正直、めんどうなことになってきたと思った。
2学期が始まって、小1の息子が「学校に行きたくない」「死にたい」と言い出したからだ。

虐待死のニュースが耳に入ると、私に詳しい説明を求め、「〇〇(息子名)も、死にたい」などと言い出す。何か気に入らないことがあると、夜でもプイッと家を出ていく。学校のストレスなのか、親への試し行動なのか、親が不安定だからか、彼は何かしらの負担を抱えているようだ。


相談と観察を経た現在の結論は、
当初の「彼の好奇心を満たしながら、2年生まで様子をみよう」だ。

いま、不登校が子どもの多様性の一部として受け入れられつつあり、むしろ「学校に行かないこと」を選んだ小学生は、自主性があってかっこいいものだとメディアに取り上げられることもある。私も息子がフツーに登校しているときは、それもよきかなと静観していたが、自分ごとになると葛藤が始まった。私は「イヤなら学校に行かなくていいよ」とは言えなかった。

みなさんはどう考えるだろう?
小1の学校行きたくない病は多いという。ここで、最近2ヵ月の試行錯誤をさらすので、同じ境遇のママの参考になれば幸いだ。

■なぜ行きたくないのかきいてみた


小学校へは集団登校で向かう。マンションのロビーに数十人が集まり、順次列を作って登校する。1年生の保護者はロビーまで見送るのが通例で、我が家はほぼ私が行く。1学期のときから「ママと一緒にいたい~(半ベソ)」と、列から外れては、私が途中まで送っていくことはあった。

2学期が始まってから一緒に歩く距離は長くなり、今では保育園に通う娘(年少)と一緒に校門を通過、息子の教室の前まで行くのが常となった。

教室の入り口に行ったとしても、抱き着いて離れないときもしばしば。サポートの先生だろうか、担任ではない方々に引きはがされ、担がれて「ママ~(泣)!!」という断末魔を残して去っていったこともある。ある日の登校にかかった時間は75分。勤め人だと厳しい。

さて、彼はなぜ学校がイヤなのか?
最初、「国語とか算数の勉強が難しい」と言っていたが、どうやら逆。勉強がカンタンでヒマであり、ヒマを埋めようと先に進んでページを見ていると注意され、先生の話はだまって顔を見て聞くよう求められる。授業の目的が分からないのだ。たまに授業にノッてきても、すぐ終わってしまい、休み時間も遊びがノッてきたところで切り替わる。

自由保育がメインであった保育園時代は、好きなことを好きなだけできたのに、小学校になると決められたつまらないことに従わなくてはいけない。彼の理解できないルールに縛られることが、莫大なストレスを引き起こすようだ。

親として一番恐れていた回答は「いじめられる」であったので、ホッとした矢先に、「誰も遊んでくれない」とも言い出した。さらにきいていくと、ころころ変わる遊びのルールについていけなかったり、友だちの気が変わってほかの遊びをしてしまったりすることへの不満であった。

さらに聞き捨てならない「死にたい」の原因をヒアリングしていくと、「宿題と学校があるから」。
……宿題、そんなにイヤかよ。


ここまで、本人から情報を引き出すのに約2週間。自由にやってきた息子が、以前よりルールが厳しい社会に放り出され、なじめないという、「1年生あるある」にぶつかっていると、そのときは感じていた。とはいえ、毎晩毎朝繰り返される「学校行きたくない、死にたい」呪詛に私がまいってしまい、以下のような対策をとることにした。

・学校+学童の滞在時間を短くするため、学童のお迎えを30分早くする。
・息子の遊びたい欲を満たすため、週一回は放課後下校とし、お友だちと遊びに出かける/一緒にボルダリングや漫画を読む自由時間を楽しむことにする。
・息子がやりたいと言い出したことは可能な限り付き合う。(朝食づくり、お手紙交換など)

やってみると多少は気が済んだらしく、呪詛は一時的にマシになった。

■情報を得て揺らぎ始める


このまま2年生までとりあえずいってみようと思っていたが、ネットの情報やADHD&高IQの子をもつママ友情報にふれていくうち、「もしや息子の性質が個性的なのでは?」と私は揺らぎ始めた。学校が大嫌いなのに、音楽祭でセリフを言うクラス代表に立候補し、オーディションの結果、選ばれたりしている息子である。

ADHDか、ギフテッドか、感覚過敏症候群か、アスペルガーの気があるのか、男児だからなのか、個性の範疇なのか、私の親ばかなのか、いやこれ、ごくごくフツーの7歳なのか。

キミはいったい何者なんだ……?
夫に相談しても「フツーだろ」と言ったきりだが、私が何かした方がいいのでは?と焦ったのである。

毎日タコ料理を1ヵ月作って、息子の魚好きを温かく見守ったサカナくんのお母さん。「捨てられる母」を目指して達成した、12歳の哲学者とよばれる中島芭旺くんのお母さん。「学校に行きたくない子は行かなくていい」とYouTubeでよびかけるゆたぼんのお母さん。

この手の突き抜けた子を導いているゴットマザーを目指すべきなのか?
ありったけの時間とコストを注ぐ覚悟が必要なのか。

今となれば滑稽だが、当時は悩みと期待が混ざって1週間ほど思考停止。覚悟をきめて自治体の無料相談機関にいった。


■自治体窓口に相談して得たこと


「お母さん、がんばってる。寄り添うためにとてもいいことをしている」。
はじめにそう言われ、泣くのを我慢した。

そして息子は、いたって普通の、ちょっと頭の良さそうな7歳男児であろうこと、私が子どもを大人扱いして真正面から挑みすぎていることを指摘され、子どもとイイカンジに向き合う3つのコツを教えてもらった(文末に記載)。

次に、学校相談にも行った。息子の担任の先生は、学年中からうらやましがられる優しく包容力のある方で、息子の状況を丁寧に教えてくれた。良くも悪くもこちらが思った通りの日常を過ごしているようで、お友だちとはとっても楽しく遊んでいる模様。発達障害でもなさそうで、結果、冒頭の「1年生ってそういうもの」で落ち着いたのである。……なんだか気が抜けた。

■「なぜ、学校に行かなきゃいけないの?」の答えはあるか


11月現在、息子の「学校、行きたくない」は続いている。
夫は、みな一律に履修を進める学校の体制に対して「校長に相談しにいくか」と動く意志があるようだ。息子の登校を妨げる要因をすべて除けばOKなのだから、と考えていて、「ガンは取り除けばOK」という西洋医学っぽさを感じている。校長先生への直談判は、学校の旧態依然に一石を投じることになるから、それも有効なのだろう。

でも私は、生活全般への不満が根本にあって、たまたま「学校の否定」に表れているのだと感じている。彼が日常を楽しむ目的を見いだせないと、標的を変えて呪詛は続く。ガン細胞は取り除いたら、その原因も取り除かないと繰り返すのだと思う。

「なぜ学校に行かなきゃダメなの?」という子どもの問いに対し、親はどんな答えを持てばいいのだろう。「子どもの仕事だからだよ」という回答はナンセンスだ(はずみで言ったこともあるけど)。

私の今のところの答えは、「一人や親と一緒だとできなくて、友だちとできることがあるから」。
同学年の子と交わることは、日々いろいろな刺激や学びを与えてくれるのだと思う。まあ、息子にはまったく響いてないけれども。

■息子に信頼されてないかもな


一連の生活で身に沁みたのは、母親にとって子どもの不調は一番ツラく、膨大なエネルギーが必要になることだ。赤ちゃんが24時間、母親の身体をダラダラ欲する疲労が、精神的な元気を吸い取られる疲労に変わった感覚である。

疲れから「子の不調の原因を自らに帰してしまう母親の呪い」が発動し、私と息子の信頼関係を疑ってへこむ。厳しく育てすぎたのか、怒りすぎたのか。ひととおり悩んで、「イヤこれ、私だけのせいだけじゃないだろ」とこぶしを突き上げてみる。そして随時こみ上げるイライラが手に負えなくなり、婦人科受診の予約を入れた。

7年子どもと暮らしてきて、新しいフェーズに入ってきた。さて、親として家族として彼に何をしてあげられるのだろうか。十分なのか、足りないのか。正解がないのなら、こちらがやりきった感を満たせばいいのか、まあ逡巡は続くのだ。

■子どもに寄り添い向き合う3つのコツ


自治体の相談機関で教えてもらったことは以下。1日5分。ハードルは高いが、親子関係も人間関係。息子と痴話げんかのようになる私にはよかった。これ、ビジネスにも使えますね。

【1】子どものセリフを復唱しよう。
「死にたい」と言われたら「……死にたい?」(感情あってOK)のように返すことで、子は親に聞いてもらえている、思いが伝わっていると感じるそうだ。

【2】子どもの行動を実況中継。
「YouTubeでヒカクラ見てるのね~」とやっていることをただ話す。こちらも、子は親に見てもらっている安心感を得るそうだ。

【3】叱るときは短く、ほめるときは具体的に。
叱るときは「危ないからダメ!」とだけビシッと言い、褒めるときは「この絵の色彩は、秋の夕暮れのようでキレイで、お母さんうっとりする~好きだわ~」などと長く言う。

斎藤貴美子
コピーライター。得意分野は美容・ファッション。日本酒にハマり、Instagramの#SAKEISAWESOMEkimikoで日本酒の新しい切り口とコピーを思案中(日本語&つたない英語)。これからの家族旅行は酒蔵見学。二児の母。