■家ごとに異なる文化


結婚・出産して思ったこと、それは日本が島国であろうとも、家の数だけ常識があって、家が違えば「あたりまえ」も変わってくるというものだ。義理の両親と私の両親も例外ではなく、それぞれが持っている文化はけっこう異なる。

そして私の義両親と実両親の「孫のお祝い事」への熱量は、まるで違ったのだった。
例えるなら、夫側の両親はクールな10℃で、私側は熱すぎる90℃。祝い事や年中行事を、どちらかというと「やらないことが当たり前」の夫側と、「やることが当たり前」の私側。

どっちが正しい、悪いというものでもなくそういう「文化なのだ」と思っているのだけれど、息子が七五三の5歳を迎えるまでにいろんなことがあったなあ、マジで……と感慨深いものがあるので、エピソードをもとにお祝い事はどんなふうにあるべきかを考えてみたい。

これはともすると、私の両親が、「形式よりも気持ちを重視して変化していく」ドキュメンタリーでもある。


■やることが当たり前サイド、お七夜の言い分


長男は出産3日で、便に不具合が見つかり、大事をとってNICUに緊急入院となった。
初めての妊娠・出産で右も左も良く分からないときに、生まれたての赤ちゃんが遠方の小児病院に緊急入院となれば、新米母親は不安定になる。私は出産後の入院を一日早く切り上げ、「赤ちゃんの薬」といわれた母乳を少しずつ絞り、病院に届けるという生活をしていた。

家には産前から私の実母が応援にきてくれていて大変助かっていたのだが、ある日家の夕食に赤飯が出た。産後7日目に命名式をし、お祝いするお七夜だ。

いや、お祝いって!?
本人、病院でチューブつけられてますけど?ここにいませんけど?……全然まったくめでたい気分になんてなれないんですけど!

と混乱した私に返ってきたのは、
「でも、こういうお祝いはやるもんなのよ」という言葉だった。

はあ?

産後で情緒不安定な私でも、それは何だかおかしいと感じた。そもそも子どものお祝い事の主旨は、「赤ちゃんが健やかでいてくれてありがとう、おめでとう」というもんじゃなかろうか。

昔は、子どもがよく死んだという。
だから7歳までは子どもは神様のもので、それまでに亡くなると神様のもとへかえっていった、と思われていたそうである。

だから7日生き延びてくれてありがとう(お七夜)、1ヵ月(お宮参り)、100日(お食い初め)、1年(初節句・初誕生)、七五三……生きててくれて良かった、ありがとう、おめでとう、と祝う気持ちが行事となったのだろう。

本人不在のバースデーパーティがおかしいように、本人不在&母親のメンタルぐだぐだのお七夜赤飯は不自然だし、下手したらモラハラですよ。

あの時、私は泣きながら赤飯を食べた。それなりにおいしかったけど。


日本の冠婚葬祭やお祝い事に対する考え方は、一世代前より今の方が多岐にわたり、自由になってきている。私は結婚式だろうが、命名式だろうが、「祝いたい気持ちがあれば、やり方はひとつとは限らず祝えばいいじゃん」というフレキシブルな姿勢。私の両親は、「お祝い事は、きちっと伝統的にやらねばならない」というトラディショナルな姿勢でいるため、ことあるごとに噛み合わない。これが義両親じゃなくて本当に良かったと思う。

■実両親の忖度疲れ


その後、幸い長男は退院してその後は健康的な生活を送っていたが、皮肉なもので付きまとうのは、数あるお祝い事問題だ。以下ババっと開陳する(「」は各人の思いをまとめたもの)。

1.お宮参り
夫:「なんでやるの?」
夫側の両親:「そういうことはどちらでもいいかな。ボーっとしていたごめんなさいね~」
私:「神社好き! 行くなら行くよ~」
私の両親:「普通はやるものだ。お姑さんが赤ちゃんを抱っこして、初着を着せて、祈祷をしてもらって……うんぬん。」

⇒夫側の両親が参加しないことを知らせると、妻側の両親がしゃしゃり出てはいかんだろう、気分良からぬだろうと忖度し、自粛。しかし、不完全燃焼だった模様。

結果:夫、私、息子の三人でお参りし、ご祈祷してもらう。写真は通行人に撮ってもらって終了(夫はそれもいらないと言っていた)。

2.お食い初め
夫:「なんでやるの?」
夫側の両親:「ごめんなさいね~」
私:「やってあげたほうがいいのかなー」
私の両親:「普通は両家をちょっとした料亭などに呼ぶか、家に呼び、男子なら黒塗りの椀で……うんぬん。」

⇒夫側の両親は来ないことを知らせると、忖度の結果、自粛。

結果:家族3人でこじんまりとやる。料理は私の手作り(鯛のウロコを取ることを知らず、そのまま焼いてしまった……)が、なかなか良かった。

3.初節句
夫:「なんでやるの?」
夫側の両親:「ごめんなさいね~」
私:「初節句なるものがあったのか~知らなかった!」
私の両親:「鎧兜を買ってあげよう! 絶対買うべき!絶対買うべき……!」
両親は、二十万ほどする具足(スネ当て)つきの武者鎧兜一式を買いたそうだったが、本当にいらない旨を伝え、兜のみを買ってもらう(そんな大金あるなら、ドラム式の洗濯機を買ってほしい)。

4.初誕生
夫:「1歳か……」
夫側の両親:「お誕生日おめでとう!」
私:「めでたいめでたい!やっほー!」
私の両親:「一升餅を頼んでおいたので、持っていきます。やっほー!」
私側の両親がついに忖度を止め、「祝いたいから、祝うムード」に転換した記念すべき行事だった。片道二時間の道のりを私の祖母と一緒にかけつけ、餅をしょわせ、写真を撮りまくり、赤飯をはじめごちそうをならべ……ようやく悩むことなく楽しい行事となったのだった。

■我が家の文化は「カジュアル行事」に


その後、長女が生まれると、命名した名は墨で書かず、折り紙のちぎり絵で息子+私の母とで作成し、お宮参りは私の家族+私の両親で行った。

娘のお食い初めは、家族4人だけで(ちなみに魚は鯛からアジの開きへ)。二人目の子どもの行事となってようやく「こなれて」きた感があり、私の両親も自分たちだけがお祝い行事に参加することを肯定したようだ。

今は少子化になり、孫が十何人もいる時代ではない。
孫という貴重な人材にのっかってイベントをしたいなら、世のじいじ・ばあばは後悔なきよう存分に参加していいと思う。

ただし、目的は伝統行事を絶えさせないことではなく、祝うこと。そして主催者は夫の両親ではなく、孫の両親(娘夫婦)なので、その要請にはぜひ応えていただきたいと思う。


さて、先月は家族四人で息子の七五三のご祈祷に行ったのだが、一時間半もの長蛇の列ができていたので、お賽銭を投げて境内を後にした。

しんしんと冷える神社には、じいじ、ばあばと連携して列に並んでいる家族や、子どもの一挙一動をプロカメラマンがおさめて、それを遠巻きに見ている大家族(お母さんは訪問着)、子ども+両親(お母さんはスーツ)の核家族など、多様なファミリーがいた。

世のニューファミリーたちは、苦悩することなく当たり前の心境で淡々と行事をこなしているのだろうか? 両親や義両親の要請で仕方なくやっていたりするのだろうか……。これ、何年先まで続いていくのだろう。

月並みだが、その家族らしいスタイルで実行できるといいね、と心から願う。

斎藤貴美子
コピーライター。得意分野は美容・ファッション。日本酒にハマり、Instagramの#SAKEISAWESOMEkimikoで日本酒の新しい切り口とコピーを思案中(日本語&つたない英語)。これからの家族旅行は酒蔵見学。二児の母。