人は追いつめられると、必死に立ち向かうか、ラクな方に流れるか、どちらかを選ぶと思うのだが、ほぼ立ち向かう一択しかない状態、それが産後だと思う。

赤ちゃんの人生がスタートしてしまったら、戻ることはできない。未知の生物を生かす!という目的のもと、より「死ににくい状態」になるまで日本の母親は密着する。

生後1ヵ月検診で一段落、生後3ヵ月あたりで首が座って一段落、生後半年くらいの離乳食で一段落(&新しい挑戦開始)、つかまり立って、歩いて……1歳のお誕生日を迎えて振り返ると、人生史上NO.1の緊張した1年だった、なんて思うのではないだろうか。

あの達成感+安堵感の気持ちをひとことで表すと「あ``――――――……!(あ+濁点)」だ。


■緊張感マックスな産後体制


私事で恐縮だけれど、下の子が2歳半を過ぎ、子どもの世話地獄から徐々に解放され、私の自我を取り戻してきたと感じる2018年。やりたかったことが徐々にできはじめ、仕事量が増え、毎日ハッピー!と浮かれたのもつかの間、なんだか身体的にも精神的に弱くなったように感じるのだ。

なんだ、この馬力の少なさは……!? 湧き上がらない体力と、度重なるめまいは……?

アラフォーという年齢のせいや、たまった疲労がドバっと出たんだろうな~とあらかた結論付けて同業の先輩ママにこぼしたところ、

「火事場のバカ力を発揮できる、“産後体制”が崩壊したんだね」

とスパっと紐解いてもらい、激しく納得した。
ああ、私は産後という異常な状態に慣れて、それを通常だと思っていただけなのだ。

■期間限定の底力


そういえば、耳鼻科の女性医師も、実母も、別の先輩ママも言っていた。
「産後は、期間限定で湧き上がる果てしないパワーがある」と。
「自分でも、なぜできたか分からない」と。

突然ですが、想像してください。
少年漫画の主人公が、敵にボッコボコにされても立ち上がり、「キサマ、どこに、そんな力がっ!?」とか言われながら、命がけの一撃で敵を倒すサマ(その後主人公も倒れ、しかし仲間が助け起こす)。

もはや体力でおさまる枠を超え、信念(執念・怨念)のみで突き抜けるアレである。
あんなパワーがありませんでしたか?(今もある?)

思い起こせば下の子が生後2ヵ月で肺炎になり、毎日通院しながら上の子の保育園&幼稚園活動と、赤ちゃん返り&イヤイヤ期をなだめすかし、少々の仕事と家事とキャッチコピーの懸賞に取り組んだ日々(まぐれで受賞もできた)。

母親にやること偏重な憤懣やるかたなさと、それでも、母は倒れてはいけない、やらねばならぬと思い込み、アドレナリンを頼りに無理やり過ごした。寝ている間も歯をくいしばって顎関節症になったような……。
おおかた、皆さま似たような経験をお持ちだろう。
しかし今は。

――もはや、産後ではない。

赤子の死という敵を遠のけた安堵感で、母たちはゆっくりと倒れる。ああ、仲間が助け起こしてくれるかな……え、仲間って旦那? あれっ…どこにいるのかな?

しかし母たちは、油断するのは早すぎると知っている。きっと何かがこれからも子どもを脅かす。その時はきっとアドレナリン・スイッチが入って、再びパワーがあふれることだろう。

「母は強い」と言われるゆえんは、子どもや家族が困ったことになると、火事場のバカ力が発動し、命を燃やすのを躊躇しないことかもしれない。

父の強さは、もしそんな妻の姿を見ても動揺しないこと……だったらつらいな。

斎藤貴美子
コピーライター。得意分野は美容・ファッション。日本酒にハマり、Instagramの#SAKEISAWESOMEkimikoで日本酒の新しい切り口とコピーを思案中(日本語&つたない英語)。これからの家族旅行は酒蔵見学。二児の母。