子どもが生まれるとなるや、皆いそいそと購入するもの。……それはデジタルビデオカメラ。そして、一眼レフ。

そう、それまで押せば写るレベルのカメラ、ぶっちゃけ写メしか撮って来なかったような写真音痴のシロウトまでが買ってしまうのだ。一眼レフを。こぞって。うっかり。何故か。

そうして撮影された我が子の「ちょwww これキッズモデル超えてない? 可愛過ぎてヤバwww」的な「奇跡の一枚」を、ついつい貼付けてしまう。そう、年賀状に。

今まさに全国各地でそんな年賀状が作成され、1ヵ月ほど後には各家に届く。今年も師走目前である。
toruhito

■他人の子のベストショットをみて可愛すぎ!と悶えるとは思えない…


基本的に赤ちゃんから幼児にかけての人間は、その形状からして人の愛情を受けやすくできている。頭がでっかく目がでっかく、身体がちっちゃいイキモノを人は問答無用で「かわゆい」と認識しやすい(例えば、ピカチュウなど)。

でも普通の容姿を持つヨソのお子さんのベストショットを見て、漏れなく「ちょwww これキッズモデル超えてない? 可愛過ぎてヤバwww」と悶えるような他人は、そういないと言っていいだろう。

だから、そんな年賀状……干支は辰年でも何の脈絡もなくクマの着ぐるみを着たベビーがゴルゴ13ばりにニヒル笑いした写真がデデーンと一面に貼ってあるフルカラー年賀状を受け取った方が、「ま。親にとってはベストショットなのかも知れないけど……ネ」とかなんとか語尾を中途半端なその優しさで濁しつつ速攻ハガキフォルダーに挿すのは、いたって普通のリアクションだ。

また胸に手を当ててよーく思い出してみるまでもなく、多くのまだ子どもが生まれる前の親たちもまた、そんな年賀状をどこか(苦笑)とか(ry)ながら眺めていたはずなのである。なのにそんな人(=他人の子の写真に無関心)に限って、自分の子が生まれると絶対「子ども写真」を年賀状に貼る。絶対貼る。100%貼る!!!

何ゆえなのだろうか?!

■“我が子”の可愛さたるやラブリーワンコもニャンコもパンダも勝てない


「生まれてみて初めて思い知る“我が子”の可愛さ」というものは、実際のところ想像を超えている。半端ないものだ。それは自分自身にどこかしら似ているという自己愛と、異性愛(とりあえず配偶者の美醜は己の価値観に見合ったものであるという前提)が入り混じった「結果」がピチピチの赤ん坊として目前に存在しているわけであるからして、無理もないといえば無理もないのだろう。その姿は、ある意味「ベスト」。どんなラブリーワンコもニャンコもパンダもカピバラも勝てないレベルにある。

でも一応、人は当初は自制しようとするのだろう。「赤ん坊なんて可愛いと思うのは親だけだ」とかって客観性をもってとりあえず冷静に。なぜなら生まれたてホヤホヤの新生児というものは、ちょっと独特な形状をしているから、ひーひーの苦労をして産んだ当人(母親)ですら「何これギョッ」とすることもあるくらいなのだ。産んでない父親においてをや。


■生後直後から日に日に形状を変える赤ん坊に毎日感動


だいたい生後直後の写真を年賀状に貼る人はいない……まずいない。生まれたては皮膚表面も胎脂(バター的なもの)でぬめぬめしてるし、産道を通り抜ける時に螺旋状に頭の形が変形しているから顔もちょっとちびまる子ちゃんの永沢くんみたいになってたりするし(栗みたいで変)、基本赤いシワシワの猿だし、まあだいたい土偶だし。

痛くも痒くもないままに我が子と対面、「アナタの子よ」と言われ、しかし「かわいくない」と一瞬思ってしまい、うっすら罪悪感を持ってしまったオトーサン……ええ、貴方だけではありません(笑)たぶん。

でも日に日に赤ん坊は形状を変える……ほんとうに毎日変わるのだからすごい! そうして寝てるかオッパイ飲んでるかしかない状態の得体の知れない赤子が、毎日「パパお風呂」なんかしているうち、うにうに動きながら「ぷひ」なんて放屁したり、脂肪が増えてまあるく肥えて来て「んくんく」なんて口元が動いたりする……うちに。


LOVEずっきゅーーーん!!!


の瞬間が訪れる。父親にも。たぶん。

■そして親は“馬鹿”になり、写真つき年賀状を送る


そう、「我が子カワイイ」スイッチはある時とつぜん入る。そして親はいわゆる“馬鹿”となり、スマホで「うにうに」レベルの動画を撮って「すごくね?」とか社内で見せびらかしたり、一式揃えた一眼レフで我が子の姿を撮って撮って撮りまくる。ことになる(微笑)。

私たちは結構「隣の芝生は青い」感覚を持っているものだけれど、こと子どもの美醜に関してそのような比較と羨望嫉妬は起こりにくいのではないかと思う。赤ちゃん広場みたいなところでヨソの子の着ている服がどこのブランドか気にはなっても、「あの子の方がうちの子より可愛いから羨ましい」みたいな感情って言うのは不思議と発生しないものなのだ。そういうのって、ほんと謎だけど。

そして「もうこの馬鹿親が!とか誰に言われてもいい!ていうか言いたければ言え!誰がなんと言おうとうちの子はかわゆい!これで送る!」とキッパリ割り切り、子ども写真つき年賀状を送りまくる親と相成るわけなのだった。

■期間限定だから頼む! 見逃してくれ!


さて本稿で筆者は何が言いたいのだろうか。それは一言で片付けるなら、「子ども年賀状、貰った方は鬱陶しいかもしれないけど、頼む! 何年かでイイ! 見逃してくれよゥ!」である。

何年か……そう。“馬鹿”化した親も、あるときこれまた突然に目が覚める。カワイイ・スイッチは、いつか切れるのだ。それは、例えば成長した子の無邪気な笑顔の中に「見たくなかった」自分自身の(或いは配偶者の)表情を見てしまったとき……(なにこの歯茎)……みたいな……。ああ、皆まで言うまい。それは余りにも切な過ぎる瞬間だから。

子は育つ。そもそも子育てとは、ちっさくてかわゆいだけだった赤ちゃんを、最終的に「生意気でムカつく言動を繰り出す自分みたいに面倒くさいデカイ大人」に仕上げ、家から追い出す(自立させる)のを目的とした、業の深い仕事。

子の「かわゆい」ときは、文字通り期間限定なのである。そのことを無意識に知ってか知らずか、新米親たちは必死にシャッターを切りまくる。この、今の貴重な一瞬を、逃さないために。

■じつは楽しみで仕方がないのだが


さて、筆者自身は子どものいる友だちから、子ども写真つき年賀状が送られてくるのが毎年楽しみで仕方がない。「あのコドモこんなに大きくなったんだ(は…?もう大学生…だと?)」とか「うわ4人目生まれたんだ頑張ってるなー!(学費大変だな…)」とか「七五三だったのかー!(この写真スタジオどこ?よくね?)」とか「うわー!(ダンナさんの毛がやばい~)」とか、余計な感興をそそられる面もありつつ……とにかく息災が分かるのは良いことだ。こんなご時世だと、ほんと元気でいてくれるだけでもう嬉しい。

かく、相手の表に見えるものだけでなく、隠れた思いをも透かしながら眺める知己からの子ども写真つき年賀状というもの。読者諸賢におかれては来年また別の味わいを持って、受け取っていただければ幸いである。

藤原千秋藤原千秋
大手住宅メーカー営業職を経て2001年よりAllAboutガイド。おもに住宅、家事まわりを専門とするライター・アドバイザー。著・監修書に『「ゆる家事」のすすめ いつもの家事がどんどんラクになる!』(高橋書店)『二世帯住宅の考え方・作り方・暮らし方』(学研)等。8歳4歳0歳三女の母。