ひとりで歩いていた時のこと。ちょっとよろけて右側にルートがずれた直後、後ろから来た自転車が追い抜きざまに、ごちゃごちゃっと恨み言と舌打ちのまざったかたまりを吐きすてていった。自転車は子ども乗せ自転車で、運転していたのは男性。夕方の送迎タイムだったから、彼も何かすごく急いでどこかに向かうところで、ひどくイラついていたのだろう。

■たしかにひやりとするけれど……


いや、わかるよ。私も子ども乗せ自転車で走っている時に、前の人が急にルートを変えたりするとひやりとする。通常は相当気を遣っていても、道路事情は悪いし、ひどいイライラモードのときは、文句のひとつも言いたくなったりも、そりゃぁまぁ、する。

でも、絶対にそれを口に出しては言わないし、舌打ちもしない。模範解答的な意図ではなく、もっと何か違うレベルで大きな抑止力が働いているからだ。

■「親」ラベルという抑止力


抑止力になるのは、子ども乗せ自転車という「親」のラベル。

もし私が自転車で追い抜きざまに舌打ちをしたら、それは「通行人に舌打ちした女性」ではなく、「通行人に舌打ちした誰かのお母さん」になってしまうという意識が常に頭の隅にある。「ノンジャンル女性」ではなく「母」というラベルが自分の前面についているから、「そういうお母さんはまずいよなぁ、避けたいなぁ」というのがシンプルに抑止力になる。

「◯◯くんのお母さん」と特定される可能性があるから下手なことはできない、というのもゼロではないけれど、もっとベースの部分で「親」モードが起動して、「それをやるのはまずいよね」という「親タブー」な項目が頭にセットされる感じだ。

子ども乗せ自転車なんて、子どもを乗せていようが乗せてまいが「親」という名札をつけているに等しいわけで、一番言動に気をつけそうなもの。ところが、そのお父さんは、「親」ラベルを背負っているにも関わらず、苛立ちを吐けてしまった。

これ多分、そのイラつきを私に舌打ちでぶつける前に、「親モード」が起動していたら、抑制できたんじゃないかと思うのだ。

舌打ちした瞬間、多分あの男性は自分が「お父さん」だと見られているという自覚はなかっただろう。素で「ノンジャンルの男性」「普通のイラついた男性」だったんだろうなぁ、と思う。そこに、違いを感じた。

■「親ラベル」から比較的自由な男性


もちろん人によっていろいろだけれど、どちらかというと男性の方が、「親ラベル」とか「親タブー」から自由な傾向はあると思う。

例えば、自宅で制作系の仕事をしていると、資料探しで本屋にじっくり滞在したいことがあるのだけれど、「子どもを預けているのに本屋にいた」とかそういう見え方になっちゃうのかなぁ、とか、いらぬ心配をしたりもする。誰が監視をしているわけでも何か言われたことがあるわけでも全然ないのに。

一方、同様に自宅近くで仕事をしている夫はまったく気にしている様子もない。何時だろうと、本屋に資料を見に行く必要があれば、全然気にせず行く。

似たような仕事スタイルの母親同士で話をすると、たいてい、この手の近所でのふらふらした振る舞いにいらぬ気を遣っている場合が多いのだけれど、それとは大違いだ。

気楽でいいよね、と皮肉を言いたくなる一方で、自分が気にしていることのばかばかしさも自覚させられる。

その自由さがどこか頭にもくるし、くやしかったりすることもあるけれど、それくらい自由でいいはずなんだよなぁ。

■育児が日常の父は増えている


舌打ちのお父さんも、その行為自体はマナー違反で嫌だったけれど、子ども乗せ自転車に乗っていても舌打ちできちゃうくらい「親タブーから自由」っていうことなのかもしれない。

これがまだ初々しいパパというのはもうちょっと様子が違って、電車で単独ベビーカー外出している姿も、「パパである俺どう見えてる?」っていう外からの視線への緊張感にあふれていて、自意識が際立ち、対照的だ。

だから、あのお父さんは、それだけナチュラルに育児が自分の日常に組み込まれている「育児の当事者」だったのだろう。それくらい、育児が普通のことになっている男性は少しずつだとしても確実に増えている。街中や公園で見る光景のお父さん率は明らかに高くなってきた。

■「親タブー」が崩れるのは悪いことじゃない


女性の方が、多かれ少なかれどこか「母親像」のようなものを背負いやすい。そういう背負い感の少ない男性が、育児の日常の現場にごちゃまぜに入り込んでくれば、「親タブー」がいい具合に解体されていくような気がする。

マナー違反やルール違反は別の問題として、何か規範が崩れるとかそういことではなく、むしろ、「お母さんが勝手に背負っているもの」をいい意味で壊してくれる可能性を持っている。そういう作用があったらいいなぁ、と思う。

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男性の育児が日常になれば、より多様な大人が育児に関われるようになる。それはすごくいいことだ。親タブーに無頓着であることを揶揄するよりもひとつの形態と見る、自分も少しずつ変化する……そういうことが「多様性」には大切なのかもしれない。

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狩野さやか狩野さやか
Studio947でデザイナーとしてウェブやアプリの制作に携わる。自身の子育てがきっかけで、子育てやそれに伴う親の問題について興味を持ち、現在「patomato」を主宰しワークショップを行うほか、「ict-toolbox」ではICT教育系の情報発信も。2006年生まれの息子と夫の3人で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者資格有り。