっての背景でしかない自分」が前提で、とにかく周りに迷惑をかけないことを相当気をつけた。

子どもが電車内や目的地で泣き出さないで済むよう、どこで飲ませてどこで寝かせてどのタイミングで移動するか、四六時中それが頭を離れることはない。出先で泣きわめき、ぐずりの絶頂にいる我が子の相手をしているときも、周りの人の背景である自分が、ノイズ化しているのが気になる。

「うるさくてごめんなさい、今どうにかしようとしています。」

……私は背景だから人の邪魔になってはいけないのだ。

■背景→出演者になる居心地のよさ ――気にかけてもらう安心感


そういう狭い思いが少し変化したのは、私を「背景」にせずに自分のファインダーの「出演者」として小さなひと声をかけてくれる人の存在だ。

子連れだと、電車や道で気軽に声をかけてくれるおばさんがとっても増える。なんだか気分が煮詰まっているときに、「いま何ヵ月?」とか「かわいいわねえ」、「大変ねぇ」とか、そういう他愛もないひと言をかけられると、びっくりするほど気持ちが和らいだり明るくなったりするのだ。

ぐずって大泣きする我が子を連れているときに、ニコニコして「おおっすごい泣いてるなぁ」とあたたかくつぶやくおじさんが通り過ぎ、一瞬気持ちが楽になるなんてこともある。

会話というほどでもないそういうささやかな「接触」程度で、居心地がぐんとよくなる。

自分が誰かにとっての「背景のノイズ」ではなく、「出演者」に昇格して気にかけてもらえた瞬間の経験が、そういう「居心地の良さ」につながったのだろう。

■自分からできることがある


逆に、自分ができることって何だろう。

たとえば、「まだ帰らない!」と公園でぐずる子どもを必死に説得するお母さんを見かければ、「あぁ、大変だよね、いやんなっちゃうよね」と心の中で思う。

でも迷って、ふたりの関係を邪魔しないように、声をかけないでおく。……これだと、まだ私のファインダーの中で背景でしかない。背景のちょっとした出っぱり。

「しんどいですよね、私もよくぐずられて途方にくれて……」とお母さんに声をかける。……これで、背景から出演者になる。

こうやって自分にとっての背景から「出演者」を増やし、ほんのちょっとの図々しさで踏み込んで接触をもつことが、お互いの育児中の孤立感を抑え、安心感につながる可能性は高い。

そして、こういうのが「地域で見守る子育て」のようなものの核なのだと思う。

■大きな実践の始まりは小さなことだった


最近、地域の子育て支援の実践をする方々の話を聞く機会に恵まれた。乳幼児親子の居場所づくりをゼロから始めじっくり育てた方、子どもの貧困に目を向け、学習支援や夕食を皆で食べる「食堂」を運営するなどの活動を定着させている方。

ひとつひとつの実践内容がとても力強く、他地域でのモデルにもなり広がりを見せている。どんなに周到に計画して資金を調達して組織立ててスタートしたんだろう、と思っていた。

ところが、その方々に共通していたのは、なにかその取り組みを始めるために最初に壮大な計画を立てたわけではないということだった。拍子抜けするほど「とりあえず目の前のどうしても気になることに対処した」のが始まりだったのだ。

背景からでっぱって見えたものを、出演者にして、本気で関わっただけ。それが本当の最初の一歩。それを積み重ね広げた結果、大きく育っていった。

「小さな力」ってすごいのだ。

自分にはできる力も時間もないと思う必要もない。こういう大きな活動につながらなくても別にいい。

個人のファインダーのピントを少し変えて、お互いを背景に終わらせず、出演者にして接触をもつ……そんな小さなことを今日自分がちょこっと実行することから、「子育て中の居心地のよさ」や「地域で見守る子育て」が生まれるのだろう。

狩野さやか狩野さやか
ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。