日本から帰ってきて約2ヵ月半。平日の小学校も日本語土曜学校も夏休みになって2週
間あまりが過ぎた。

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子どもたちの間には、クリスマスとはまた違うソワソワワクワクが漂っている。我が家の息子も、従兄たちとの湖でのキャンプを皮切りに、屋外プールでの水泳、水辺でのバーベキューやピクニックと、屋外にこだわった予定を立てたがる。わずか7回目にしてすっかり夏のベテランのようだ。

そんな日々の中で、「あー、また日本に行きたいな~」と言いだすことがある。楽しかった思い出がふと心に浮かんでくるのは子どもも一緒だなと思う。「次に日本に行ったらやってみたいことは……」と2人で盛り上がった後、「日本でもうやりたくないことはある?」とふと聞いてみたら、しばらく考えてから、「あー、思い出しちゃった」と言った。

「日本では、バスはもう乗りたくない」


その出来事があったのは、日本滞在4日目、旅先でタクシーがつかまらず、しかたなくローカルの路線バスに乗った時だ。時刻表など存在しないかのように遅れてやってきた小さなバスは、あいにく席があいておらず、乗車口の階段のあたりに立つことになった。ところが、「日本で初めてバスに乗るね」と珍しげにきょろきょろしたり、しゃがんだりしていた息子は、見知らぬ人にいきなり一喝されたのである。

「じっとしてろっ」

驚いて見やると、先ほど同じバス停から乗った無表情のおじいさんが、じっと息子を見つめている。私が抱き寄せると、息子は固まっておじいさんを見上げたまま私にぴたっとくっつき、おじいさんが前の方に行ってしまった後も、離れようとしなかった。

おじいさんは一言で自分の目的を果たして、スカッとしたかもしれない。

日本に遊びに来ただけの人という立場の私はいいが、もしそこが生活圏で、育児に孤独や辛さを感じていたり、ほとほと疲れていたりしたら、こんな一言こそものすごくきついのではないだろうか。

まだまだのんびりしているシアトルで、普段は車で移動し、イベント感覚で大きな2台連結バスに乗り、しかも座れないバスに乗ったことがない私と息子は、「日本での行動の仕方」というものに気づくのにも、そしてそれを実行できるようになるのにも、時間がかかる。

「店員やキャッシャーはもちろん、見知らぬ人と話をしない」(私の故郷の神戸はちょっと違うが)とか、「後ろから来る人のためにドアを持ってあげたりしない」(持ったら最後、これ幸いとばかりにどんどん人が入ってきてドアマンと化してしまう)、「知らない人と目があってもニコッとしない」(不審な人と勘違いされる)ということだけでも、できるようになるのはシアトルに帰る頃だったりするのだ。

あれこれ考えているうちに目的地に着き、バスを降りた。「誰かにぶつかりそうになってたわけでもなかったし、危ない感じでもなかったから、ママは注意しないといけないと思わなかったんだけどね。でも小さいスペースでは、とりあえずできるだけじっとしておいたほうがいいかもね」と息子に言うと、「うん」とうなずいた。

気持ちの切り替えが早い息子らしく、その時はさっと次のことに夢中になったように思う。しかし、こうして思い出すということは、やはり心に残っていたというわけだ。

「でもね、あのおじいさんがね、じっとしてようねって言ってくれたら、わかったのになあ。“じっとしてろっ”ていうの、言われたことないし、あのときはじめて聞いたもんね」

口をとんがらせて何を言うかと思ったら、どうやら、「じっとしてろっ」という日本語がわからなかったことを悔しがっているらしい。

とりあえず、次回の日本旅行では、「バスはなし」ということは覚えておこう。

大野 拓未大野 拓未
アメリカの大学・大学院を卒業し、自転車業界でOEM営業を経験した後、シアトルの良さをもっと日本人に伝えたくて起業。シアトル初の日本語情報サイト『Junglecity.com』を運営し、取材や教育プログラム
のコーディネート、リサーチ、マーケティングなどを行っている。家族は夫と2010年生まれの息子。