紙おむつブランドのムーニーによる、昨年12月から公開されていたキャンペーン動画「ムーニーから、はじめて子育てするママヘ贈る歌。」が、最近SNS上で話題になった。マイナス評価の方で。ママが奮闘する育児のリアルと孤独が描けているという声もありながら、この動画に多くの低評価の声があがったのは、育児の大変さを内省的なメッセージで表現するのに終始して、女性が解決する女性の問題として、閉じた結論にしてしまったせいだ。

同時に、対比するようにプラス評価でSNSのタイムラインに流れてきたのは、これも少し前のパンパースのキャンペーン動画「キミに、いちばんのことを。」だった。赤ちゃんを抱くママに始まり、パパの夜中の赤ちゃんだっこ担当シーンがさらりと入り、家族や街の人が赤ちゃんのために小さな何かをする情景が続く。静かだけれど外に開いたメッセージを表現している。アメリカのパンパースでは「Hush Little Baby」のタイトルで2015年に公開されていて、ニューヨーク本社の広告エージェンシーが作っている。


■日本の常識ラインがまだまだ……


このふたつの動画は対照的だとしても、ムーニーだって、パンパースだって、日本のウェブサイトをちょこっとのぞけば、「ママ」という言葉と「ママと赤ちゃん」の写真にあふれていて、正直なところ、大差ない。

パンパースにだって日本オリジナルのキャンペーン動画では、ママとパパの役割分離に疑問がない描き方がされていて、「?」と感じるものも過去にあった。

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だから、会社がどうこうというより、文化圏による常識の差を見せつけられた気がする。企業イメージアップのキャンペーン用の動画だけれど、アメリカと日本でずいぶん表現が違う。育児のシーンにパパの姿が対等で同列に描かれていないというだけでなく、アメリカの方は、みんなが育児の「内側」にいて仲間のような視点だけれど、日本の方は、がんばるママを「外側」から応援する視点だ。日常のリアルな感覚もまだそのあたりにあるということだろう。

アメリカでだって女性に育児家事が偏っていないわけはないし孤独だって感じるはずだけれど、「一緒にやる」が前提の常識感覚が表現に出ているのを感じる。ドラマやCMで見かけるようなごく普通のシーンに、真夜中の寝ない赤ちゃんを疲れた様子で抱くパパがいて、夫婦ふたりとも新生児育児で寝不足で共倒れになっていたりする。育児を押しつけ合うのが笑いに包めるくらいの対等さが描かれる。

日本だってパパは育児をし始めている。赤ちゃんを抱っこしてひとりで出歩き、ママ仕様の小さめの子ども乗せ自転車にまたがり町中を疾走している。先日見かけた幼稚園の送迎バス待ちグループは、6人中2人がパパだった。それでもまだ、日本には、女性が女性の問題として育児の苦労を語る感覚が根強く、いや、もしかしたらまだナチュラルに残っている。現実に、そうやって女性が抱え込んできたし、抱え込むしかなかったからなんだろう。

■パパとかママじゃなくて「親」でいいんだけれど……


英語の「parent(s)」という言葉を習った中学生の時、「親」の単数形とか複数形とか、なんとなく戸惑った。父とか母とかの役割イメージが強いせいか、parent(s)の入った文章を日本語にするとなんだかぎこちない印象だった。

今でも育児の世界で「parents」にあたるフラットな「親」という言葉ってなかなかうまく使えない。今でこそ「両親学級」って名称も普通になってきたけれど、例えば何かの見出しを考えているときに、「『親の皆さんへ』だとなんだか響きが微妙だから『パパ&ママへ』にしておきましょうか」って言ってしまうくらいの、なじみのなさが、まだ、ある。

例えば、パンパースのウェブサイトはアメリカのサイトと日本のサイトがほぼ同一構造になっているのだけれど、英語の「PARENT CORNER」は、日本語では「ママのためのコーナー」と称されている。多分、「親コーナー」ってなんか変だし、日本的には「ママ」だけにしちゃった方がわかりやすいよね、という程度の軽い理由だったのだと思うけれど、こういう、元の意味を変えてしまうほどの飛び越え方を、ついうっかりやってしまっている。

ムーニーがっ、パンパースだってっ、とかそういう話ではなく、「ママ」とか「パパ」とか気軽に限定してしまったり、「ママってこういうもの」「パパってこういうもの」という前提のラインを引いてしまう感覚が、私たちひとりひとりの中に、まだまだけっこう根深く残っていると思うのだ。

■崖から落ちそうな人に「がんばれー!」って普通は言わない


新生児の育児っていうのは、あらゆる面できつい。こんなもの、女性がひとりでやるのは無理で、女性が女性を助ける世界で処理するなんて発想自体が、もう今の生活形態に合ってない。あんなもの、ひとりで取り組んだらつぶれて当然だ。

でも、「育児って女性がひとりでできる程度のきつさだ」と男性や産前の女性は本気で思っているし、「育児ぐらいひとりでできないとまずいはず」「夫の仕事に影響を与えてはいけない」と産後の女性は思いやすい。そんな固定観念ないつもりでも、どこかで「パパってこういうもの」「ママってこういうもの」に引っ張られている。

「男は仕事女は育児家事なんておかしい!」と思っている人はたくさんいるのに、「男もやるべき」論だと、男性に危機感として響かないのがもどかしい。

新生児育児、きつすぎて「一緒にやらないと子どもも妻も危険」がリアルな現実。……そういう危機感が普通になって欲しいと思う。

疲弊しているママと仕事を休めないパパを見ていると、目の前で赤ちゃんを背負ったママが指の第一関節だけで崖からぶら下がっているのを見下ろしながら、重いリュックを背負ったパパが「俺、仕事だから。ママがんばって!」と、無邪気に応援しているように感じる。

パパは、妻と子どもが崖から落っこちるよりは、とりあえず仕事の詰まった自分のリュックを一瞬横に放り出してでも、ママの腕をガシッと本気でつかんで救出しないとまずい。

ママは、崖から落ちかけているのに、夫のリュックが重そうだから助けてもらうわけには……とか相手の心配をしている場合じゃない。ひとりで崖を登れるはず、なんて幻覚。本当に落っこちてしまう前に、夫の仕事に「迷惑をかける」方が、よほどトータルで見てコストが低いはず。助けを求める声を飲み込んじゃいけない。

本当は、それくらい緊急事態なのに、ママが第一関節で持ちこたえているのは、パパにもママにも見えにくい。

シンプルな「落ちる~!助けて~!」をママが言わずに耐えているうちに、怒りに転じて「あなたの自覚が足りない!もっとやってよ!」になるのはあっという間だ。コミュニケーションて難しい。

欲しいのは、「応援」じゃなく「仲間」。

ひとりでできないのは当たり前、きついけど、一緒に睡眠不足も泣き&抱っこ攻撃も乗り越えよう!……そんな簡単なことが男女で共有されるようになったらいいな、と強く思う。だって、ふたりの子どもなのだから。

【お知らせ】
コラム筆者の狩野さやかです。5/18(木)に「ふたりで育児」がテーマのワークショップを開催します。ぜひご参加ください!
詳しくはこちら→ http://patomato.com/oyaoya/2017/04/1205/


狩野さやか狩野さやか
Studio947でデザイナーとしてウェブやアプリの制作に携わる。自身の子育てがきっかけで、子育てやそれに伴う親の問題について興味を持ち、現在「patomato」を主宰しワークショップを行うほか、「ict-toolbox」ではICT教育系の情報発信も。2006年生まれの息子と夫の3人で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者資格有り。