まもなく8月も終わりで、まだまだ暑い日が続いているがピークは越した感がある。
涼しくなるのは嬉しいけれど、まだ夏が終わってほしくないな、名残惜しいなとじたばたしていた日のこと、スマホを開くと漫画家のさくらももこさんの訃報のニュースが飛び込んできた。

言わずと知れた国民的人気コミック『ちびまる子ちゃん』に、ベストセラーとなったエッセイ『もものかんづめ』に代表される執筆活動のほか、ラジオのパーソナリティや作詞などマルチに活躍したさくらさんに、一般人から著名人まで、国内外問わず多くのお悔やみが寄せられた。

現在もテレビアニメ放送が続いていることから、幅広い年代の読者、視聴者に愛されている『ちびまる子ちゃん』だが、「りぼん」での連載開始は1986年ということで、我々子育て世代はかなりドンピシャ、リアルタイムで読んでいた人も多いのではないだろうか。

筆者も漏れなくそのうちの一人で、初めて『ちびまる子ちゃん』を「りぼん」の誌面で読んだのはちょうどまるちゃんと同い年の小学校3年生、1988年の夏だったが、こんな漫画が少女漫画の雑誌に載っているんだ、と思ったのが第一印象だった。


瞳がキラキラでも、八頭身でもないキャラクターが非常にその時は珍しく思えたし、最初から面白いなと感じていたわけでもない。「りぼん」掲載作品ではその当時連載が開始したところの『ハンサムな彼女』が一番好きで、もっと言うと「りぼん」は一度も購入したことがない、生粋の「なかよし」読者だった。

だけど、毎月発売日に「なかよし」を買って一通り読み終えた後は、「りぼん」派の友人と貸し借りしていたので、当時「りぼん」に連載されていた作品は全部読んでいた。

そこからちょうど30年経って、「りぼん」の中で最も鮮明に覚えている作品は『ちびまる子ちゃん』だ。大学生くらいから、友人との会話でよく『ちびまる子ちゃん』で好きだったエピソードが話題に上がるようになり、あんなシーンがあったよね、こんなオチだったよね、と盛り上がるたびに涙が出るくらい笑っていた。

今回、さくらさんの訃報を受けて、やはり同年代の友人とどのエピソードが好きだった、どのキャラクターのどのセリフで笑ったか、とプレイバックしているうちに、久しぶりに単行本を読み返したくなり、Kindleでポチ。

……と言っても全16巻を大人買いするほどの根性がなく、お気に入りの回が収録されている数巻に留まったのだが。

第1巻の第1話は1学期最後の日、第2話は夏休み最後の日が描かれている。
1学期最後の日に、朝顔や工作など両手いっぱいに荷物を抱えてよろよろ歩いたり、8月31日にたんまり残っている宿題を家族総動員で終わらせようとするまるちゃんの姿は、『ちびまる子ちゃん』らしさに溢れたエピソード群で、今読み返してもやはり涙が出るくらい面白かった。

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つい先月も、明日から夏休み!といった雰囲気の小学生の姿を近所で見かけては「あの子、まるちゃんみたいに荷物いっぱいになってる……」と思い出していたところだし、わが子も来年から小学生だから、同じようなハプニングが起こったりするかもなあ、と次の夏を思い描いてしまう。

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それ以外のお話もどれもかなり詳細に覚えていたのだが、読み返して気づくのは、かなり情報量が多いということだ。

まるちゃんを始めとした登場人物のセリフだけじゃなくて、作者による背景の説明だとかツッコミとか、コマの外にはみ出たキャプションとか、全部文字を追っていると12ページ程度のストーリーでも読み終わるのに結構時間がかかる。

それだけに、最初は一瞥程度では面白さが分からなかったのかなとも思うし、理解しようと繰り返し読み込んだ結果、今でも記憶に残っているのかもしれない。

昭和40年代のお話だから、当時の流行や世相についてももちろん知らなかったし、まるちゃんが好きだというから、山口百恵さん、山本リンダさん、西城秀樹さん、にしきのあきらさん、フィンガー5などがどんな歌を歌っている人たちなのか母親に訊いたこともあった。

懐かしのヒット曲特集みたいなテレビ番組で百恵さんやフィンガー5の曲が流れるとつい一緒に歌ってしまうけど、当然私自身がリアルタイムで体験したものではなくて、まるちゃんを通して得た知識なのだ。

描かれているのは、基本的にとりとめのない日常ばかりだけど、ただ牧歌的でほのぼのしてるわけじゃないところが、大人になって、親になって『ちびまる子ちゃん』を面白いと感じたポイントだ。

おっちょこちょいで、そそっかしいまるちゃんだけど、結構言うことも考えることもあくどいし、しょっちゅうせこいことを企んだり、ズルしようとするし、おじいちゃんっ子だから変に老成したところもある。

決して無邪気で天真爛漫なのではなくて、子ども特有の狡猾さと、すぐにボロが出て計画が破綻してしまう粗忽さがまるちゃんを可愛いなと感じる部分かもしれない。

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子どもと言葉でコミュニケーションできるようになってから、乳児期のようなもどかしさこそなくなったものの、どんどん弁が立つようになって戸惑うことも多い。

論破されるまではいかなくとも、手こずってしまうのも事実で、頭ごなしに怒ってしまいそうになる時もある。だけど、自分の主張をどうしても通したい!という時の表情や、めちゃくちゃな屁理屈を目の前にしたとき、こちらも「真剣に向き合わねば」と思いつつ、こらえ切れずに笑ってしまってもうそれ以上議論できなくなってしまうことがある。

娘は真剣だから泣きながら「笑わないで!」と向かってきて、「笑ってごめんね」とは謝りながらも、子育てって楽しいなと感じる瞬間だ。成長を目の当たりにする喜びとか、手紙や絵をプレゼントされてキュンとするとかは、先輩パパママから聞いていたから想像はできていたけれど、手を焼いた先にある面白さまでは予測できなかったのだ。

『ちびまる子ちゃん』のお家芸ともいえるトホホな結末にも、今となって初めて分かる愛おしさがいっぱい詰まっていて、改めて良い作品だったんだなーとしみじみしている。

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平成最後の夏、ということをやたらと強調しながらこの夏を過ごしてきたけど、そういえば初めて『ちびまる子ちゃん』を読んだ1988年は昭和最後の夏だったんだということに気づいて、当時のことをあれこれと思い出していた。

あの頃に戻りたいと思えるようなキラキラした思い出はとくにないし、1ヵ月で一番楽しみなのが「なかよし」と「りぼん」の発売日だなんて相当退屈だったことが分かる。そりゃセリフを一字一句覚えるまで繰り返し読むわけだ。

いつか娘が『ちびまる子ちゃん』を読む時がきたら、どんな風に感じるかな、面白さが分かるかな、とぼんやり考えながら、もう1冊、あと1冊、と読み進めている。

真貝 友香(しんがい ゆか)真貝 友香(しんがい ゆか)
ソフトウェア開発職、携帯向け音楽配信事業にて社内SEを経験した後、マーケティング業務に従事。高校生からOLまで女性をターゲットにしたリサーチをメインに調査・分析業務を行う。現在は夫・2012年12月生まれの娘と都内在住。