「ひとつだけ願いをかなえてもらえるなら、めだたないありきたりの顔になりたい。」
児童書『Wonder ワンダー』(R・J・パラシオ 著/中井はるの 訳・ほるぷ出版)の主人公オーガストは、先天的に顔の形成に問題をかかえ、「きみがどう想像したって、きっとそれよりひどい」顔の持ち主だ。彼が生まれて初めて学校に通うことになった中等部(5年生)の1年目が描かれている。

いかにも「感動」を売りにしたつくりの話なら興ざめなのだけど、これが、とってもいい距離感で面白かったのだ。ストーリーは、登場する子どもの視点で語られ、章によって語り手が変わる。同じ出来事が別の子の視点で次々に語られる展開にぐいぐい引き込まれ、翻訳の日本語のリズムも心地よく読みやすい。


児童書コーナーにある子ども向けの小説で、小学校高学年の息子が先に読んだのだけれど、私も数年前に立ち読みしたきりで気になっていたので、読んでみたらなんだかとてもよかった。 (※本書の刊行は2015年7月)

「『人と違うこと』をどうやって受け止め合うか」っていうことが全体に流れている。

親になるまでは、「自分が他人にどう映るか/自分が他人をどう見るか」だけで済んでいたかもしれないけれど、親になると「自分の子が他人にどう映るか/自分の子が他人をどう見るか」もそこに加わる。

「大きな違い」を子ども自身がかかえたとき、もしくは、「大きな違い」を持った誰かと自分の子が知り合った時、親として、ひとりの大人としてどう接するだろうか? そんなことを考えるきっかけになるだろう。

■「きれいごと」では済まない現実


オーガストの両親も姉も親せきも、周りにいる人たちは皆とてもあたたかい。オーガストは幸せだし聡明だ。それでも、著しく「見た目」が違うせいで、外で出会う人たちからは、強い視線を受け、ひどい言葉をかけられたり、逃げられたりしてきた。

どんなに理性的で正しいふるまいをする大人だとしても、オーガストに出会った瞬間は、わずかにでも驚いた表情を見せるのを彼は知っている。極めて目立つ「外見の違い」に反応を隠し通せない。「多様性を受け入れましょう」という理屈ときれいごとだけではどうしても片付かない圧倒的な現実が描かれている。

オーガストは学校に行き始めたら、ひとりでその視線に耐えなければならない。ライトな一瞬の反応から、あからさまに避ける態度、悪意のある言葉や態度にまで、様々にさらされる。

■「慣れる」って理性よりうんと力強い


オーガストと一番最初に親しくなるジャックの視点で描かれる章にこんな記述がある。

「第一に、オーガストの顔には慣れてしまう。はじめの二、三回は、ぼくだって、わっ、こんなのに慣れるのは、いくらなんでも無理って思ったよ。けど、一週間ぐらいしたら、まあ、大丈夫かもって感じになっていた。」

ここを読んで、あぁそうなんだ、これがダイバーシティのすべてなんじゃないのかな、と思った。
多様性って、頭で考えて理解したり、理屈で受け入れたり、ましてや道徳感で受け止めるものではなくて、いや、それでもいいのだけれど、そんなことより重要なのは、単に「慣れる」ことなんじゃないかと思うのだ。

オーガストの特徴の場合は周りが「見慣れる」必要がある。別のケースなら、話し慣れるとか聞き慣れるとか、いろいろなパターンがあるだろう。ただそれだけのことが意外と大切。そうやって接触する機会がなければ、決して「慣れる」ことはないし、「存在を知る」ことすらない。ある類型の人にひとり出会ったら、その向こうにもっとたくさんいるということに気づく。だから、ただ混ざり合い「慣れる」ことって重要だと思うのだ。

きっとオーガストを「見慣れた」子どもたちや周りの大人たちは、今度別の場所でオーガストと同じような特徴を持つ人に出会ったとき、2度目だから前より驚かなくなっているだろう。

突出した特徴は障害とカテゴライズされるかもしれないし、障害とくくられない際だった特徴も世の中にはたくさんある。「差別はいけない」「人はさまざまだ」と強く立派な考えを持っていることよりも、たぶん、ただ単にさまざまな類型や個別の事情に「接し慣れている」ことの方がフラットに受け止める強さになるだろう。

■特殊性だけで語らない。悩みは相対的に存在する


オーガストの学校でのストーリーは、特殊な状況の子を描いているようでいて、ごく普通の子どもの話としても読める。すれ違いや表に出さない思い。勢力や立ち位置。子どもたちの正直な視点で描かれるから、ずるさも、残酷さも、弱さも、強さも、公正さも、物事を見通す力も、達観も、全部ストレートに出てくる。

オーガストが、
「ぼくにとって、ぼくはただのぼく。ふつうの子ども。」
「ただ五年生を無事に終えただけなんだけれど、それって、かんたんなことじゃないんだよね。べつにぼくじゃなくても。」
と表現するところがある。

絶対的な大変さとか困難さっていうのは必ずあるのだけれど、でも、自分自身や他人を見るときに、そういう絶対的な指標だけでは計れないことがある。当事者にとっては、自分の置かれている状況は「ふつうで当たり前」のこと。

「あんなに大変な状況なのにすごい」とか、逆に「自分はこんなに恵まれているから大変ではないはずだ」とか、そういうことって思いがちだけれど、皆、自分の置かれた環境の中で相対的に、やっぱり強烈に不安になったり困難にぶつかったりしている。

特殊性がテーマながらも、そういう相対的な普通さとか相対的な困難さがぴたっと押さえられていることに、心地よさを感じた。

■筆者の「親の視点」で包まれている


フィクションだということを忘れて、なぜかノンフィクション的に読んでしまう不思議な小説。展開は王道かもしれないけれど、感傷的でないカラっとした空気感がいい。

でも、母親の目で読むと、本当はめちゃくちゃ不安でも不安じゃないふりをして、本人ががんばれそうなギリギリのラインで子どもの背中を押すっていう、なんかそういう見守るしかない立ち位置に、強く共感してしまうし、オーガストのがんばりも、親の目で見てしまう。だからそういうところにちょっと涙がでそうになったりもする。

小説の筆者R・J・パラシオは、じつは母親として子どもを連れている時に、顔にシビアな特徴のある子どもに出会った経験がきっかけでこの話を書いたという。彼女の幼い息子がその子に見せてしまった反応、彼女自身の対応……。だから、子ども視点の語りながら、親の包み込むような視点が、どこかこの話全体に流れているのかもしれない。

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この「ワンダー」は、昨年(2017年)秋にはアメリカで映画化されていて、今年6月に日本でも公開される。母親をジュリア・ロバーツ、父親をオーウェン・ウィルソンが演じ、オーガストは、映画『ルーム』の演技が強烈に印象的だったジェイコブ・トレンブレイが特殊メイクで演じる。配役だけでも観るのがとても楽しみだ。

映画も期待大なのだけれど、ぜひ映像のイメージがつく前に小説を読むのをおすすめしたいなと思う。

私は完全に親視点で読んでしまったけれど、息子はきっとけっこう違うことを感じているだろう。大人も子どももそれぞれ違う視点で引き込まれるはずだ。


ワンダー Wonder
R・J・パラシオ
ほるぷ出版
2015-07-18


ワンダー特設サイト
http://holp.jp/wonder/
映画『ワンダー 君は太陽』公式サイト
http://wonder-movie.jp/

狩野さやか狩野さやか
Studio947でデザイナーとしてウェブやアプリの制作に携わる。自身の子育てがきっかけで、子育てやそれに伴う親の問題について興味を持ち、現在「patomato」を主宰しワークショップを行うほか、「ict-toolbox」ではICT教育系の情報発信も。2006年生まれの息子と夫の3人で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者資格有り。