春休み早々、水族館に出かけた。数年おきに訪れているエリアで、行くたびに、前に来た時のことを定点観測的に思い出す。前回は息子とふたりで来て、この駅のここら辺で30分は泣かれて、私も最後にはずいぶんきつい態度をとったんだった……。楽しく遊んだ最後が、「泣きぐずる子とキレ気味の母の図」だった痛い記憶がある。

■子どもが大きくなって外出が楽になっていた


今回は夫も一緒で、家族で出かけること自体が結構久々だったので、軽い旅行気分。以前3人でここに来た時は、さらに前だから、もっと幼くてもっと手がかかった。初めて来た時なんてまだベビーカーに乗っていたじゃないか……。10才ともなると、こんなにも家族の外出って楽になっていたのか……!と、その落差に驚く。

■育児風景が凝縮されている!


水族館て、本当に小さい子連れの家族が多い。あちこちで幼児がぐずり、なだめる親の声が聞こえる。「だっこ!」攻撃に、土産物コーナーでは買う買わないの攻防。ひとりで複数の子の面倒を見るママもいれば、幼児連れで大きなお腹でイルカショーを見ているママもいる。ハイテンションで子どもの相手をしているパパもいれば、子どもをだっこして水槽にはりついているパパもいる。ぐったりソファに座り眠りこむ親子もいれば、子どもをはさんで明らかケンカモードの夫婦もいる。


あぁ、なんだか育児中のよくある風景が凝縮された空間。
あぁ、大変そうだなぁ、きついだろうなぁ、ママもパパもすごいなぁ……と思う。

年齢の進んだ子どもひとりを親ふたりで連れているのとは比較にならない。

自分の力でひとりで歩けて、自分でトイレに行きたいと言えて用を足せて、自分の手と口でご飯を食べられて、自分で漫画を読みながら時間をつぶせて…… 10才の今は全部できる。

でも、これらを全部できない小さな子どもと外出するのが、どれだけ神経も体力も使うことか……。幼いほど、ぐずる理由なんてあってないようなもので、コントロール不能だし……。

■「そのうち楽になるわよ」が響かないわけ


確かに、今の私の育児ステージは、乳幼児育児の世界よりは楽になった。別の難しさを抱えると言ったって、あの独特の疲労感や全方位に神経を張り巡らす感じとは全然違う。

でもだからといって、今大変そうなママに「大変なのは今だけよ、すぐに大きくなっちゃうから」的なことを言う気にはどうしてもならない。これは、年配の女性がかけてくれるけっこう定番の表現で、優しい気持ちにはすごく感謝するのだけれど、育児疲労真っ只中の当事者は、ちっとも楽になれなかったりもする。

妊娠中の体調不良について、つわりはそのうち終わるとか、出産まであとほんの数ヵ月だから、という言葉に全く救われないのと同じで、「今」が、目の前の状況が当分の間きついことが問題なのだ。数ヵ月後とか数年後とか、遠すぎて、どうでもいい……。

「大変な時期はもうすぐ終わるからがんばれ」というのは、大変さの差し戻し。それじゃぁ自分で頑張るしかない。きつそうだなぁ、しんどそうだなぁ、と思えば思うほど、やっぱり言う気になれない。

じゃあ、何ができるんだろう? そんな言葉は無意味だと飲み込んで、黙っている方がいいのかといえばそんなことはないはずだ。

■静かに小さく手伝う


フェーズが変わってちょっとだけ楽になった私が、「そのうち楽になるから!」の言葉の代わりに、やるように気をつけているのは、「静かに小さく手伝う」こと。きついよね、しんどいよね、と思う気持ちに合わせて、小さなコミュニケーションか行動をする。

階段でベビーカーの人に遭遇したら、とりあえず声をかけて手伝う。バスからベビーカーが降りるときには手を貸す。ヘルプが不要なら相手は断るのだから声をかける側が迷う必要はない。逆に、ママの側は頼み慣れていないから「みんな助けてくれるから周りの人に頼んで大丈夫だと思いますよ」とひと言そえてみたり。

車内で泣いている赤ちゃんにママが遠慮気味にしていたら、味方になる。「泣きますよね、私もいっぱい泣かれて電車は気が重かったです」と言ってみる。ベビーカーが乗ってきたら積極的に場所を空けてウェルカムな雰囲気にしてしまう。それだけで、その周辺の空気が、ちょっとやわらいで「泣くのはしかたない」とか「ベビーカーどうぞ」なモードになったりする。

当事者ママの、我慢して気疲れして張り詰めそうな気持ちをちょこっと和らげるのに、たいした時間は使わない。たいしたことじゃなくても、小さなひと言に救われることって本当にある。

私は乳幼児育児期に、電車やホームやスーパーのレジで「その場限りの知らない人」がかけてくれたどうってことないひと言で、朝からのイライラが冗談みたいにすーっと晴れたことが何度もあった。なんだ、こんなことで気分て変わるんだ!と拍子抜けするほどに。

■社会で育てるっていうのは小さなことの積み重ね


「社会で育てる」っていうと、保育園とか学童保育とか、リアルな受け皿や制度やルールが話題になりやすいけれど、そういう大きなことだけじゃなくて、なんとなく漂う「空気」も大切な要素だと思う。その空気は、法律とか広告とか啓蒙活動などで作られるものではなくて、個人の小さな声かけと小さい行動の集合で醸成されるものであるはずだ。

ひとりが動けば、それを受け取る人はひとりでも、それを目撃する人が数人いる。それだけで、社会はちょっとだけ動いたことになる。ちょっぴり余裕ができた人から順に、言葉と小さな行動で、たまたま遭遇した誰かに小さなサポートをしていいけたらいいなと思う。

狩野さやか狩野さやか
Studio947でデザイナーとしてウェブやアプリの制作に携わる。自身の子育てがきっかけで、子育てやそれに伴う親の問題について興味を持ち、現在「patomato」を主宰しワークショップを行うほか、「ict-toolbox」ではICT教育系の情報発信も。2006年生まれの息子と夫の3人で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者資格有り。