私は都内の会社に、3歳の娘と一緒に、いわゆる「子連れ出勤」をしている。

これは私がフルタイムでの復職を希望し、認可、認証、認可外(高額すぎ)の保育園を諦めて半年ほど経ったころだっただろうか。友人の紹介で子連れ出勤を受け入れる奇特な会社と出会ったことに始まる。


子連れ出勤は娘が1歳7ヵ月頃から始まり、すでに1年半が経とうとしている。
当初はどこまで続けられるのか手探りで、乳幼児から幼児へと変化するこの時期に子連れ出勤を続けてこられたのは、ひとえに会社で働くスタッフさんたちの協力と理解があったからにほかならない。

勤務が半年を過ぎた頃から、個人ブロクで子連れ出勤のようすや悩み、良いところなどを書き残してきた。ブログを始めた理由はいくつかあるが、娘が大きくなった時に、どれだけたくさんの大人たちに大切にされて過ごしていたのか、いつか知ってほしいと思っているからでもある。

さて、そんな私のブログが一度、バズったことがある。
それは2015年7月25日の「子連れ出勤している人の時給を下げましょう、というお話」という投稿だ。
http://www.kozre.com/entry/2015/07/25/114036

タイトルが釣りっぽかったという反省はあるが、当時ブログのアクセスはせいぜい20~30PV/日程度で、釣ろうなんて思いもしていなかった。

さて、このブログの内容をかいつまむと、「子連れ出勤はどうしても子どものお世話時間がかかる。他のスタッフさんに申し訳ないので、給与を下げてほしい」という内容である。

この投稿は400を超えるはてブをもらい、さまざまな意見をもらった。

そのなかに、「時給を下げても生活できるからだ」「稼ぐために働いているんじゃないのだろう」「今後働く人への悪しき前例だ」という意見が散見された。


前置きが長くなったが、この意見は半分当たりで半分違う、という気付きがあった。

私の過去の話になるが、独身の頃はいわゆる内勤のOLで、とくに優秀でも特技があったわけでもない私の名刺には、肩書こそマーケティングや企画という、なんだか楽しそうな部署の名前があったが、実際はデスクでの資料作成がほとんどで、多くの社員の一人に過ぎなかった。

そんな私が持つ仕事観とは、結婚して出産したら仕事を辞めるor休むけど、育児が落ち着いた頃に復職するだろう、という、今考えると本当に絵空事というか、現実感のないボヤ~っとしたイメージだった。

ところが実際は(読者諸姉は重々ご存知のとおり……)、保育園、託児先がないのは当たり前の都会、わが家の場合頼れる親族は田舎という状況。区の資料を見ると、保育不足は3歳以降も続くし、小学校に入学したところで1年に何度もある夏休みなどの長期休暇。子どもはその間どうするのさ?と。

とても計画的に復職できるような状態ではないということに、産んで初めて気がついたのだ。

この頃、「産後の復職がどういう状況なのか、義務教育でも教えてくれればいいのに!」と、産後のピリピリ期も相まって、不毛な怒りを持っていたものだ。


―― そんな私が子連れ出勤の機会に恵まれた。
最初は懐疑的で恐る恐る始めたという表現がぴったりで、本来仕事を覚えなければいけないのにも関わらず、子どもの安全とまわりで働くスタッフさんたちへの迷惑ばかりを気にしていた。

そんななかで、子連れ出勤は明らかに子どものお世話時間がかかる事実に気が付く。

当時、会社の立場としては、「子どものお世話時間はトイレ休憩やタバコ休憩といったカテゴリと同じものという認識なので、気にしないで」というスタンスだったのだが、こちらの気持ちがどうにも落ち着かない。

つねに申し訳なさのなかにいた私は、オムツ替えや授乳、昼食も急かすように焦るように行っており、娘にとっても決してよい状態でもよい母親でもなかったと思う。


その後、会社の方々も時間をかけて思案し、さらに社内でも幾度となく議論をしていただいたようで、子連れスタッフの任意&時給ではなく、“みなしお世話時間を引く”というスタイルが作られた。

労働者が自ら給与を下げて欲しいと進言するのは、過去の私が持っていた仕事観からすると考えられない。

けれども、子を産んだ私に与えられた針の穴のような奇跡のチャンスを、できるだけ長く続けてゆくために、このような調整が必要だったのだと考えている。

かなり性善説に立った仕組みなので、万人に有効かといえばそれは疑問だ。しかしながら、子連れ出勤という未知の取り組みは、会社、従業員、親、子ども、すべてにとって未知であり、試行錯誤の中から最適なスタイルを探してゆくことが不可欠だ。

そして、私と娘が子連れ出勤を心身とも健康的に続けるためには、“みなしお世話時間”を引いてもらうことが不可欠だった。

なぜなら、泣いたらあやし、穏やかに授乳をし、笑いかけながらオムツ替えをするということを、申し訳ないというストレスなく行えるようにすることで、安定して出勤を続けてくることができたからだ。


この制度導入後、周囲への配慮の気持ちは消えていないが、過剰に申し訳ないと萎縮し続けることがなくなり、娘とのコミュニケーションにも良い結果が出た。

さらに、子連れ出勤において、子どもの機嫌を損ねないというのは重要なファクターだが、そういう意味で、周囲のスタッフの方々へもよい結果となったのではないかと感じている。

私のブログに寄せられた、「時給を下げても生活できるからだ」「稼ぐために働いているんじゃないのだろう」「今後働く人への悪しき前例だ」という意見には、給与が下がることを申し出ている以上、そのとおりかもしれないと一度納得しかけた。

しかし、“みなしお世話時間”の制度がなければ、私はもっと早くに子連れ出勤を止めていただろう。

そしてもし辞めていれば、手に職のない私が子どもの成長を待って再就職をするときがいつになるのか、できたとしても40歳を過ぎて10年以上のブランクをもった私が就ける仕事はかなり限られるだろう、と思うにつけ、子連れ出勤を続けられることで得られる「勤続」というメリットは、みなしお世話時間のマイナスを補って余りあると考えるのである。

働かねばならない事情、保育施設が足りない事情は、一人ひとりの親の力ではどうすることもできないと思うほど高い壁となって、私たちの前に立ちはだかる。

私は保育行政ありきではなく、当事者同士で作り上げている「子連れ出勤」というスタイルの中に、育児と就業を取り巻く課題解決の希望があると感じている。

【関連アーカイブ】
「子連れ出勤」が働き方の選択肢のひとつになるために当事者として考えたこと
http://mamapicks.jp/archives/52186638.html

望月 町子
リクルートや大手飲食チェーンでマーケティング職を経験。切迫流産の診断を受けたことで妊娠初期に会社を辞めるも、産後は子どもが1歳半になったころから“子連れ出勤”を開始、日々をブログ「1歳からの子連れ出勤」に綴る。夫と3歳になる娘の3人暮らし。