
「本日、ぜひここで他の保護者と共有したい議題がある。校内で上級生が濃厚なキスをしているのを、我が家の息子に見せないでいただきたい」。
母親たちでいっぱいの学校カフェテリアは一瞬静まり返り、そこかしこでひそひそ話も聞こえ出したのを押さえつけるようなたくましい声で、ドイツ人母は続ける。
「最近、息子を迎えに学校に来ると、校庭の角で上級生のカップルがいちゃいちゃしている。中には目にあまるような行為に及ぶ生徒もいて、同じ学内にいる下級生たちに大変な悪影響を与えるので、学内でのキスなどの『性的な行為』を厳しく取り締まっていただきたい。我が家の息子はまだ11歳で、そのようなものを見せるにはまだ早く、家庭内でも『コントロール』しているからである」
論理的にそう喋りながらかき上げた髪がドサリと肩に着地し、彼女は周囲を睥睨した。すると請け合ったのは、遥か後ろの席で静かに座っていたアラブ系の母。
「まったく同感である。私たちはイスラム教徒で、10代の子どもたちが学校で破廉恥な行為に及ぶなど考えられない。正直なところ、この学校に子どもを入れてから、子どもには見せたくない遺憾なことがたくさんある。この学校には様々な宗教的背景を持った子どもがいるのだから、少数派にももっと配慮をして欲しい」思いがけずよく通る声でそう言い、周りにちらりと視線を配ると、また沈黙した。
北米系の母親たちは「この世の中にそんな意見が存在したのか」と言わんばかりに目を丸くして見ている。フランスやイタリアの恋愛大国ラテン母たちは、顔を寄せ合って耳打ちし、くすくす笑っている。イギリス母は興味なさそうに窓の外を眺めるが、耳はしっかりこっちへ向けている。
東欧系はドイツ人母の一言一言に同じように力強く頷き、インド人母は戸惑ったように微笑む。中国人母はなぜか厳しい顔つきをしており、韓国人母は大変に興味深いといった表情で耳を傾ける。日本人母は、この奇妙な空気がどこへ向かい、あとどれくらい時間がかかるのだろうと時計に目をやり、ため息をついた。
ドイツ人母の意見に賛同する母たちが、口々に発言を始める。
「私も最近気になっていた。12年生にひどいのがいる」
「この間は女の子が男の子の膝に座り、5分以上もキスしたままだった」
「私が見た時は服の中に手を入れていた」
母たち、子どものお迎えをしつつさりげないふりを装ってしっかりガン見していたようである。で、どうやらそれはある2、3のカップルの話らしく、母たちはお互い「そう! あの子よ!」「あら私が見たのはブロンドの女の子だったわ」とカップルの特定を始めた。
12年生とも言えば、17、18歳である。日本のコーコーセーにだっていろんなのがいるから、アングロだったりラテンだったりのティーンなんてもう無法地帯である。ドラッグだったら大問題だけど、そもそもヨーロッパはティーンの喫煙も「学校敷地外なら合法」という地域が多い上に、大人だって歩きタバコにポイ捨てが日常だ。そっちの方がよほど迷惑だし、子どもには問題である。
議題にするならキスよりそっちのほうだろ、という気もしなくもないのだが、インターナショナルスクールというのは様々な文化的背景と「国際慣れ度」の人が交じり合っているために、こういう話題も大きくなってしまう。
どの母たちも「うちの子への影響」をそれぞれに気にしていて、それじゃ自分でコドモに直接「見るんじゃありません」とか「真似しちゃいけません」って言えばいいじゃんと思うのだが、やはり「悪は根から絶やさねば」思想というか、規則とか立法が大好きというか、母たちの間にも「取り締まり」発想が厳然としてあるのは興味深い。
家庭での会話やしつけで処理可能な範疇の問題を、学校へ(ひとまず)要求し学校と議論するのが当たり前だという考え方は、「自分たちは学費を払っていて、学校は子どもたちを預かっているのだから、学校の側に子育ての責任がある」という理屈に拠っているのだそうだ。
以前、アメリカ人のベテラン教師と話をしたときに「子どもが学齢期に入ったら、子育てはその学校に任される。親はそこで子育ては手が離れたと考えるべきで、子どもに関与し続けるアジアの親は子離れができていないと私には見える。だから子どもも自立できないのではないか」という考えを言われたものである。
私はその意見には決して同意しないが、当時、なるほど日本のモンペアは子離れできないくせに、中途半端に文句だけいうからモンペアなのだなと思った。公立校で給食費を払わないだの、自分の子どもを優遇しろと迫るだの、なかなかの甘えっぷりである。いっそがっちり私立に入学させ、高い学費を払って、「この学費を払っているのだから、うちの子を立派に育てるように」と学校に完全に子どもを押し付けて、消費者マインドで文句を言うほうが、権利/義務のバランスは取れていてよほど理には叶っているというわけだ。
その理屈だったら、ヨーロッパ内でも高額と言われるそのインターナショナルスクールの学費を払う親が「うちの子に上級生のキスを見せるな。取り締まれ」という要求をしても、それはモンペアじゃない。ははぁ、と恐れ入るばかりである。
初老の校長は、いつもの柔和な笑顔を絶やさず、母たちの議論を紳士的にこう締めくくった。
「貴重なご意見、ありがとうございます。みなさんにも色々なご意見やお立場があると、私たちも理解しております。この学校には小さい生徒たちもおりますので、学校スタッフも子どもたちの下校時や放課後には注意して見回りをし、見つけ次第指導しております。これからも気をつけて参ります。ではみなさん、どうぞよい午後をお過ごし下さい」
母たちは議論したお陰でガス抜きされておとなしくなり、強制終了めいた言葉に素直に従って、めいめいに帰っていった。そしてその後も、上級生たちは思う存分に放課後の校庭の片隅で絡み合っていた。
子どもは、親が教えようとすることよりも、親が教えないことから学ぶという。そんなもんである。
論理的にそう喋りながらかき上げた髪がドサリと肩に着地し、彼女は周囲を睥睨した。すると請け合ったのは、遥か後ろの席で静かに座っていたアラブ系の母。

北米系の母親たちは「この世の中にそんな意見が存在したのか」と言わんばかりに目を丸くして見ている。フランスやイタリアの恋愛大国ラテン母たちは、顔を寄せ合って耳打ちし、くすくす笑っている。イギリス母は興味なさそうに窓の外を眺めるが、耳はしっかりこっちへ向けている。
東欧系はドイツ人母の一言一言に同じように力強く頷き、インド人母は戸惑ったように微笑む。中国人母はなぜか厳しい顔つきをしており、韓国人母は大変に興味深いといった表情で耳を傾ける。日本人母は、この奇妙な空気がどこへ向かい、あとどれくらい時間がかかるのだろうと時計に目をやり、ため息をついた。
ドイツ人母の意見に賛同する母たちが、口々に発言を始める。
「私も最近気になっていた。12年生にひどいのがいる」
「この間は女の子が男の子の膝に座り、5分以上もキスしたままだった」
「私が見た時は服の中に手を入れていた」
母たち、子どものお迎えをしつつさりげないふりを装ってしっかりガン見していたようである。で、どうやらそれはある2、3のカップルの話らしく、母たちはお互い「そう! あの子よ!」「あら私が見たのはブロンドの女の子だったわ」とカップルの特定を始めた。
12年生とも言えば、17、18歳である。日本のコーコーセーにだっていろんなのがいるから、アングロだったりラテンだったりのティーンなんてもう無法地帯である。ドラッグだったら大問題だけど、そもそもヨーロッパはティーンの喫煙も「学校敷地外なら合法」という地域が多い上に、大人だって歩きタバコにポイ捨てが日常だ。そっちの方がよほど迷惑だし、子どもには問題である。
議題にするならキスよりそっちのほうだろ、という気もしなくもないのだが、インターナショナルスクールというのは様々な文化的背景と「国際慣れ度」の人が交じり合っているために、こういう話題も大きくなってしまう。
どの母たちも「うちの子への影響」をそれぞれに気にしていて、それじゃ自分でコドモに直接「見るんじゃありません」とか「真似しちゃいけません」って言えばいいじゃんと思うのだが、やはり「悪は根から絶やさねば」思想というか、規則とか立法が大好きというか、母たちの間にも「取り締まり」発想が厳然としてあるのは興味深い。
家庭での会話やしつけで処理可能な範疇の問題を、学校へ(ひとまず)要求し学校と議論するのが当たり前だという考え方は、「自分たちは学費を払っていて、学校は子どもたちを預かっているのだから、学校の側に子育ての責任がある」という理屈に拠っているのだそうだ。
以前、アメリカ人のベテラン教師と話をしたときに「子どもが学齢期に入ったら、子育てはその学校に任される。親はそこで子育ては手が離れたと考えるべきで、子どもに関与し続けるアジアの親は子離れができていないと私には見える。だから子どもも自立できないのではないか」という考えを言われたものである。
私はその意見には決して同意しないが、当時、なるほど日本のモンペアは子離れできないくせに、中途半端に文句だけいうからモンペアなのだなと思った。公立校で給食費を払わないだの、自分の子どもを優遇しろと迫るだの、なかなかの甘えっぷりである。いっそがっちり私立に入学させ、高い学費を払って、「この学費を払っているのだから、うちの子を立派に育てるように」と学校に完全に子どもを押し付けて、消費者マインドで文句を言うほうが、権利/義務のバランスは取れていてよほど理には叶っているというわけだ。
その理屈だったら、ヨーロッパ内でも高額と言われるそのインターナショナルスクールの学費を払う親が「うちの子に上級生のキスを見せるな。取り締まれ」という要求をしても、それはモンペアじゃない。ははぁ、と恐れ入るばかりである。
初老の校長は、いつもの柔和な笑顔を絶やさず、母たちの議論を紳士的にこう締めくくった。
「貴重なご意見、ありがとうございます。みなさんにも色々なご意見やお立場があると、私たちも理解しております。この学校には小さい生徒たちもおりますので、学校スタッフも子どもたちの下校時や放課後には注意して見回りをし、見つけ次第指導しております。これからも気をつけて参ります。ではみなさん、どうぞよい午後をお過ごし下さい」
母たちは議論したお陰でガス抜きされておとなしくなり、強制終了めいた言葉に素直に従って、めいめいに帰っていった。そしてその後も、上級生たちは思う存分に放課後の校庭の片隅で絡み合っていた。
子どもは、親が教えようとすることよりも、親が教えないことから学ぶという。そんなもんである。
![]() | 河崎環 コラムニスト。子育て系人気サイト運営・執筆後、教育・家族問題、父親の育児参加、世界の子育て文化から商品デザイン・書籍評論まで多彩な執筆を続けており、エッセイや子育て相談にも定評がある。現在は夫、15歳娘、6歳息子と共に欧州2カ国目、英国ロンドン在住。 |
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