既存の枠組みにとらわれない斬新なダンス、ヒットメーカーの称号を得てもなお、ぞうさんのじょうろを冠し続けるそのブレないスタイル……その名もラッキィ池田。彼が自身の経験をもとに、様々な著名人たちの発想のヒントを紐解く近著『「思わず見ちゃう」のつくりかた―心をつかむ17の「子ども力」―』(新潮社)が話題となっている。爆発的ヒットの裏側にあるという「子ども力」について、話を伺った。

―― この本を読んで、何か忘れかけていたことを思い出すというか、親自身がもっと遊び心とか、親の事情じゃない部分を大事にしなきゃいけないなって思いました。

ラッキィ池田:そうですね。永六輔さんのラジオ(『永六輔その新世界』TBSラジオ)で、僕リポーターをやらせてもらってたんですけど、いつも結構無茶振りされてまして。「ラッキィ何かやってこい」と。でもね、毎週事件なんて起きない。だんだん追い詰められていくんです。それで「このままじゃやってる方も聴いてる方も面白くない」って思って、それから徹底的に自分が興味あることだけを探して、とことん調べるようにしたんです。

ほかの人が興味を持つかは分からないけど、自分は興味あるし、面白い、その思いを伝えるところから始めようと。この本のお話をいただいたときに、永さんをはじめ著名な方たち、僕も含め、そういう方たちが今までどうやって「楽しいこと」を作ってきたんだろうって考えたんです。

思うんですよ。AKBの秋元さんにしろ、結局「仕事」では動いてない。最終的にお金儲けだって、トランプやっているのと同じ感覚で、スリルや面白さがお金という単位に代わっているだけなんです。勝ち負けにはすごく興味があるけど、でも我々が一般的に認識する「金額」では考えてないんだなって。そういうところに鋭い、若い人たちが集まってくる、その現象が面白いなって。成功の根底にある「楽しさ」「面白さ」っていうのを自分の経験を踏まえて掘り下げてみたいと思いました。

―― ラッキィさんの各方面での人脈の広さとか、インプットされている知識の広さとか、本を読んで改めて驚かされたのですが、どういう少年時代を過ごしてきましたか?

ラッキィ池田:少年時代は、荒川の土手が近かったので、野原で遊んだり野球やったり。墨田区って裏道がいっぱいあるんです。楽しいんですよ、探偵気分でね。そういう意味では遊びの環境に恵まれていたので、それが「ダンス」っていう仕事には活きてるのかもしれない。ダンスって最終的に感じるものは、子どもの頃に遊んだワクワクとかドキドキですからね。

―― 小さいときに味わった興奮を、大人になって「ダンス」で伝えているということですね。

ラッキィ池田:それしかないんで(笑)。チャイコフスキーの音楽を初めて聴いたときに、死ぬほど寒いところで生活した人にしか作れない旋律だなって、感動したんですよ。『白鳥の湖』の、最後にうわーって盛り上がるところとか。ハワイに生まれた人にはチャイコフスキーの曲は作れないし、チャイコフスキーにはハワイアンな音楽は作れないし。感じてきたものがあるじゃないですか、僕には僕が感じてきたものしかないので、それだけをつねに考えるようにはしています。

―― 分かります。ラッキィさんって「振付師」という仕事ではくくれない存在の方だと思います。

ラッキィ池田:確かに「振付師」という仕事ですが、踊りを通して何かを感じてもらうというのが一番大事なことだと思う。喜怒哀楽を。踊ることによって、大人は楽しくなって仕事のストレスを発散できたり、子どもたちには「今日も楽しかった」「また踊りたいな」「また遊びたいな」と思ってもらいたいんです。踊る先にある「拡散」を求めてるというか。

よく「振付師になるには何をしたらいいですか」って質問されますけど、答えるのが難しいんですよ。もちろん踊りの基礎は習った方がいいと思うんだけど、やればやるほど僕のタイプの振付師が遠ざかっていくと思うんですよね(笑)。僕はやりたいと思ったらすぐにでも創作は始めたほうがいいというタイプ。ダンスのカテゴリーを知らなくても創作は出来るわけで。

難しい言葉やたくさんの言い回しを習得しなきゃ小説家になれないってわけじゃないじゃないですか。まずは書きたいことがあって、その上で書き方を知ればいいだけで。先日、ヒャダインさんとお話したんですけど、あれだけ楽曲を作ってるのに、音楽的な勉強をしたことはないって言ってた。ビックリしました。知らなければ知らないほど逆にいいことってあるんですよ。やっているうちに、いつか知るから。

僕もそうですけど、ダンスを征服したっていう感覚は一切なくて、踊りは奥深いし、知らないことが多すぎるし。ヒップホップのステップなんて、僕全く知らないし(笑)。知ってしまうことで、その先に行けなくなっちゃうのが怖いというのもある。「面白い」「面白くない」を子どものように率直にジャッジできなくなってしまう気がして。

―― 本にもありますが「おまかせに」「自由に」と発注されたとき、私などは逆にどうしよう……と思っちゃいます。「子ども力」がないなって。

ラッキィ池田:「いいですよおまかせで」って監督やプロデューサーに言われるじゃないですか。それでこちらは自由に作りますよね。すると監督が「いや違うなー」とか、どんどん意見を言ってくるんですよ。おまかせじゃねえじゃん!って(笑)。おまかせって言いながらも、やっぱりあるんですよね、何かしらかは。

でもそういうやり取りが逆に面白いなって。お互いのこだわりが衝突するし、大変ですけど。広がることが本当は一番大事で、ぶつかることを恐れちゃいけないなって。だから親子でもケンカしていいと思うんです。そこから生まれるものもある。


―― 親は子どもの「子ども力」を伸ばすために何をすべきだと思いますか?

ラッキィ池田:辛いと思います、自由にさせることは。その先がもしかすると間違った方向にいくかもしれない。それを言わずにギリギリのところまで……相当エネルギーがいるし忍耐が必要だし。でもね「あの時ほったらかしていてよかったな」という日がきっときます。

すごく簡単なことから自由にさせてみたらどうでしょう。例えば散らかった部屋を「片付けなさい」っていうのは簡単ですけど、本人的に散らかった状態の中で把握していることはたくさんあるんですよ。まずは散らかってる状態を認めてあげることですね。それから自分でどうするべきか考えさせる。大変ですけど少し待つことですかね。

―― ラッキィさんが振付をされている『いないいないばあっ!』(Eテレ)の小さい子のダンスを見ていると、みんな本当に自由で、幸せな気持ちになるんですよね。

ラッキィ池田:僕の仕事は無理やりにでも踊らせることですけど、でもそれはあくまで僕の都合。「いいんだよ。やりたくない時はやらなくていいんだよ」っていうには、こっちはすごく忍耐と我慢が必要です。

でもその先に「ああ癒されるな」っていう幸せがある。子どもたちの踊りがたとえ揃っていなくても、楽しんでやっている姿が放送された時にどんな反応があるだろうっていうのは、こっちも計算してます。やっぱりね、揃ってなかったりした方が、広がるんですよ。私もこれだったらできるって。

―― 自由な姿がハードルを低くしてくれる。

ラッキィ池田:よくお好み焼き屋さんで「こうで、こうして食べて」「あ、ダメダメ!」とか、うるさいお店があるじゃないですか。「お好みじゃねえじゃん!」って(笑)。

―― 以前インターネットで賛否両論があった日野皓正さんと中学生の件、ラッキィさんはどのようにお考えになりますか?

ラッキィ池田:当人同士の問題ですからね……僕の場合は「永六輔さんならどう言ってただろうな」って考えましてね。永さんは自分の意見を言わないんですよ。「こういう言い方もあるよ」「こういう人もいるよ」「海外ならこうだよ」ってね。そうやってものすごく選択肢を増やしてくれる。

いつも永さん「ちょっと怖いよね、みんな一つの方向に向いちゃうのが」っておっしゃってたの。「戦争ってそういうことなんだよね。みんなが一斉に一つの方に向いちゃった。ほかの意見が言えなくなっちゃった」って。それを阻止するために、永さんラジオでマイクの前に立ってたんだなって思います。

たぶん永さんだったら……まず「ジャズってもともときっちりした音楽じゃないんだよ」って言うでしょうね。あのドラムの少年はジャズの自由なところがすごく好きだったんじゃないのかな。それでいざ本番になったらテンション上がっちゃって……。それでさすがの日野さんも「まずいぞ」と取り上げた。事故に近い。ただの事故、お互いの“感情”の事故です。

僕はね、すごく楽しいなって思うんですよ。だってそんなことが起こるほど熱量のあるステージだったんでしょう。普段からひっぱたいてジャズを教えていたわけじゃないでしょうし。体罰だけが取り沙汰されるのがすごく残念であり、それのほうがちょっと怖いなと思いますね。

―― たしかに。

ラッキィ池田:僕と同い年の大友良英さんっていう、『あまちゃん』の音楽を作った方がいるんですけど、彼すごく面白いんですよ。楽器持ってみんな集合!みたいな会があるんだけど、楽器持ってくる人もいれば手ぶらの人もいて、そういう人に大友さんは「そこに太鼓置いてあるんで、あと段ボールとかも置いてあるんで、叩きゃ鳴るんでね、とりあえず一回やってみようか」って。

それで演奏が終わって第一声が必ず「いいじゃん」。それがすごいなって思うんです。『あまちゃん』のオープニングの、あの何とも言えない、チンドン屋のような温かみ。音楽家からしたら素人のめちゃめちゃな演奏なんか「ダメ」なんでしょうけど、それを超越して「いいじゃん」って言う。音楽って結局これなんだって。

―― 「一回やってみようか」「いいじゃん」は子育てにも使えそうですね。何より親自身が楽になりそう。

ラッキィ池田:「やってみようか」っていうのは、子どもに何やっても結果オーライだよっていう、まずそういうルールを与えるわけですから。どんな子も、すごい才能を持ってる。あらゆる可能性がある。僕はあらゆる可能性があることを一緒に感じたいなっていつも思っているし、それは親であれ先生であれ皆さんそうだと思うんですよね。

今まで自分が経験してきたことが全部正しいことじゃないし、まだまだ楽しくて素敵な世界がいっぱいあると思う。今から言うことはびっくりしないでほしいんですけど……。

―― な、なんですか!?

ラッキィ池田:僕ね、みんなで共感したいことは、「いつ宇宙人が地球に来るか」ってことなんですよ。

―― 宇宙人!!

ラッキィ池田:『未知との遭遇』って映画を観た時に「これだな」って思ったんですよ。全員が待ってたんだ、僕も待ってるし、宇宙人の存在なんて知らない生まれたばかりの子どもたちももしかしたらどこかでその感覚で待ってるんじゃないかって。それって「僕たちは地球人なんだ」って感覚じゃないですか。

「そんなことある訳ない」っていうのは簡単なんですけど、じゃあどうして僕たちは生まれてきたのか、僕たちの生命ってなんなんですかってなった時に、必ずそこには不思議なことが起きてる。いつかくるであろう、とてつもないプレゼントをみんなで一緒に待ちたいなっていう気持ちです。そんなでっかい夢がベースにあっての、「勉強しなさい」「片付けなさい」であってほしいなと思うわけです。

―― いいですね! 私もこれから子どもと一緒に宇宙人を待ちたいと思います!!




西澤 千央(にしざわ ちひろ)西澤 千央(にしざわ ちひろ)
フリーランスライター。二児(男児)の母であるが、実家が近いのをいいことに母親仕事は手抜き気味。「散歩の達人」(交通新聞社) 「QuickJapan」(太田出版)「サイゾーウーマン」などで執筆中。