副耳(ふくじ)という病気をご存じだろうか。
生まれつき、耳のあたりにいぼ状のできものがある病気である。出生1,000人に15人の割合でみられるといわれ、それほど珍しい病気ではないそうだ。

副耳(ふくじ) - 日本小児外科学会
http://www.jsps.gr.jp/general/disease/facial/2c67iz

とはいえ、自分の子に副耳がついて生まれてくるまで、この病気のことをまったく知らなかった。

知識がなかった我々は、「副耳」をネットで検索した。
・ついていても問題はない
・軟骨が入っていると手術
・小学校高学年以下の場合は全身麻酔になる

≪おお、全身麻酔か……≫

その文字列の仰々しさに、この小さき人をそんな大変な目にあわせていいのだろうかと逡巡するのだ。

■くりかえす耳の湿疹、たまりやすくなる耳垢、気にする人々


夏場、耳のあたりに湿疹ができやすくなった。
副耳のそばにひとつ、プチっとした赤みが、出たり引っ込んだり。これも実は副耳だったのだが、そのことを知るのは手術直前のことだった。

耳の手前にゴールキーパー状の副耳がいるせいか、耳垢がたまりやすい傾向が見られた。お風呂上がりなどなるべく水気をとるようにしたが、かゆがる日が多かったのだ。

“第二子”という性質上、わりと早期からいろいろな場所に連れ出されていたのだが、見知らぬ人に「これなあに?」と副耳を指してきかれたことも何度かあった。心ない言葉をかけられたことも一度だけある。

かかりつけ医は「なるべく早く取ったほうがいいですよ」とすすめる。
「自分でさわって、ケガしちゃう子がいるしね」

たしかにそうだ、と思いながらも、“全身麻酔”というイメージが、なんとなく形成外科への受診を遠ざけたまま、1年が経とうとしていた。

ところが、本人でも同級生でもなく、年上のお友だちによるハプニングが起きた。
「ねえねえ、これなあに?」
その子は次男の副耳に手を伸ばす。そして引っ張った。

「あぶないかね。」
「どうする? 取るか。」

医師からすすめられていた「お誕生(=1歳)」はとっくにすぎていた2歳の春、別件で受診していた大学病院の院内紹介を受けて、形成外科の門を叩いたのだった。

■まずは様子をうかがうところから


受診初日は副耳の状態を見て、だいたいこんな手術になりますよ、という説明を受けた。

・一般論としてたぶん軟骨があるだろう。後日検査する。
・小学校高学年以下は全身麻酔になる。
・入院は最低3日。前日から入って翌日出る。
・術前検査は手術予定日の2週間くらい前に行う。半日程度かかる。
・手術は2~3ヵ月先までは埋まっている。なお、夏休みシーズンはもういっぱい
・手術日は特定の曜日で決まっている。
・医療証があるので特別費用はかからない。“食事代をいったん自腹”程度の感覚でいればよい
・登園できるのは1週間後くらい。絆創膏で隠しておけばよいが、抜糸後がいいだろう。
・軟骨までとる場合は、少し内側まで切除し、縫い合わせる。
・ほうっておいても問題ないものなので、手術はいつでも、保護者のご都合でどうぞ。
・手術時間は30分、麻酔含めて1時間半程度を予定。
・直前に風邪をひくとできなくなるので注意。

この説明を受けたあと、我々夫婦は相談した。以下、当時のLINEから抜粋する。

「取る前提なら、なる早か高学年まで待つかの二択だな」
「保育園で年長の子が興味を持ってるしね」
「早く取ったほうが、共済の保険料がね……」
「学校入ると休みにくくなるし、保育園のうちでも年度の前半だろうな。後半はイベントが多すぎる」
「でも夏休みはいっぱい」
「連休前でもいいけど。連休中に退院も可能」

……ということで、5月の大型連休ど真ん中に希望を出すこととなった。

■2度目の診察~術前検査


手術日が確定し、入院手続きを行う。
術前4週間は生ワクチンの予防接種禁止、不活化ワクチンは2週間前から禁止と説明をされた。

これを考えると、手術は予防接種をひととおり終わらせてからのほうがいいのかもしれない。

そして手術2週間前、術前検査の日がやってきた。
レントゲンや血液検査などひととおり行うのだが、大学病院なので待ち時間がそこそこある。副耳がついている以外は健康体なので、パワーをもてあました2歳児、通路を散歩しては、座っている患者さんたちに手を振り続け、ちょっとしたパレードを行っていた。

「ねえ、血液型って聞かなかったね」

最近は子どもの血液型を積極的に調べない方針だということは存じ上げていたが、世代的にやっぱり血液型が気になってしまう。手術のタイミングで聞いてみることにした。

帰宅後、入院にまつわる書類の山に追われた。
半分ほどは同意書なので、病院で記入済みだが、それでもそこそこの枚数にサインをした。手術日まで体調を整え、次々やってくる流行のウイルスにかかることもなく、念のため兄のクラス有志のバーベキューも欠席し、万全の体制で当日を迎えたのだ。

■小児病棟(2年ぶり2回目)


次男は生後2ヵ月で尿路感染症にかかり、この病院に入院したことがあった。

小児病棟のロビーいっぱいに描かれた動物たちのイラストを見て、今はもう片言を操るようになった次男が、指をさしながら「ぱんだ!」「うじた!(=くじら)」と、うれしそうにしていた。

今回はプレイルームに近い部屋に案内された。2人部屋である。

ちなみに、15歳未満は小児病棟内に立ち入ることができないので、2人以上子どもがいる際、そのどちらかが入院となったら、もうひとりをどうするかという問題が発生する。我が家は祖父母に頼ることができたが、そうでないと事前に準備が必要となるだろう。

夕方、麻酔科医の説明を受けた。

「全身麻酔なので、気管に挿管をするんですけど」

挿管ってどうやるんですか、と念のため聞いてみた。口を大きく開けて、気管を見つけたらそこに管を指して気道確保すると。

「歯が抜ける年齢の子だと、折れちゃうことがあるので……」

その言葉に一瞬構えたが、こちとらまだ完全に生えそろっていないかもというレベルの乳歯である。おそらく大丈夫だろうという話をし、この日の説明はすべて終えた。

■手術当日


手を消毒して病棟に入ると、病室に次男がいない。

ナースステーションに行くと、かっこいいオープンカーに乗った次男がいるではないか。小児病棟にはこうしたレクリエーショングッズがあったりする。長期になる子も多いなか、こうした楽しみは必須アイテムなのだろう。


学校に行く長男を見送ったあと夫も合流し、手術室までは抱っこで移動となった。
手術室の入り口で説明を受ける。

「なにかお聞きになりたいことあります?」

ときかれたので、血液型を……といいかけると、それはあとで先生から伺ってくださいと遮られた。

1時間半後、ナースから「終わりましたよ」と呼ばれ、再び手術室へ。
昨晩、乳児の消灯後にプレイルームで大騒ぎして私に怒られた小1の彼がちょうど手術室に行く時間だったので、一緒に向かった。ゆうべとは打って変わっておとなしくしている。

彼は、次男が出てくるより先に手術室に入った。
「質問ありますか?」と聞かれたご両親が「血液型を」といっていたのを見て、みんな考えることは同じだな……などと思ったのだ。

しばらく待っているとドアが開き、黄色い入れ物に座って、次男がかごに乗ったお殿様のように現れた。

平然とした顔で戻ってきたものの、我々の顔を見たら急に泣き出したのをみるに、2歳なりに我慢をしていたのだろう。

担当医から説明をされ、取った副耳がビンに入ったものを見せてもらった。
軟骨が長くのびており、2~3cmはあっただろうか。

大粒の涙をぽろぽろ流し、夫に抱っこされて部屋に戻った次男。

「あ!」

私は思い出す。血液型を聞きそびれたことに。

■退院日


さぞかし寂しかっただろう!と急いで病室に行くと、次男がこの状態で、アンパンマンのDVDに釘付けなのだった。


声をかけても、目も合わせず、「お!」と返事をして見続けている。

≪……2歳ってもうこんなだっけ?≫

3日分の食事代1,500円ほどを支払い、退院診察を待った。
問題ないです、抜糸まではガーゼを貼っているので適宜取り替えてください、サージカルは売店で買ってね、とだけ告げ、病後児保育の書類を届けてくれたのち、医師は去っていった。

「あ!」

また、血液型を聞き忘れたのであった。

■術後ライフ


退院当日さっそく公園でたっぷり遊んできた次男である。
耳にガーゼを貼り、化膿どめの塗り薬と服薬以外は普通の生活だ。
なお、表面の傷はすぐくっついても、中の傷は2~3ヵ月から半年はかかるのだという。

連休明けに抜糸をし、その足で病後児保育に向かったが、通常保育で問題ないとお墨付きをもらい、翌日からはいつものクラスに戻った。

術後のケアだが、「マイクロポア」というテープを3ヵ月ほど傷口に貼るよう案内された。これはちょっと大きな薬局で買える市販のものだ。傷口の日焼けと手術痕が盛り上がってしまうのを防ぎ、きれいに仕上げるのだという。

はがれたら貼りかえてね、といわれたが、顔に貼るぶんにはそうそう取れないので、4~5日に1度貼りかえている。

ear
▲下がテープを貼った状態。あまり目立たない。


診察は抜糸2週間後に1回あり、そこですべての診察は終了となった。

勝手に手術を決めて申し訳なかったかなという気もするが、副耳を気に入って残したいというか、嫌だから取って!と言い出すかは今の段階で判断が難しく、諸般の事情を考えても「やるなら今しかねえ!」だったのは否めない。

きっと物心つく頃にはキレイな仕上がりになっていることだろう。

ワシノ ミカワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。