なんだか数日、私の態度が息子に対してきつくなっていた。最近結構いいバランスでまわっていたのに。ちょっとしたきっかけで、もう少し彼の世界を広げないとまずいんじゃないか、と、私が思ったのが原因だ。いやいやまだだ……と気持ちを引っ込め、のんびりモードにもどりながら、去年観た映画『ルーム』のことを思い出した。

映画『ルーム ROOM』 公式サイト
http://gaga.ne.jp/room/index.html

この作品は、ある事情で納屋に長く監禁されている女性とその子どもの話だ。子どもは生まれてから一度もそこから出たことがなく、外に自分たち以外の人間がいて、広い世界があることすら知らず5歳の誕生日を迎える。

母親は、どうにかこの子に広い世界を見せようと、脱出計画を試みる。その先ふたりがどうなるのかも含めて、全体に抑えたトーンで淡々と描かれる映画だ。


■3メートル四方の幸せ


ふたりの生活空間であるその「ルーム」は、10フィート(3メートルちょっと)四方のごく狭い空間。監禁している主が、定期的に食料などを届け、電気と水道がある生活をしている。

外の世界から見たら、それは劣悪で特殊すぎて不健全な環境でしかない。

でも、ママは息子のジャックに対してとても前向きで明るく、たくさんの工夫をしていて、「ルーム」が世界のすべてであるジャックは特に不自由なく暮らしている。大好きなママとの日常がそこで繰り返されるだけだ。

脱出後、ジャックは社会的にまともで安全な環境に身を置くのだけれど、ママが直面する困難さにより、ママと一緒に過ごせる時間は減ってしまう。

どう考えたって脱出後のジャックの生活の方が幸福なはずだ。でも、彼の視点で見る限り、ジャック自身はちっとも幸せそうじゃない。温かくて優しい大人に囲まれていても、大好きなママはそばにいない。彼にとっては、明るくて元気なママと常に一緒にいられるあの「ルーム」での時間の方が幸せだったのかもしれない、と思えてくる。

少年の甘えたい気持ちが怒りに転じて泣き怒るさまは、親としてはものすごくリアルで、痛い。「ルーム」から出て、彼が動ける空間と手に入れた自由と権利は考えられないほど広がったけれど、彼の3メートル四方の空気は、幸せではなくなってしまった。

ジャックにとっての幸福って何だろう。外側から見た幸せっていうのがどれほど彼にとって意味があるんだろうか……。

■大人の思う「狭い世界」が子どもの「リアル」


そんなジャックを見ていて思ったのは、じつはジャックに限らず、子どもにとっての幸せって、本人を中心とした3メートル四方くらいで決まっているんだよな、ということだ。狭い家の中の母親との関係、園や学校での自分の周囲のごく狭い範囲……。

大人から見たら、それはすごく狭い。小さいところでおさまるなとか、小さい世界で悩む必要はない、なんて簡単に言うけれど、それは大人だから言えることで、子ども自身にとってはその3メートル四方が全てであり、せいいっぱいのリアルな「広い世界」の大きさ。その中で十分悩んだり苦しんだり、楽しんだりしている。

大人は、子どもに「もっと広い世界」を見せたい、と思いがちだ。もう一段引っ張り上げたいと思う時、少し先のことや将来のことを考えた時、「あなたのためを思って」、新たなプレッシャーを与えて力を引きだそうとする。

「もっとできるはず」と思うからこそ、厳しい言葉を吐き、もっと底力を出して欲しいと思って背中を強めに押してしまったりする。

強めのプレッシャーや厳しい環境で力を伸ばす子どもがクローズアップされると、子どもをより広い世界に放り出すこと「だけ」に価値を感じそうになるかもしれない。「可愛い子には旅をさせよ」的な親像はプラスのイメージもある。

でも、子どもにとっては、まずは、その3メートル四方のリアルが、快適で安心できて心が休まることこそが、一番重要なんじゃないかと思うのだ。

■子どもの「心の体力」はどこから来る?


子どもの勇気とか踏ん張りとか、そういう「心の体力」には、安定した場所が絶対的に必要だ。たぶん、厳しく広い世界に出て力を発揮する子どもの多くは、3メートル四方の安心が確保され、ホームポジションが安定しているからこそ、厳しい局面でも踏ん張りがきくのだろう。

でも、どこまで安定させたら十分なのか、その見極めってとても難しい。怠けと甘えと快適さと適度な踏ん張りと過剰なプレシャーの境目はどこなのか、境界線は簡単に見えない。

背中を強く押しすぎると、子どもの処理能力を越えた分はストレスとして蓄積されるだけだ。自己評価は下がり、時に身体症状まで表れる。

押しすぎたと気づいた時は立ち止まって、大人の広い世界から見るのをやめた方がいい。子どもの3メートル四方だけを注意深く見て、プレッシャーをひとつひとつ取り除いて小さな達成感に変えていく。広い世界ばかりが優れているのでも無く、3メートル四方の内側で手の届くがんばりを繰り返すことも立派な経験で、そうやって子どもは自信をつけていく。それがきっと「心の体力」になる。

親は、子どもを必死に観察して、ラインをさぐっては軽く背中を押してみるしかない。子どものキャパシティってものすごく個人差があるから、トライアル&エラーの連続。まだだったら焦らず黙って待つ。じっと観察しつつ、忍耐とゆるい気持ちでひたすら待つのは、地味で楽じゃない作業だ。

でも、時間をかけて安心のエネルギーが十分にたまったとき、子どもは自分で一歩を踏み出す。

■ジャックは「ルーム」の中の方が幸せだったのか


映画の中のジャックは、いっそ「ルーム」の「3メートル四方の幸せ」から出ない方がよかったのか、というと、そんなはずはない。脱出して社会的にまともな環境を手に入れることは絶対的に必要だった。あそこで出られなければ、まずママが限界を迎え、間もなくジャックは「3メートル四方の幸せ」も失っていただろう。

そうやって無理にでも大きなジャンプをしなければいけないこともある。

ジャックが、脱出後の「3メートル四方の不幸せ」につぶされないのは、彼が「ルーム」の中でママと育んだ「心の体力」と、じっと見守る周りの大人の「待つ力」、両方のおかげだろう。

時間をかけて、ジャックはちゃんと一歩を踏み出す。

■3メートル四方を母親が支配する現実


監禁された3メートル四方の「ルーム」の中で、ジャックにとっての世界のすべてはママそのものだった。それは異常で異質な状態なのだけれど、実のところ、核家族の母親専業育児なんて、平気で「ルーム」的な母子のみの環境に陥っている現実がある。母親って、幼い子どもにとって絶対的で、無条件に肯定されてしまうような存在で、子どもの3メートル四方の空気を支配しているんだよなぁ、ということを見せつけられて、怖くなった。

だから母親は、ジャックのママみたいに子どものために限界まで努力しなきゃいけない……かというと、それは全然違う。むしろ、だからこそ母親は意識して子どもと離れ、全力でふたりきりの環境から逃げださなければいけないんだと思う。

親が子どものためにがんばれるのは当たり前で、子どもに豊かな経験をさせるための努力は放っておいても、多分できる。でも、母子ふたりきりでいることのワンパターンとマンネリはものすごく怖い。

新鮮味のなさと閉じた関係を壊すことにこそ努力をした方がいい。新しい風を入れ続けることだけ意識しておけば、プラスの力は自然に出るはずだ。

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映画『ルーム』の特殊性は、ごく普通の子育ての落とし穴ときれいにつながっている。

子どもの3メートル四方にもっと注意深くなること、同時に、そこを母親だけが支配する閉じた世界にしないこと、その両方を同時に意識したい。

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【お知らせ】
コラム筆者の狩野さやかです。2/16(木)に「ふたりで育児」がテーマのワークショップを開催します。ぜひご参加ください!
詳しくはこちら→ http://patomato.com/oyaoya/2017/01/1161/


狩野さやか狩野さやか
Studio947でデザイナーとしてウェブやアプリの制作に携わる。自身の子育てがきっかけで、子育てやそれに伴う親の問題について興味を持ち、現在「patomato」を主宰しワークショップを行うほか、「ict-toolbox」ではICT教育系の情報発信も。2006年生まれの息子と夫の3人で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者資格有り。