少し前、十数年ぶりに高校の同窓会に出席した。
そのとき、かつての同級生が言ったひとことがすごく心に残っている。

それは、こうだ。
「ねえ、あのとき学んだ教科で、今一番役に立ってるのって何やと思う? 私は家庭科やと思うの」

それを聞いてなんとも感慨深い思いにとらわれた。
私たちの育ってきた環境を振り返ると、「なんだかんだいってやっぱりそこに行きつくのか……」と思ったからである。


■進学校で徹底的に軽視された副教科


私の母校である女子校の、英数コースと呼ばれるクラスは、受験少年院といってもいいような場所だった。
過酷な中学受験を終えて、ようやくこれで遊べるようになるとほっとしたのもつかの間、入学前の春休みからいきなり大量の宿題が出た。そして休む間もなく、大学受験に向けて全力疾走させられる羽目になったのだ。

「英数コース」だけのことはあって、英語と数学のコマ数が圧倒的に多く、副教科の時間は必要最低限。
しかも、暗黙の了解で入れる部活が決まっていた。オリンピック選手を輩出してきた運動部には、スポーツ特待生しか入っちゃダメ。練習のきつい舞台系の文化部は、私の所属する英数コースの生徒は入っちゃダメ。英数コースの生徒が入れる部活はあくまで学業の邪魔にならないものとされていたのだ。(ちなみに、私はその暗黙の了解を無視して演劇部に入部し、先生にずいぶんと嫌味を言われたものである)

先生からは、常に言われていた。「あなたたちは、いずれ日本の未来を背負って立つ人間だ」と。そのためには、勉強だけに専念して、受験の邪魔になることは一切しなくてよし。私たちはそういうメッセージにさらされ続けていたのである。

そんな環境で育った私たちはどうなったか。かつての同級生たちの多くは東大・京大・阪大・神戸大・早慶などの難関大学や、医学部・歯学部・薬学部に進学した。
そして、かなりの数の同級生が医師や歯科医師、弁護士になった。そうでなくても、就職氷河期まっただ中でありながら大企業に就職したり、公務員や薬剤師になったりして、手堅く盤石な経済力を身につけた人が多い。

そんな進路をたどった同級生がしみじみというわけだ。
「家庭科が一番役に立ってるやん」
と。

ああ……と思わずため息が漏れてしまう。
思いっきり詰め込まれた英語と数学が役に立っているのは間違いない。でも、あれだけ科目数の少なかった家庭科が、こんなにも存在感を放っているだなんて。

しかし、誤解してほしくない。私がここで言いたいのは、「だから女って損! 男と違って家事からも育児からも離れられないんだもの!」ということではないのだ。

■私たちは「家庭科」なしでは生きていけない


私たちは、勉強一辺倒の青春時代を経て、40代に突入した。
同級生たちのなかには、子どもを産んで育てている人もいれば、独身の人もいる。
しかし、どんな生き方をするにしろ、「家庭科」で習ったことなしでは生きていけない。

だって、今の日本で、難関大学に合格したくらいでは、家事や育児をすべて丸投げすることは不可能だからである。
いや、家事ならまだ外注しやすいかもしれない。とくに一人暮らしをしているのなら、お金さえ出せば家事はまるっと外注できるだろう。しかし、育児となるともう無理だ。そもそも保育園やベビーシッターは、丸投げできない前提の設計になっている。祖父母に預けっぱなしの人はいるのかもしれないが、それでも基本的な育児や教育方針の判断までは他人任せにはできないだろう。

で、私はこの事実はそこまで悪いことではないと思っている。もちろん、家事は面倒だからできればやりたくないし、育児は死ぬほど大変だ。しかし、家事と育児の知識は自分が生き延びるため、子どもを殺さないために欠かせない、命綱みたいなものだと思うのだ。

私自身、それを人よりも少しだけ早く実感した。
それは私が高校1年のときのこと。阪神大震災で家が壊れ、親元を離れて学校の寮に入ることになったのだ。
避難所で過ごしたあとに、大渋滞のなか、車で半日かけて学校までたどり着き、寮に入ったときには、あまりの快適さに思わず涙ぐんだものだ。
空調がきいて、ちゃんとした温かい食事も食べられ、トイレが清潔で、入浴ができる。普段当たり前だと思っていたことが、なんとありがたいことなのか。

しかし、それでも戸惑うことがあった。それは洗濯である。寮では食事は出たが、洗濯は自分でしなければいけなかったのだ。
親元で生活していれば、洗濯は通常は親がやるものだろう。私自身は、それまで洗濯物干しや取り込み、片づけは手伝っていたが、洗濯機に洗濯物を入れてスイッチを押す工程はやったことがなかった。

そんなのボタン押すだけだから簡単だろうって? いやいや、そんなことはない。
どの種類の洗剤をどれだけ入れなければいけないのか、洗濯用ネットはどんなときに使うのか、どんな工程を経てどのくらいの時間で洗いあがるのか。そういった知識がないと洗濯機は扱えないのである。

そこで、家庭科の出番なのだ。幸い、震災の少し前に洗濯のノウハウを教わっていた。
さらに、家庭科では自宅になかった二層式洗濯機の使い方まで教わった。ちょうど寮に設置されていたのは二層式洗濯機だったので、教科書を引っ張り出して、習ったことを少しずつ思い出し、おずおずと洗濯をしたことを覚えている。
そのとき心の底から思ったものだ。「やっててよかった、家庭科」と。

■20年たっても忘れられない家庭科教師の熱意


どうしてあんなにコマ数が少なかったのに、家庭科で習ったことは印象に残っているのだろう。
いや、少なかったからこそ、中高の家庭科の授業はアツかったのだ。

家庭科教師は、「あんたら英数コースは、家庭科のコマ数が少ない。だからこれだけは、これだけは知ってもらわんと!」といってかなり密度の濃い授業をしてくれた。
当時ワーキングマザーでもあった家庭科教師たちは、「いくら難関大学に合格したからといって、女性が家事・育児をまったくやらなくていい状況に、すぐに社会が変わるとは思えない」という実感を肌で感じていたのだと思う。

家庭科で教わったのは家事のノウハウだけでない。家族のありよう、女性としてこの先どのような人生を送るべきなのかということまで教えてもらった。

保健体育の性教育ではオバチャン教師が「安易な性交渉はダメ! ふしだらです!」というトーンで教えていて、皆「うわぁ、ダッサ。ババアが古臭いこと言うてるで」と鼻で笑いながら聞いていたものだが、同じテーマを家庭科教師が担当すると全然違うのである。
「そら、興味ある年頃やもんな。相手からも嫌われたくないやろ。それはわかる」という前提で、どういう相手とどのように付き合うべきかを丁寧に説明してくれた。そこには「あなたたちは尊厳をもって人と付き合ってほしい」という愛あるまなざしがあった。家庭科教師は母親くらいの世代で、生活指導もする煙たい存在だったが、この話だけは「なんか……説得力あるよな……」と神妙に聞いている人が多かったように思う。

その家庭科教師たちが、常々語っていたことがある。
それは、「家庭科は男女共修化しなければいけない」ということだ。

当時は、先生がそこまで声高に主張する理由が、いまいちよくわかっていなかった。しかし、自分が結婚する段になってようやくわかった。

というのも、だいたい私より年上か年下かで、家庭に対する考え方が大きくわかれるのだ(もちろん、地域性や家庭環境で多少の誤差はある)。
私よりも年上の男性は、基本的に家事・育児を自分事だと思わない傾向にある。仕事も「夫の仕事に支障をきたさない範囲なら妻も働いていいよ」というスタンス。夫に転勤や海外赴任の事例が下りたら、妻は問答無用で帯同するか、せいぜい単身赴任するものだと思っている人が多い。20代の私は、年上といち早く結婚した同世代や、上の世代の夫婦を見ながら、「せっかくあんなに努力して今の仕事を手に入れたのに、結婚したらその努力は無駄になってしまうのか。女ってなんて損なんだ」と無力感にさいなまれたものだった。

しかし、30代に入って私より年下の知り合うようになると、ガラリと様相が変わるのである。1歳年下の夫は、「男だって家事・育児ができなければ将来妻に先立たれたとき詰むでしょ。そして女も稼がないとハイリスクだよね」「男が育児を体験できないなんて損!」と語るのだ。そして、「妻が転勤になったら、夫が休職か退職してついていく」という選択肢もアリだと思っている。しかも「同期や後輩はそんな考えの人が多いけど?」というのだ。

そんな夫に「ねえ、家庭科の授業って受けたことあるの?」と聞くと、「受けたよ」とこともなげにいう。そう。家庭科は1993年度から中学で、1994年度からは高校で共修化したのである。つまり、家庭科との接点ができるのはせいぜい私より1つ上の男性からなのだ(私より2歳年上だと高3から授業が始まることになるが、高3なら受験対策でろくに家庭科の授業をやらない学校が多いことだろう)。

私の年齢をほぼ境にして、男性の家庭に関する価値観が大きく転換しているのは、家庭科の男女共修化の影響もあると思う。そうか、だから先生たちは「共修化を!」と声高に叫んでいたのか。

これだけ人生に必要なことが盛り込まれている家庭科。
なのに、「副教科」とされて、軽視されるのはなぜなのだろう。おそらく、従来「家政学部」と呼ばれた学部は女子大や短大に設置されていることがほとんどで、偏差値が低めだからではないだろうか。実際にはゴリゴリの理系知識が必要な分野なのに、偏差値偏重の教育ではバカにされがちなのだ。こんなところに、「女と子どもの絡むものは重要じゃない」という侮りがあるように思う。

だから言いたい。
家庭科はもっと、リスペクトされるべき科目なのである。

今井 明子
編集者&ライター、気象予報士。京都大学農学部卒。得意分野は、気象(地球科学)、生物、医療、教育、母親を取り巻く社会問題。気象予報士の資格を生かし、母親向けお天気教室の講師や地域向け防災講師も務める。