楽天やファーストリテイリング(ユニクロ)の実例に牽引された英語公用化の議論が一旦沈静化し、昨年は小学校の英語必修化もどうにか実現へと向かった。

一方で、元マイクロソフト社長の成毛眞氏による『日本人の9割に英語はいらない』という書籍も話題となり、日本人の英語学習熱は突沸したり冷や水を浴びせられたり、ジェットコースターのようだ。
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日本での英語導入に対する論調には局所的なクセがある

日本での一般的な英語導入に対する論調を見ると、一般メディアであるにせよ、濃度・粘度の高いネット界であるにせよ、あるいは論壇であるにせよ、局所的に眺めるとそれぞれ動きに若干のクセがある。

例えばビジネスピープルの間では相変わらず寸暇を惜しんだ「自分磨き」やキャリア武装手段としての英語力増強熱が高いし、ネット村ではTOEICの点数上げに執念を燃やす日本のビジネスマンや学生をこき下ろすとあっという間に共感が集まるといった具合だ。

論壇は心中複雑のようで、特に海外で研究経験のある論者には諸手を上げて賛成する向きもあれば、却って海外での自尊心を傷つけられた経験から(?)、ナショナリズムを刺激され、日本人の「固有性」が失われる懸念について手を替え品を替え論じる向きもある。

英米人すら気遣う日本人の英語習得

それにしたって日本人の英語はコンプレックスと切り離しては語れない。そのコンプレックスから英語習得に躍起になる人もいれば、背を向ける人もいる。

私は欧州での暮らしで、そんなこと一言も自分からは言っていないのに、「日本語は英語と文法的な語順が違うから、日本人の英語習得はとても努力が必要なんでしょう」と英米人に労われたことが何度かある。

日本人たちが世界のあらゆるところで一生懸命に「日本語は英語と違って特殊である、だからとってもタイヘンなのだ」と弁明してきて、もう一般化されちゃったんだなぁと苦笑いしたけれど、だからといって日本語や日本だけが特殊なわけでもなく、そんな凝り固まった偏愛国心を根拠に英語に背を向け、わざわざコミュニケーションのチャンネルを狭めるのはいい加減ダサい。

たまたまデフォルトとなった普遍語としての英語獲得に躊躇しない

なぜなら、他の国は新興国であろうが先進国であろうが、ツールとしての英語習得に躊躇しないからだ。韓国語も稀少、インド各地のローカル言語もしかり。欧州なんて大戦時代の列強が大きな顔をしてるけど、大航海時代に厚顔な植民地獲得に成功した英国、スペインとポルトガルを除き、仏独伊を母語とする話者数は日本語話者数と拮抗するか、むしろ少ない。
(例:日本語の母語話者1億2,500万人、独語1億人、仏語7,200万人+仏語圏5,200万人、伊語6,100万人 ……中央教育審議会初等中等教育分科会 教育課程部会 外国語専門部会 第13回議事録・配布資料より)

それぞれの国に(アメリカなんかよりはるかに長い)歴史と文化体系があり、みんなそれをわかった上で、この時代でたまたまデフォルトとなった普遍語としての英語獲得に躊躇しない。

「英語ひとつくらい文句言わずに喋れるようになって何が悪い」

それは、単純にツールは多い方が有利だからだ。母語が、英語と根を共有するヨーロッパ言語であろうが、共有しないアジア言語であろうが何であれ、この時代により有利であるためにこの時代の普遍語を勉強し、子どもたちにも英語を「当然のこととして」与える、単純なことである。もしこの時代の普遍語が英語でなければ、その言語を学ぶだけのことなのだ。

欧州大陸などは小さな国々がそれぞれに国境を接しているから、数ヵ国語喋れるマルチリンガルなんぞそこら中にいるし(英国は島国なので英語以外喋れない人も多くてダサいと笑われている)、バイリンガルだアイデンティティだの話どころじゃない。

よく見かける、多重言語話者はどっち付かずで単言語話者よりバカだと断じる言説は、モノリンガル島国の偏狭な傲慢である。ヨーロッパ言語は体系が似ているから習得しやすいんだ、だからマルチリンガルになれるんだ、日本人とは条件が違うよと言うのなら、なおのこと英語ひとつくらい文句言わずに喋れるようになって何が悪いんだか、全く意味が分からない。

ちなみに各国の過大な自己肯定感や自尊心や深い「偏愛国心」は、日本の比じゃない。日本人だけが母国を愛してるわけじゃない。

「私たちの子どもたちには英語力は『いる』」

『日本人の9割に英語はいらない』が“仮に”本当だとしても、残り1割には、いる。そして著者成毛氏の言うとおり、その1割はそりゃもうゴリゴリ励むべきだ。この本は、「そっか、オレ9割の側だから英語なんていらねーよな」と思うための本ではなくて、「英語が必要な(かつ使える)1割になるべし」と思うための本じゃないのか?

ちなみに、高齢化社会日本の15歳以下の人口比は13%(WHO, World Health Statistics 2010より)、今なお急坂を下るがごとく減少中だ。その人口比のアンバランスを考えれば、今の子ども世代が労働人口に組み込まれ、親世代がごっそりリタイアへと向かう時代に、彼らの年齢層の中で「英語がいる」人口が1割で済むわけがないのは自明だろう。「私たちの子どもたちには英語力は『いる』」のである。

英語がいるかいらないかの話は、もう乗り越えなきゃいけない。問題は、私たちの子どもたちに「どう英語力を与えるか」なのだ。初等英語教育の反対論者がよく口にする「英語が出来るだけのバカ」を続々育てないように。では、「どう英語力を与えるか」については、また別の機会に。

・関連書籍『日本人の9割に英語はいらない』


河崎環河崎環
コラムニスト。子育て系人気サイト運営・執筆後、教育・家族問題、父親の育児参加、世界の子育て文化から商品デザイン・書籍評論まで多彩な執筆を続けており、エッセイや子育て相談にも定評がある。現在は夫、15歳娘、6歳息子と共に欧州2カ国目、英国ロンドン在住。