ライフハックがもてはやされる世の中で、独特の存在感を放っているのが、「子どもにまつわる伝統行事」だ。

「どんな意味があるの?」という素朴な疑問と、「やっておいた方が無難」という同調圧力、「将来子どもに恨まれないため」の保険と、伝統行事にまつわる企業の戦略にひっかかる、など清濁併せ呑みながら、命名式から始まって、お宮参り、お食い初め……等とクリアして、やってきました七五三。


七五三は、本来数えの年で子どもの成長を祝うものであるが、もはや「本来」とか「もともと」がもたらすメリットが謎。

一説には、子どもの脳みそが急激に発達する数えの3歳(イヤイヤ期か)、5歳(プチ反抗期といわれるアレか)、7歳(脱・神様のモノたる何かがあるのか)にお祝いをすることで、急激な成長に伴う「ひずみ」に気を付けなされ~と警鐘を鳴らすものだという。そう考えると、扱いにくい時期を周知させるためのラベリングだったのか、と少し納得する。

だが、今の世間の七五三イメージは、子どもの健やかな成長を着物を着せて祝って記録するものであり、そのタイミングがたまたま昔ながらの、3、5、7歳であるといったものだろう。

我が家の上の子(男)は数えで6歳、下の子(女)は3歳である。
本来上の子の5歳祝いは昨年やるはずで、2017年11月、普段着でフラッとお参りに行き、祈祷が激混みのため、あきらめて帰ってきた経験がある。

今年は上の子同様、「とりあえず神社に行ったらよくないか?」と思いつつ、写真がないと外野がうるさそう、といった忖度が働いた。

結局、私の中で「私が、家族が、和装するチャンスのイベント!」と定義付けることで、もやもやを回避したのである。

そう、七五三の写真撮影とは、コスプレイベント。
年が多少合っていなくてもOK! 写真という証拠を持つことで、ふつうっぽい家族だと思われればOK! 大手を振って仮装しようぜ!

とボルテージを上げ、親の和装が可能で、子どものドレスや着物写真に特化したチェーン展開するスタジオにて撮影したのだが……。

つい30分前に出来上がった写真たちを手にしたときの残念感がぬぐえず、「いや、ホラ、撮影当日から納得してなかったじゃん。我が家のわりには大枚はたいたけど、日本の経済に貢献したのだから良しとしようよ!」と猛烈に自分を慰めている。


以下グチになる。品位が疑われるなあと思いながら、貧乏性の私は思うのだ。

・ピントよ、合っていてほしかった。
(いや、あの状態では合うまいから、もう少し注意して選べばよかった)

・もう少し、写真選びに時間が欲しかった。
(そしてその日はとても疲れており、判断能力が鈍かった)

・自由に選びたかった。
(写真を選んだら一発決定ではなく、戻りながら比べたかった)

・トリミングを想定したカメラワークにしてほしかった。
(一見お買い得な「アルバム」に印刷してもらうコースにすると、縦横のレイアウトがあらかじめ決まっているので、写真的におさまるものとそうでないものができてしまう。主役の顔を切るわけにはいかないので、レイアウト重視でいまいち納得していない写真を選ばざるをえない)。

・料金体系が複雑すぎて、理解するまで30分かかった。
(昔の携帯電話の料金体系のように、「アルバムを買ってくれる人は着付けが〇円」などの条件つきのオプションだらけで、分かりづらい)

でも私がもし、このスタジオの経営者だったら、これは必然だなとも思う。
カメラマン、機材、スタジオ、ドレス、和装、その着付けとメイクの人員を確保して運営するならば1家族あたり6万円はかかるだろうし、時間ばっかりかけていられない。

しかーし、と私はさらに思う。
当スタジオは撮影料とドレス料は無料で、印刷物でお金を取る料金体系なのだが、それはそろそろ見直してもいいんじゃないか。

十年前、友人のカメラマンに聞いたところによると、登場当時、この手の料金体系は業界的に「まったく新しい」ものだったという。それまでは、撮影料がいくら、衣装を借りるときはいくら、と別にかかっていたのだが、それらが全部無料とうたってお買い得感を印象付けることに成功したという。

ただ、時代は流れ、いまはデータを専門店で印刷できる世の中である。データさえあれば、サイズも質もカタチも自由に選択できる。しかも適正価格で。一定のメディアリテラシーのある世代が欲しいのは、アルバムではなくデータなのだ。

というわけで、カメラマンさんの技術料、スタジオ代、子の衣装代、メイクアップ代、データ代で一括〇円、本状のアルバム印刷をしたい人や親も和装したい人はプラスで〇円。

七五三のお参り当日の衣装は半額!みたいな感じがスッキリするので広まってほしい。(おそらく私が知らないだけで、このようなスタジオはすでにあるのだと思うが……)

そしてさらに思う。
人間は得をしたことより、損をしたことのほうが20倍強い印象を持つという。だから、今回の撮影のような「ちょっとした不満」を残しておくことで、「七五三の撮影のときこんなことがあったよね~」「あれね~」と印象深いものにする戦略なのかもしれない。いや、これは考えすぎか……。

とにかく撮影は終えて印象深いものになったので、あとはデータを紙焼きにして各親戚群に配って完了だ。うん、我ながら親っぽいことをしているから、外野の物言いはつくまい。そうだ、この安心料も入っているのだ。

きっとこれからも、「もっといい写真があったんだけど、レイアウト的にこれが表紙なんだよねえ」なんてネタにしながら、手元のアルバムを見るんだろう。それも悪くないかもしれない。

斎藤貴美子
コピーライター。得意分野は美容・ファッション。日本酒にハマり、Instagramの#SAKEISAWESOMEkimikoで日本酒の新しい切り口とコピーを思案中(日本語&つたない英語)。これからの家族旅行は酒蔵見学。二児の母。