子どものころ、鳥のように大空を羽ばたいて飛んでみたいとよく思ったものだ。
母となった今も、鳥にあこがれることには変わりない。
しかしそのあこがれには、「空を飛びたい」以外の気持ちも加わっている。鳥は私が渇望する、結婚・子育ての理想を体現しているように思えるからだ。


少し前、さまざまな動物の家族の形態や子育て方法について調べる機会があった。進化とともに生物の繁殖の戦略はどう変わっていくのか、子育てはどのように行っていくのか。
調べてみて実感したのは、

「やっぱり鳥類最高!」

ということである。

■完全なる分担社会がそこにある


なぜ、鳥類が最高だと思うのか。それは、共働きで子育てするには理想的な分担が行われているからだ。

鳥というのは、妊娠と授乳がない。オスとメスとの違いは、卵を産むかどうかだけである。
鳥にとって哺乳類の妊娠期間に近いのは、ふ化するまで卵を温める「抱卵」という段階である。抱卵のときは、親鳥は卵を絶え間なく抱え続けるので、身動きすることができない。少しでも卵から離れると卵は冷えて死ぬか、敵に襲われて食べられてしまうからだ。

しかし、抱卵は妊娠と大きな違いがある。まず、すでに体から卵が出ているので、おそらく妊娠中に内臓が圧迫されることなどでおきる体調不良や、大きなおなかを抱えて動く不便さはないはずだ(本当にそうなのかどうかは、鳥に聞いてみないとわからないのだが)。

そして、抱卵はオスでもできる。
ということは、オスとメスが交代しながら抱卵して、抱卵していないほうは食事に出ることができるのである。

……と書くと、「抱卵なんてかったるいことやってられっか! おれはズラかるぜ」と抱卵をサボる、クズ親が出てきそうなものだが、そこはうまくできている。
体が抱卵せざるを得ない仕様に変化するからだ。

鳥は卵を産むと、胸のあたりの毛が抜け落ちて「抱卵斑」というものができる。そして、抱卵斑には血液が集まって、触ると熱くなる。そこでこの抱卵斑を卵に押し当てると、まるで冷却シートを当てたかのようにヒンヤリして気持ちがいいのである。それで結果として卵が温まるのだ。

で、この抱卵班はオスにもメスにもできる。だから、抱卵を放棄するのはちと体がつらい。まあ、私たち人間の母親が、授乳してないと胸が張って痛いから、「早く吸ってくれ~」と思うのとちょっとイメージが近いかもしれない。
(ただし、種によって抱卵はオスだけが担当するものもあれば、メスだけが担当するものもある)。

さらに、オスとメスの交代育児は卵からヒナがかえったあとも続く。
鳥類というのは授乳がいらないので、ヒナに食事を用意するのは両親の役目である。親が交互に餌を運んでヒナを育てるのだ。

妊娠も授乳も、男女で交代しながら行う。
このほとんど完全な分担具合って、共働き夫婦の理想ではなかろうか。

■「女子力」は必要なし!


とここまで書くと、「でも鳥の中にはメスがワンオペで育児している種類もあるよね」というツッコミをしたくなる人もいるはずだ。

そういう種類もある。
先ほどの分担型の子育ては、ツバメやハトなどの雌雄で見た目がほとんど変わらない種の場合である。

しかし、たとえばクジャクなど、雌雄の姿が大きく違うタイプの種は、派手なほうは交尾だけすればあとは知らん顔で、地味なほうが育児を一手に引き受ける。そして鳥類の世界では地味なほうはメスが多い。

そういう種類のメス(厳密にはオスが育児担当の種もあるが、メスが育児担当のことが圧倒的に多いので、便宜上メスとさせていただく)は、おしゃれもろくにできず、育児だけに専念する。抱卵も育児もメスが一手に引き受けているから、食事は卵やヒナを気にしつつ、大急ぎで済ませなければいけない。

まるで、くたびれた部屋着を着て、すっぴん&ぼさぼさ頭で赤ちゃんを抱っこしながら大急ぎで食事を流し込む人間の母親を彷彿とさせる。

ああ、ワンオペ育児の悲しさよ…。

しかし、「おしゃれができなくてかわいそう」というのはあくまで人間的な感性なのだ。
おしゃれするのはオスの役割で、それはメスの気をひくため。メスはおしゃれしなくても、自分の目の前にたくさんの男性が列をなして求愛してくれる。メスはとくにモテるための努力をしなくても、相手を吟味できるのだ。

「オレの嫁さ、子ども産んでから不愛想になったし、身なりに構わなくなって、すっかりオバサンなわけ。かわいげも何もあったもんじゃねえや」

なんて言い分は存在しない世界なのだ。

「モテ」とか「愛され」とか「女子力」に頓着しなくても、極上のイケメンが列をなして自分に求愛してくれるならこんなに気楽なことはない。そして、つがいで暮らすわけではないので、別のメスが「いい!」と思ったオスでも遠慮なく選べるのだ。
(余談だが、こういうワンオペ型の鳥でも、モテないメスはいるのか気になる。「くっそ! あのイケメン、私を素通りして隣のメスのところで求愛してやがる! ムギィ!」と悔し涙を流すメスはいないのだろうか)

ワンオペ育児だって楽ではないけれど、皆が昔からそうしていて、最初からそういうものだと割り切っていれば、それはそれで気楽なのかもしれない。

ああ。ヒトはなぜ哺乳類なのだろうか。
なぜ、妊娠や授乳という役割がメスに課されてしまったのか。いや、子孫を確実に残すための戦略だということはわかっている。しかし、これがあるせいで、女はどれだけ不自由な思いをし、不当に差別されなければいけないのか、と思うのである。


つくづく思う。

「私は鳥になりたい!」

が、そう思うのは私だけではないらしい。
かつて上野動物園の園長を務めた獣医師の中川史郎氏は、著書である『なぜ動物は子供をなめるのか』(主婦の友社、1990年)で「現代女性鳥類論」という主張をしている。
その主張とは要するにこうだ。

「現代女性は哺乳という重要な役割をおろそかにしている。それは哺乳を通じて母子のきずなを強くする機会をみすみす捨ててしまうことになる。哺乳しないのだから鳥類の時代に逆戻りしている」

まるで、女性を責めるような言い分だ。今の時代にこんなことをつぶやこうものなら、インターネットで袋叩きに違いない。

この著書が出版された1990年というのは、共働き世帯の数がじわじわと増える一方で、専業主婦世帯の数が減り、両者の数が逆転する直前の時代だった。そういうこともあって、中川氏は女性の価値観の変化に戸惑いを感じていたのかもしれない。

まあ、個人的には、普段から動物の子育てを間近に見ているんだから、もう少し人間の女性の子育てのハードさにも想像力を働かせてほしいと思うのだが。

それとは別に、気になるのが「現代女性鳥類論」の「鳥類に逆戻り」というくだりだ。
哺乳類って鳥類が進化してできたものじゃなくて、爬虫類から鳥類と哺乳類に分かれたんじゃなかったっけ? 逆戻りしたいんじゃないのだ。隣の芝生を見て「そっちに進化してたほうがよかったのに」と思っているのだ。

魚のように海の中で暮らすことを選んだイルカや、鳥のように空を飛ぶ能力を得たコウモリだっている。ほかの種にあこがれ、その能力がほしいと思うことは、そこまでいけないことなのだろうか。

社会の変化に生物としての仕様が追い付いていない。人間の抱える生きづらさは、それに尽きるのである。

今井 明子
編集者&ライター、気象予報士。京都大学農学部卒。得意分野は、気象(地球科学)、生物、医療、教育、母親を取り巻く社会問題。気象予報士の資格を生かし、母親向けお天気教室の講師や地域向け防災講師も務める。