2020年、今年は誰にとっても新型コロナの影響で生活が大きく外側から揺り動かされた感覚が強く残る1年だっただろう。行動は制限され、移動が不自由になり、気をつけるべきことが大幅に増え、身につけるものの常識が変わり、社会的なマナーが変化し、常に体調の変化に意識が向き、小さなことの判断にいちいち悩み、他人の判断と自分の判断の差に気持ちを向け、仕事や収入に何らかの影響が出て……。


そんな変化のまっただ中で、「あれ、これなんか久々の感じだな」……と、ふわっとよみがえった感覚がある。

「あぁ、乳幼児育児中の感じだ……」。

私が出産したのはもう14年前だから、そのまっただ中の感覚からは少しだけ距離をおいて思い返せる。

■乳幼児育児生活も環境の大激変


乳幼児を育てる生活は、大人ふたりの生活に比べて圧倒的な変化がフルセットで起きる。予測をはるかに越える状態でラクじゃないし甘くない。

赤ちゃんは寝てくれなくて、自分がまとまって眠れる時間は全然なくて、眠くて眠くて疲労はつのり、でも目が離せない。幼児になったって身のまわりの世話や遊び相手が常に必要。預け先のない24時間365日の育児は相当な密接状態になる。仕事ができなくて収入は途絶え、一方で無償の家事量は膨大に。行動範囲は子どもが行けるところに限られ、話す相手は主に喋らない赤ちゃん。育児がスタートした途端に、身体の疲労、時間的制約、精神的な緊張感、社会的な立ち位置……全方位的に環境が大激変する。

新型コロナ対応で経験する閉塞感をともなう制約と環境の変化は、育児でひと通り経験した劇的な変化と妙にオーバーラップして感じられる。

■「子どもの面倒をみながら仕事ができる」は幻想


コロナ禍で急にリモートワークに切り替わった業界では、特に育児生活の混乱ぶりが注目され、「子どもの面倒をみながら仕事なんてできない!」という状況が繰り返し話題になった。

ほんとうは、そんなこと、もうずっと前から自宅が仕事場の親たちはとっくに身をもって知っていた。でも、「家にいれば子どもの面倒をみながら仕事ができる」という社会の幻想はずっと根強く、ほんの10年前、フリーランスの自宅仕事なんかじゃ保活のスタートラインにも立てなかったほどだ。

だから、今回のリモートワークで、より広い層の人が、「子どもの面倒をみながら仕事」がどれほど無理難題なのかを実感したことは、社会としては前進だったのかもしれないと思うのだ。保育リソースの重要性が、より明らかになった。

■小さな判断の連続に疲れる&基準の違いは人それぞれ


マスクは?、消毒は?、 外出は?、外食は?……コロナ禍の「三密を避ける」というキーワードに対する具体的な実行度合いは、人によってかなり違う。自分が過剰すぎ?と思うこともあれば、逆に他の人が過剰すぎ?と思うこともありさまざまだ。常に迷いながら選び取っている感覚がある。

こういうグラデーションも、乳幼児育児のちょっとした判断や流儀と似ているなと思い起こされる。子どもの食べるもの、飲むもの、健康状態の判断、清潔さの基準、遊び、生活リズム……育児には常にそういう小さな「判断ごと」に満たされていて、自分のことというより子どものことだからやたらと迷う。そして親の基準はおどろくほど人によってちがっていて、明らかな危険を避けるという一定のラインを越えたら、正解なんてない。判断基準の多様さにもいつしか慣れる。もちろん、基準が似ている人との方が付き合いやすい傾向はあるけれど、違いは違いでしかなくて、違いで排除しあうのは不毛だ。

そんな風に育児で日々思っていたなぁということを、新型コロナ対応でも思い出す。自分のスタンスはそのまま見せればいいし、その上で、相手の基準がちがったら、なるほどそうかとただ受け止めればいい。大きな違いには、そう判断するに至った相手のバックグラウンドに興味を持つことにして、分断に持ち込まない方がいい。

■「コロナ離婚」は「産後クライシス」と似ている


リモートワークやら外出制限やらで夫婦双方が家にいるようになったせいか「コロナ離婚」という言葉が生まれた。家族が家にいる時間が増えて「生活」のための家事量が増えたにもかかわらず、夫婦の一方にその負担が偏り、他方がそれを当たり前に捉えてしまったとしたら、溝が深まるのは容易に想像がつく。

これもなんだか「産後クライシス」の構造と似ている。育児のスタート期には家庭内に必要なケアのための時間と労力が爆発的に増えるのだけれど、これが正しく見積もられることはあまりない。「育児(ごとき)がそんなに大変なはずはない」という固定観念が足かせになって、夫婦の適正な時間の再配分をしそびれる。育児主担当の側(多くの場合、妻)の環境の激変と極端な高負荷に、仕事主担当の側(多くの場合、夫)が気づかないまま、夫婦の溝は深まってしまうのだ。

「生活」にかかる時間と労力のコストが劇的に上がるとき、家庭は危機を迎えやすい。特に乳幼児期の労力は並ではないし、新型コロナも家庭の時間とパワーバランスをひっかきまわした。こういうとき、固定観念をやわらかく崩せることが、根性で駆け抜けるよりも大切。方針をすっと変える柔軟性と労力を再分配する見積もり力があると変化に強くなれるということを、育児でもコロナ禍でも感じさせられた。

■乳幼児育児+コロナ禍にどうかつぶれないで……!


こんな風に、コロナ禍で「見える化」したことのいくつかは、育児の現場で繰り返し小さな声で叫ばれてきたこととオーバーラップする。家庭の中の「個人的なこと」と片付けられがちな課題に光が当たったこと自体は、社会の経験としては大切なこと。家庭という小さな社会の問題を、大きな社会の問題としてとらえ、社会システムの変化につなげていけたらいい。

同時に、今年出産をして育児をスタートしている人たち、乳幼児育児のまっただ中の人たちのストレスはどれほどかと想像する。孤独さも不安もイライラも、普通の育児ですでにあるのだから、コロナ禍で倍増しているだろう。まっただ中で、その大変さの自覚もないかもしれない。

1個だけ、すぐにできそうな対策をあげるなら、子どもと離れる時間をちょっとでもいいから持ってほしい。頭と身体を子どもの存在から切り離す時間を作ること。夫婦で常に一緒に関わるのではなく、交代でフリータイムを捻出する。ワンオペ気味ならパートナーにまず30分赤ちゃんを任せて離れることから始める。家庭内の「心の密」は大敵で「きっちり離れること」が一番シンプルな対策になる。

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社会の三密を避けて家庭に密が集中しているから、必ず家庭に限界がくる。家は狭くて物理的な距離がとれなくても、意識的に心の距離を作ったり、オンラインでいいから外とつながることを意識していきたい。

もし、たった今苦しい人がいたら、つぶれる前に外に助けを求めることだけは忘れないで。ぜったいに育児で孤独になってはいけない。必ず助けてくれる手はあるから。

狩野さやか狩野さやか
Studio947デザイナー・ライター。ウェブ制作と共に、技術書籍やICT教育関連記事を執筆し、「知りたい!プログラミングツール図鑑」、「ICT toolbox」では、子ども向けプログラミングの情報発信に力を入れている。育児分野では、産後の夫婦の協業がテーマの著書『ふたりは同時に親になる 産後の「ずれ」の処方箋』があり、patomatoを運営しパパママ講座の講師も務める。2006年生まれの息子と夫の3人暮らし。