日ごろ、仕事で企業の人事や経営者を取材することが多い。テーマはダイバーシティ、女性管理職、女性活躍のための男性管理職への教育など。「働く母」や人事部のエライ人の話を聞いていると、さまざまな思いが浮かんでくる。こぼれた思いをつづってみたい。

■働かざる者食うべからず?


そもそも「働く」ことに関して個人的な思いを言うと、

「働かざるもの食うべからず」

自分の食いぶちは自分で稼げ、と言い聞かせてここまできた。

そう思う背景には生い立ちが影響している、と思っている。
父は教員、母は専業主婦……だったはずだが、私が小6くらいのころから母がパートを始めた。郊外に大きな家を購入した時期と重なる。きょうだいは4人。すぐ下の弟は野球少年で、野球の強い私立中学への進学を希望していた。

母は自分のキャリアのためでも、社会との接点を求めるためでもなく、経済的な理由から働き始めたのだった。ファミレスのパートから、やがて保険の外交員となり、やりだしたら性にあったらしく、楽しげにのめりこんでいった……と、娘としては思いたいが、口癖は「あなたはお金持ちと結婚しなさい」「女性もずっと働けるから公務員になりなさい」。
お金には相当苦労していたようである。

食卓のカレンダーには、父と母の間での「お金の貸し借り」が記載されていた。
ほとんどは「母が父に借りたお金の金額」であった。母が不憫に思えた。自分で稼ぎ、自分で経済設計したい。オトコの稼ぎに左右されたくない。いつからか、そう思うようになった。

しかし、同じ両親同じ家庭で育った妹は正反対の考えだった。
「お金で苦労はさせない」と言う(そしてそれを実行できそうな)男性と結婚、幼稚園教諭の仕事を2年ほどで辞めて家庭に入った。
実際にお金には困っていないようで、趣味に地域活動に忙しそうだ。

■子どもの手が離れ、働きたいけど、見つからない


バブル世代の私の高校時代の友人の多くは、短大→一流企業就職→寿退社であった。
出産後の数年間は会った記憶はほとんどない。当時の母たちは、今のように夜に子連れで居酒屋に出入りするようなことはタブーであった。同級生に15~20年ほど遅れて母となった私は、保育園のママ友たちと子連れで居酒屋に行き、そこで夕食をすましたりもしていたが。

同級生が子育てに奮闘中のその当時、私は独身を謳歌していた。
たまに彼女たちと会っても、話題が合わない。子育ての話題に、「ふーん、そうなんだ」とあいづちを打つくらいだった。

ときは移ろい、私は38歳でまさかの妊娠。やむなく入籍という、一般とは逆進行で家族を持つようになった。すでに会社員からは脱落していた私には、育休も産休もなく、ペースダウンしながらも仕事は細々と続けた。会社員だったら、続けられていなかったかもしれないと、ときどき思う。

そして現在、私の同級生の子どもたちは、大学や社会人、中には孫もいておばあちゃんになった人もいる。小さくてもせいぜい中学生だ。そりゃ50歳だから、そんなもの。

そして彼女たちは言う。

「子どもの手が離れたし、仕事したいけれど、見つからない」

正確に言うと、子どもが小学校高学年や中学生になった頃から「働き口」を探していた人が多かった。

■女も働け、というけれど。


先日取材した管理職の女性は娘が一人。
早朝会議に遅くまでの残業、海外出張もある。
頼みの綱はやはり自分の親やパートナーの親だった。
保育園も利用するが、自分の帰りが夜遅いので平日5日間は泊まりできてもらい、週末に帰ってもらうパターンでしのいだという。

「そこまでして、なぜ?」思うわずそう聞いた。

「仕事が楽しい。会社も好き。自分を育ててくれた会社に貢献したい」
給与もそれなりにもらえるし、キャリアアップもできる。さまざまな制度ができて、会社のバックアップも整ってきている――そんな恵まれた環境も後押ししているのは間違いない。子どもを預けてまでやりたい、と思える仕事に出会えていれば、ある意味幸せだ。

制度の有無にかかわらず、「仕事を続けたい」人は上に直訴して続けてきたのだろう。
でも一方で、そこまでしなくてもいい、と退職を選ぶ人の心理もわかる。

私は「続けられるなら続けたいけど、無理ならいいや」程度だった。
実際、夫も「無理して働かなくていい」。でも、実際に経済的な面から言うと、夫だけのサラリーでは「現状の生活レベル」は維持できなかったことが判明するのに時間はかからなかった。結果的に経済面を考えると、二人が働くのはリスク回避として必要だった。

幸い激戦区に住まいながらも長女は1歳から、次女は6ヵ月から保育園に預けることができた。が、入れたって、送迎や急な呼び出しの問題は残る。周囲のサポートがなくては働き続けるのは難しい。

とどのつまり、「仕事が好き」で「育児のケアをしてくれる人が自分のほかにいる」ことが、「子どもをもって働きつづけられる」条件なのかもしれない。

■ツケはあとからやってくる?


「今まで何も見ていなかったくせに、何今ごろ言ってんの?」

そう長女に言われたのは、彼女が小4くらいのとき。
塾の保護者会で、あんなこと、こんなことがわかり、帰宅後、それを長女に問いただした時である。……何も反論できなかった。

たしかに。
おとなしくて、わがままは言わず、何でも自分でやる、手のかからない子。
そう勝手に思い込んでいて、学校のこと、塾のこと、生活のこと……きちんと目配り気配りできていなかった。
でも、本人もとくに何も言わないし、そんなもの、と放置していた。

でも……と回想してみると、彼女が「言いたい」時、私は向き合っていなかった。
自宅作業も多いので、自宅にいるときは90%PCに向き合っている。

子どもの帰宅時も、「おかえり」と一応顔は彼女に向けても、体はPCから離れない。次第に彼女も私に言わなくなった。
「どうせ、パソコン見ているでしょ。話きいていないでしょ」と、後に言われた。

先の言葉は、自分でやる子、だとたかをくくっていて、放任していたツケを自覚した瞬間だった。

専業主婦で男の子の母である妹からは、こう言われた。

「お姉ちゃんは結局、仕事が好きなんでしょ。自分のことのほうが大事なんでしょ。だから放っておけるんだよ」

……まあ、仕事は好きだけど、自分が大事っていうのは……そ、そんなことは……そう、かな、そうかも……

先日取材した女性管理職の面々もこう言っていた。
「子どもを育てる人生と、仕事をする人生があるとしたら、明らかに後者に比重を置いています」

こういうことは、リンゴとミカンどっちが好き?というレベル、嗜好の違い程度、のような気がするのだが、そういっては妹に怒られるだろうか。

あるジャーナリストは、優秀なワーママを何人も取材後、こんな感想を述べていた。

「みんな、自分が大好き。子どもは犬くらいにしか思っていない。餌を与えて、自分の時間のあるときには、かわいがって。そして癒しをもらって、さあ、明日もがんばろう、って」

……犬、かあ。

みんながみんなそんなバリバリではないだろうし、「ほどほど」にバランスよく働きたいと思っている、あるいは実際にそうしている母もいるとは思う。でも、「女性活躍」の文字を見聞きするたび、モヤッとした思いが募る。そんな中途半端な意識では許されないのかなあ、と。

■「健全な淘汰」の時代は……


「制度が整っていない時代、よほど仕事を続けようという意識のある人でない限り、子を産んで復帰するという選択はしなかった時代のほうが、健全に淘汰されていたのでは」とは、やはりある管理職のワーママの言葉。ものすごく納得した。

今では制度が整いすぎて、「利用しないとソン」状態。おまけに国も会社も「女、働け、妊娠しても、出産しても、こんな制度あんな制度があるから、安心して仕事を続けて」と、発破をかける。

とばっちりを食うのは、同じ職場にいる子を持たない人びと。
「独身で一人暮らし」の身軽な男女が、育休、時短制度などによって穴が空いた部分を埋めざるを得ない。

「腑に落ちないよー、でもそんなの言えるムードじゃない」とは友人の50代独身女性。
別の幼なじみの独身女性も、「同じチームの子、育休から復帰したと思ったら、二人目の不妊治療で通院したいと、早退ばかり。でも人の補充はなし。結局私が延々とフォローするはめに」と嘆いていた。

それを上司がちゃんと見て、ちゃんと評価するなり適切なマネジメントをするなりしていればいいものの、そうでない場合は、不満がくすぶる。

制度があろうとなかろうと、自分のやりたい仕事をしつつ、迷惑をかけない配慮のできる「できる女性」と、制度があるんだから活用しなきゃと、さほど全体を考えていない「ぶらさがり女性」と。ある人事の男性は、そのどちらのタイプなのかの見極めが難しい、と言っていた。

思うに、制度よりも、当の女性が、これまでどんな仕事をしてきて、周囲とどんな関係性を築けてきたか、が、復職後に大きく影響してくるのだろう。

こんなふうに働きたい、こう貢献していきたい。「自分の今後」をきちんと伝えられる女性が、会社からも残ってほしいと切望されるのは当たり前だ。

猫も杓子も一律に働かなくてもいいと思うし、ライフイベントの状況によってスローになったり突っ走ったり、でいいと思う。ただ、「働く」ということが自分にとってどんな意味をもつのか、ちゃんと考えていることは必要だろう。

■子どもにとってはどうなの?


もうひとつ、常々感じているのは、「当の子どもにとってどうなのか」ということがおざなりになっているような気がしてならないこと。

そりゃ、毎日夜10時まで預かってくれて夕食も提供してくれる保育所はありがたいが……うーん。保育園がたくさんできればいいってものでもないと思うし。

今は小6の長女の保育園の卒園式。
園児一人ひとりが、卒園証書を受け取った後、保護者に「○○してくれて、ありがとう」というのが恒例だった。

ある男の子が言ったのは「お母さん、毎日ぼくたちのために働いてくれてありがとう」。会場からは一斉にハナをすする音が聞こえた。悪戦苦闘してきたけれど、働くのも悪くない、と思えたシーンだった。

いきがい、やりがいをどこに求めるかは、人それぞれ。
パートナーとたくさん議論し、いろいろなやり方を試してみて、気づいたら子どもも成長していた、なんてなればいいと思う。だから、やはりパートナーとのコミュニケーションはとっても大事。

夫婦ともに多忙ななか、どうパートナーとコミュニケーションをとっているのか、他の夫婦のみなさんの「やりくり」が気になる今日このごろである。

江頭紀子江頭紀子
調査会社で情報誌作成に携わった後、シンクタンクにて経営・経済に関する情報収集、コーディネートを行いつつ広報誌も作成。現在は経営、人材、ISOなど産業界のトピックを中心に、子育て、食生活、町歩きなどのテーマで執筆活動。世田谷区在住、二女の母。