中国・上海の小学校の授業にiPadが導入される、という記事が先日紹介され、ネット上でかなり話題を呼んだ。

(以下、msn産経ニュースより引用)
上海の小学校で授業にiPad 「教科書」消える、中国初
(中略)4年生の英語、算数、自然の授業から教科書とノートをなくし、教師と児童は例題や問題、解答などをすべて「iPad」上で行う授業に切り替えた。35台の「iPad」を4年生240人で共同利用している。学校のデータベースに記録された児童の学習状況を、保護者がネット経由で家庭からチェックすることもできる。
さらに記事によると、今後は全科目・他学年での利用拡大を検討し、成果によっては中国各地の学校で普及する可能性がある、と報じている。
この記事に対してネット上の反応をみると、
  • 勢いのある所は違うな。グダグダ言ってる日本は…。
  • 「紙と鉛筆でこそ…」とかわめく老害のせいで置いてかれる。
  • やる前に躊躇って、結局後手に回るのが日本のデフォになりつつある。
  • 頭いいやつはiPadだろうが紙だろうが関係なく勝手に自分で効率良く勉強する。
  • パラパラマンガが描けないし、それで消えてしまう才能があるのでは。
  • 副作用もあるだろうけど、それは早めに手がけた方が早めに潰す事も出来る。導入ノウハウも早めに得られる。
  • 子どもたちの「教科書&ノート」がネットワークされることによる「何か」には期待できる。
といった声が上がっている。


筆者は昨年、2014年から全国の小学校でデジタル教科書の導入が決まっている、おとなり韓国の小学校授業を取材した。誤解されがちだが、デジタル教科書といっても、これまでの紙の教科書が電子書籍になってタップしながらぺらぺらめくる、という単純なものではない。

デジタル教科書とは、生徒一人ひとりに配られるiPadなどのタブレットPCと、そこに提供される文字、画像、音声、動画、データなどのデジタル教育コンテンツ、さらに先生が使う教室の前面に備えた「電子黒板」のような大型ディスプレー、そしてそれらをつなぐネットワークの総称である。

たとえば自然科学では、昆虫が卵→幼虫→さなぎ→成虫と変態するようすを一連の映像でよりわかりやすく解説できることはもちろん、授業内容に関連する不意な生徒からの質問にも、瞬時に検索して高い表現力をもって解説することだってできる。

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(写真左)韓国の小学校の授業風景。折り紙の工作をモニターを使いながらわかりやすく解説。 (写真右)プレゼンテーションを重視した中国の小学校の授業風景。

リアルな体験がベストなことは否定しないが、それを一斉に行うには時間・コストに限界がある。しかしこうしたリッチコンテンツを活用して、子どもたちが見たことや聞いたことのない体験を、映像や音声を通じて教室にいながら楽しめることは、子どもの学びの興味を広げ、意欲をかきたて、学校の授業をより楽しくしてくれることは間違いない。

デジタル教育を礼賛するものではないし、デジタルであろうが紙であろうが、しょせん教科書は学ぶためのツールにすぎない。ただ、社会や経済のグローバル化が進んでいるなか、少なくとも中国や韓国といった近隣諸国の教育事情を多分に意識しながら、取り入れるべきツールは取り入れる謙虚さも持ち合わせ、何より日本の子どもたちが将来彼らと対等に相まみえられる教育を施すことが重要だと考える。


深田洋介深田洋介
学研の編集者、AllAboutのWebエディターを経て、サイバーエージェントの新規事業コンテストでは子育て支援のネットサービスでグランプリを獲得、その後独立。現在は子育て・教育業界×出版・ネット媒体における深い知識と経験・人脈を駆使して活動中。2001年生まれの娘の父。