「これぞ次世代の名作!」と思えるような素晴らしい絵本を紹介すべく、100人以上の絵本作家を取材した経験を持つ筆者が、独断と偏見からいちおし絵本作家にフォーカスする、「今どき絵本作家レコメンズ」。

今回は特別編として、今年デビュー30周年を迎えた絵本作家いとうひろしさんへのインタビューをお送りする。『ルラルさんのにわ』をはじめとする「ルラルさんのえほん」シリーズや、『だいじょうぶ だいじょうぶ』など、数々の人気作を生み出してこられたいとうさん。絵本づくりにかける思いや絵本選びのヒントなど、たっぷりと伺った。


いとう ひろし(伊東 寛)
1957年、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業。大学在学中より絵本の創作をスタートし、1987年『みんながおしゃべりはじめるぞ』(絵本館)でデビュー。主な作品に『くもくん』『くものニイド』『ケロリがケロリ』、「ルラルさん」シリーズ(以上、ポプラ社)、『だいじょうぶ だいじょうぶ』、「おさるのまいにち」シリーズ(以上、講談社)、『マンホールからこんにちは』『ごきげんなすてご』(以上、徳間書店)、『へびくんのおさんぽ』(鈴木出版)などがある。日本絵本賞読者賞、絵本にっぽん賞、路傍の石幼少文学賞、講談社出版文化賞絵本賞など、受賞多数。


■表面的な楽しさの、その先にあるもの



『ルラルさんのだいくしごと』

作:いとうひろし(ポプラ社)
ルラルさんの大工仕事の腕前は、なかなかのものです。屋根の修理だって、お手のもの。
ところが、屋根を降りようとしたそのとき、思いもよらないことが起きて……!?



―― 今年でデビュー30周年とのこと、おめでとうございます。伺いたいことはいろいろとあるのですが、まずは新作について。9月に「ルラルさんのえほん」シリーズの8作目『ルラルさんのだいくしごと』が出版されましたが、制作エピソードをお聞かせいただけますか

いとうさん(以下、敬称略):このお話では、ルラルさんが屋根の上で大工仕事をしていたら、はしごが落ちて、降りられなくなってしまうんですね。最初はそのあと、出初式でやるはしご乗りみたいな感じで、はしごの上で「おっとっと……」なんていう展開を考えていたんですが、その案はボツにしました。なぜかと言うと、表面的なおかしさで終わってしまいそうだから。わかりやすくて笑えるけれど、そういう単純な面白さはルラルさんのシリーズでは描きたくないと思ったんです。結局「おっとっと……」の絵は裏表紙に載せて、お話の方は違う展開でいくことにしました。

―― 庭の仲間たちがはしごを汽車に見立てて遊びながらどこかへ行ってしまうシーン、子どもらしい無邪気さがかわいいなと思ったのですが、私の息子(4歳)は仲間たちに対して「なんて意地悪なんだ!」と憤慨していました。

いとう:あえて言わせてもらえば、あのシーンでは子どもからの笑いが起きるとも聞いているのですが、子どもって大人の要求に対して、すごくしっかり応えようとするんですよね。大人の望む“いい子”を演じなきゃいけないと思っているんです。このお話で言えば、ルラルさんが屋根から降りてこられるように、はしごをかけてあげるのが“いい子”で、それをしないのは“悪い子”に見えたのでしょう。でも、心のどこかではきっと、汽車遊びをする様子を見て、いいな、楽しそうだなっていう気持ちもあるはずなんですよ。

ルラルさんは屋根から降りられずにちょっと困るんだけど、すぐに気分を変えて、屋根の上で空を眺めながらのんびり過ごすことにするんですね。つまり、はしごがなかったことによって、むしろ得ることもあったというわけです。それに、息子さんのような子どもたちも、庭の仲間たちには全く悪意がないってことを、いつか知ると思います。その時は、「意地悪」って何なのかを考えるきっかけにもなるのではないでしょうか。この絵本を読んだ子どもが、こういうこともあるんだから、ときには大人の言うことを聞かなくてもいいんだなと心の片隅に留めておいてくれたなら、作者としてはうれしいですね。


『ルラルさんのにわ』

作:いとうひろし(ポプラ社)
ルラルさんが毎日手入れをしている大切な庭に、ある朝、大きな丸太が転がっていました。
怒ったルラルさんは丸太を蹴飛ばそうとしますが……。



―― 想定外のことが起きても、それを楽しむ余裕があるのが、ルラルさんのいいところですよね。子育てなんかはまさに想定外の連続なので、ルラルさんのシリーズは、そういう最中にいる大人こそ読むべき絵本、という気もします。

いとう:絵本を作るときに、子どもから大人まで、すべての人に向けて描こうと意識してしまうと、その絵本は子どものものではなくなってしまうんですね。でも、どうすれば子どもに伝わるかということを徹底的に考えて作った絵本は、最終的には子どもだけのものではなくて、大人にも通用するものになるんです。それは自分が絵本を作っている中で得た、一つの確信でもあります。

僕の場合は基本的に、やっとストーリーを追いかけられるようになった子どもを最低限のラインとして、そのぐらいの小さな子でも楽しめるものを作るようにしています。たとえば『ルラルさんのにわ』なら、丸太に見えていたのがじつはワニだったということを面白がることができれば、それで十分楽しめるように作っているんです。でも、年齢や読解力が上がってくると、もっといろんな読み方ができるようになってくる。みんなと一緒に芝生に寝転んだことで、ルラルさんがどうなったのかという、表面的な楽しさのその先にあるものが見えてくるんです。

――「ルラルさんのえほん」シリーズのテーマとなる部分ですね。

いとう:ルラルさんは一見頑固で偏屈なおじさんですが、シリーズが続くにつれて、顔つきがどんどん優しくなっていくんですね。それは、庭の仲間たちとの交流をきっかけに、自分とは違う価値観と出会って、それを受け入れたから。ルラルさん自身の根本は変わっていないんだけれど、思いもよらない出来事を経験する中で、楽しみの幅がぐっと広がったんです。

ルラルさんがさまざまな出来事から何を受け取ったのか、楽しみの幅がどんな風に広がったのか……そんなところも考えながら読み込んでもらえると、よりいっそう楽しめると思います。

■日常の中の楽しみに気づけば、毎日はもっと豊かになる


―― 「ルラルさんのえほん」シリーズでは、芝生のチクチクの気持ちよさや、自転車で風を受けて走る爽快感、バイオリンのおかしな音色を聴いたときのムズムズ感など、五感に直接訴える喜びや楽しみもよく描かれていますね。

いとう:今の世の中、ほとんどが視覚情報に頼ってしまっていて、しかもその情報は、一度誰かの手が加わったものになっているじゃないですか。だから大人も子どもも、自分が面白いと思うものを見つけるのが下手になってきているんです。刺激にはじきに慣れてしまうから、メディアはより強い刺激を与え続けるわけで……行きつく先はどこなんだろうと考えると、ちょっと怖いですよね。

―― 映画館の4DXなんて、ものすごい情報量ですもんね。

いとう:そういうのは違うだろうって思うんですよね。僕はむしろ、そんな強い刺激とは逆の感覚というか、日常の中の小さな喜びこそ大事だよなと思っていて。それまで見落としていたこと、気づかなかったことにちょっと目を向けるだけで、そこには豊かな世界が広がっている。それに気づいて面白がれるようになれば、強い刺激なんてなくても、何でもないことを楽しめるようになるじゃないですか。そっちの方が、自分にとってはずっと良き世界に思えるんですよ。

当たり前の生活の中で、いろんな感覚を鈍らせず、楽しみを自ら見つけていけたらいいですよね。このことはルラルさんに限らず、自分の絵本作りの中での大きな柱になっています。

workshop
練馬区立石神井公園ふるさと文化館分室特別展「デビュー30周年記念 いとうひろし展―みつけよう、わくわくのタネ」の関連イベントとして開催されたワークショップ「びりびり新聞紙で変身しよう!」の様子。大量の新聞紙をびりびり破って遊び尽くしました。


―― 今年の夏、練馬区・石神井で開催されたワークショップ「びりびり新聞紙で変身しよう!」に息子とともに参加させてもらったのですが、これが本当に楽しくて。新聞だけであそこまで遊べるのかと感心しました。

いとう:就学前の子どもたち向けに、10年くらい前から何度かやっているワークショップです。決められたものを作るだけの工作教室みたいなワークショップよりも、ずっと楽しいでしょう。破いたり散らかしたりっていうのは、みんな好きですからね。

ワークショップは、みんなで集まって何か作ったり遊んだりする、その過程が面白いんですよ。その過程の中で、非日常の楽しさを見つけられたらいいなと僕は思っていて。ポイントは、新聞という日常的なものを材料として使うところ。会場も、子どもにとってなじみの場所が好ましいですね。

子どもって、日常生活ではいろいろとルールを教え込まれていると思うんですけど、ワークショップの際はそういうものは全部取っ払います。誰かを邪魔したり、けがさせたりさえしなければ、何をしたっていい。思ったこと全部やってしまえ!ってね。普段触れているものだけで、いつも遊んでいた場所に、非日常の空間を作るんです。非日常の楽しみを体験することで、逆に日常って何だろうとなる。体を使って考えることが大事だと思っています。

―― 日常の中で楽しみを見つけるという、いとうさんの絵本のテーマにも通じますね。特別なものを使わなくても、工夫次第でとことん遊び尽くせるんだと身をもって知ることができました。片付けまで楽しくて、子どもたちは最後まで生き生きとしていましたね。

いとう:片付けも嫌々やっていると苦役になるけれど、遊びとして楽しめれば、子どもたちは率先してやりますからね。

―― いとうさんご自身は、小さい頃どんな風に遊んでいましたか。

いとう:僕らが子どもの頃は今ほどおもちゃがなかったから、その辺にあるもので遊ぶしかなかったんだけれど、逆にそれはいいことだったなと思いますね。遊ぶ場所は、雑木林とか川とか田んぼとか。そういうところでは、自分から働きかけていかないと、世界が動かなかないんですね。でも、だからこそいろいろ考えて、自分たちの手で遊びを立ち上げていくわけです。ルールも何もかも、自分たち次第。

―― 遊び方は無限だったんですね。

いとう:遊びの時間はたっぷりあったし、それを許してくれる大人がいたんですよね。木から何回も落ちたり、ドブ川でガラスを踏んで足をけがしたりと、かなり危ないこともしていたんですよ。でも、「気をつけなさい」とは言われても、「もうやっちゃダメ」とは言われなかった。おかげで、自ら働きかけて楽しみを見つける面白さをたくさん味わうことができました。

でもそういう経験が少ないと、森や川なんかに行っても、「ここで何して遊ぶの?」ってなっちゃったりするんですよね。

―― テーマパークのような楽しさに慣れていると、そうなってしまうかもしれませんね。

いとう:ただ座っているだけで、十分楽しませてもらえますからね。それはそれで、よくできていてすごいなと思うし、否定するつもりは全然ないんですよ。でも、そういう受動的な楽しみが一方にあるからこそ、もっと能動的に楽しみを見つけていくことの大切さも、ちゃんと伝えていかなきゃいけないなと感じていて。

近所の池にどれだけの生き物が住んでいるかとか、公園に食べられる植物はどれだけあるかとか、そういう楽しさというのは、意識して働きかけていかないとずっと知らないままですからね。

―― もっと自然の中で遊ぶべき、と。

いとう:別に“自然”の中に出かけなくてもいいんです。というか、自分の体だって言ってみれば“自然”ですからね。人混みを見ているだけでも、面白いことっていっぱいあるんですよ。たとえば電車の中で、次に乗ってくる人は男か女か、何歳くらいか、めがねをかけているかどうかとか、そんなことを考えるだけで十分遊びになりますから。

雑多なものの中から、自ら働きかけて楽しみを見つけることができれば、世界中どこにいたって面白くて、退屈なんてできないと思うんですよ。アンテナが細かくなる分、嫌なものもいっぱいひっかかってしまうかもしれないけれど、いいこともたくさんひっかかるはず。だから子どもたちには、もっと楽しみ方のトレーニングを積んでもらいたいですね。

そのトレーニングのひとつとして、絵本はとてもいいと思います。音が出たり動いたりするようなアトラクション的な絵本もあるけれど、そういう楽しみは絵本じゃなくても得られることが多いんですよ。テレビの方がよっぽどおもしろいですからね。でもそうじゃなくて、自分から絵本の世界に入って楽しみを見つけられるようになれば、はまっちゃいますよ。それってすごく幸せなことですよね。

ただ子どもって、楽しみに対して大人以上に保守的なところがあるんですよ。たとえば、テレビでよく見ているキャラクターの絵本を選んだりするように、知っているもので手っ取り早く楽しもうとする。新しい何かを楽しむためには、新たなトレーニングが必要なんですね。そのためにも、親がいろんな絵本を選んで見せてあげるべきだなと思います。

■たくさん読んで、自分にとっての“いい絵本”を見つけよう


―― どんな絵本を読んであげればいいか悩む方も多いと思いますが、何かアドバイスをいただけますか。

いとう:まず、親が絵本を楽しむこと。それが何より大事です。絵本なんか面白くないと思うなら、別に読まなくたっていいんですよ。その代わり他のことで子どもと遊んであげればいいんだから。でも、自分が本当に絵本の面白さを知りたいと思うのであれば、子どものためとかそういうことをいったん忘れて、とにかくたくさん読んでみる。そして、自分が面白いと思える絵本を見つけて、そこをたどっていくしかない。それ以外の近道はないと思います。

気をつけてほしいのは、誰かにとっての“いい絵本”と、自分にとっての“いい絵本”は違うということ。もし同じ絵本を見て「いいね」と思ったとしても、どこを見ていいねと思ったかは違いますよね。読む人の立場や置かれた環境、その時の気分などでも、絵本のとらえ方はがらっと変わってきます。だからこそ、いろんな絵本を一冊一冊、丁寧に読んでいくことが大事。自分の絵本選びに自信を持てないのは、たくさん読んでいないからなんです。

―― 自分にとっての“いい絵本”を見つけるためには、とにかく自分で読んで、感じてみることが大事、というわけですね。

いとう:やっぱり簡単なもの、わかりやすいものの方が楽だし、受け入れやすいんですよね。だからSNSとかで「泣けました」「感動しました」なんて紹介されていると、みんなすぐ乗っかってしまう。でも、「泣けました」ですべてを語ってしまうようでは、感性は全然豊かになっていかないんですよ。

たくさん絵本を読んでいると、ときどき「え? 何これ、どういうこと?」って思わせる絵本に出会うと思うんです。そういうときに、「よくわからない」と放り投げずに、「この絵本は何を伝えようとしているんだろうか?」「どうすれば楽しめるんだろうか?」と考えることは、すごく重要だと思います。面倒くさいことだし、徒労に終わる場合もありますけどね。でもそういう積み重ねの中でこそ、感覚は活性化されていくんだと思います。

―― 親にとっての“いい絵本”と、子どもにとっての“いい絵本”が違う場合もありますよね?

いとう:それは当然あります。親子とはいえ違う人間なので、絵本の感じ方も違って当たり前。「面白いでしょ?」と言って見せた絵本を、子どもに「つまんない」と言われることもあるはずです。でもそんなことは気にせずに、自分のいいと思う絵本をどんどん見せちゃっていいと思うんです。今はわからなくても、時期が来ればその良さをわかるようになるかもしれませんからね。

―― 今年は絵本作家デビュー30周年ということですが、これまでを振り返ってどんな風に感じていらっしゃいますか。そして、これからどんな絵本を作っていきたいですか。

いとう:30年を振り返って特に感じるのは、絵本の読まれ方がすごく雑で表面的になってしまったということ。それがすごく残念なんですよ。絵本の面白さというのは本来、直接的に描かれていないものを想像して楽しむことにこそあると、僕は思うんですね。でも最近は、パッと見てパッとわかるような絵本でないとうけなくなってきているし、それ以上のところに踏み込むこと自体、求められなくなってきているのかもしれません。

そんな中で、僕が今後どうしていきたいかというと、やっぱりこれまでと変わらず、自分が面白いと思う絵本を描き続けていきたいなと。僕が面白いと思うのは、単純な表現の奥に広がる世界をしっかりと描いた絵本なのだから、作り手としては、そういうものを作り続けるしかないですよね。それが時代遅れだと言われて淘汰されるのなら、それはそれで仕方ありません。でもこれからも僕は、表面的な面白さだけではない、奥行きのある絵本を作り続けていきたいと思っています。読者の皆さんには、想像力と創造力を使って、絵本の中の楽しみをどんどん見つけてもらいたいですね。

加治佐 志津加治佐 志津
ミキハウスで販売職、大手新聞社系編集部で新聞その他紙媒体の企画・編集、サイバーエージェントでコンテンツディレクター等を経て、2009年よりフリーランスに。絵本と子育てをテーマに取材・執筆を続ける。これまでにインタビューした絵本作家は100人超。家族は漫画家の夫と2013年生まれの息子。趣味の書道は初等科師範。