私は月に1回くらい、飲みに出かける。

私が独身だったら受け流される内容だろうが、世の中にはなぜかちびっ子の母親に厳しい人たちがいる。

「母親のくせに子どもを置いて飲みに行くのか」
と言うのである。
「父親」なら何も言わないのに。


月1回飲みに行く時に「なんだかちょっと後ろめたい」気持ちになる原因は、オールドファッション層の言い分を忖度してしまうからだろうと思っていた。

だが、よく考えてみると、面と向かって飲みに行くなと言われたことはないし、私はオールドファッション層に従属しているわけではない。そういう意見はあると認識はしているが、共感はできないので、常にドンパチやってるツイッターをのぞかなければよいのである。

では、この後ろめたさはどこからくるのか?
忙しい夫に、子どもの送り迎えから寝かしつけまで丸投げするからだろうか? でも、それは私が月の97%~82%ほどやっていることなので、当然だろう。

ある先輩ママは、「母親の価値観の刷り込みでは?」と答えてくれた。
心理学的にも娘は母のことを「いいお母さん」だと思い込むフシがあり、転じて母親がものさしになりがちであるらしい。

たしかに私の母親は夜出かけることはせず、家ではお酒を飲まなかった。だから私の行動を見聞すると、「今のお母さんは自由でいいわね。旦那さんはえらい」と言ってしまう、ややオールドファッション型である。

同じ母親の立場となったいま、私の母がしてくれたこと(例:1日30品目の手作りごはん)を私は子どもたちにやってあげられない苦悩(呪縛)を経験しているので、やはりそこかとも思う。

……が、もうひとつ新しい理由が思い当たった。
「ほかのママたちに、なんだか申し訳ない気持ちになる」
である。

「人は人、自分は自分」の線は引いておきたいので、そんな気持ちになる必要ないとは百も承知なのだが、ふだんワンオペ生活をしているため、私は夫より同じ境遇のママ友と過ごす方が多い。

するとシンクロ率がグングン上昇、ママ友と同質化してしまい、彼女たちが言われたこと、されたことに対して自分のことのように一喜一憂してしまうのである。子どもか。

つまり、ママ友のことを過酷な戦場を共にサバイブする同志だと思っているので「身軽に飲みに行く=身軽に戦線離脱する」ことになり、なんとなく後ろめたいのではないか、ということだ。


だが、この「後ろめたさ」は、お門違いかつちょっと危険な日本臭さを秘めている。
それは「過酷な状況なのだから、みんなで耐え抜こう」というリアル戦時中のインサイトが見えるからだ。

「贅沢は敵」、「欲しがりません勝つまでは」……ああ、ジメジメしてきた。その標語を作らずにはおれない背景も分からんではないが、お願い、過去のことにさせてほしい。そして自由のなさにおいて育児を戦争に例えたくなるけれども、やはり違うか。不可抗力の度合いが違いすぎる。


というわけで、ワンオペ子育て母が向かうべきは、「みんなで苦しもう」ではなく「みんなで楽しもう」のビジョンである。
だから私は胸を張って飲みに行き、旦那さんが帰ってこないママ友がいれば「子どもを見ておくから、行ってきなよ」と言えばいいのだ(3人以上の子どもを一人で見られるかはちょっとドキドキするけれども)。

あえて言おう、子育て中でも月1だろうが週1だろうが、飲みに行ったり外出することは贅沢ではない。そして贅沢は悪いことではない。
チャンスが巡ってきたら、全力で楽しめばいい。みなさまの健闘を祈っている。

斎藤貴美子
コピーライター。得意分野は美容・ファッション。日本酒にハマり、Instagramの#SAKEISAWESOMEkimikoで日本酒の新しい切り口とコピーを思案中(日本語&つたない英語)。これからの家族旅行は酒蔵見学。二児の母。