「ちんちん」。生殖器であり排尿器官であり急所でありシンボル。身体的意味合いと社会的意味合いの両方を背負わされる宿命のぶらぶら。女性のおっぱいよりもずっと重い十字架を背負っているように思うのは、私が女だからだろうか。
男児を持った母親が真っ先に経験するカルチャーショックではなかろうか、ちんちん。
初めて息子のおむつを替えた時、テープを外したと同時に勢いよく飛び出すおしっこにしばし呆然となった。「うわぁドリフと一緒だ!」と。

豆つぶみたいにちっちゃいちんちんでも、刺激を受ければ硬くなる。おしっこを出したい時も同様に硬くなるので、ちんちんの強度で「(おむつを)替えるべきか、替えざるべきか」を占ったりしたものだ。強度の高くなったちんちんは「出るちん」と呼ばれ、おむつ替え時は最新の注意を払わねばならない。
-----
男児を持った母親が真っ先に経験するカルチャーショックではなかろうか、ちんちん。
初めて息子のおむつを替えた時、テープを外したと同時に勢いよく飛び出すおしっこにしばし呆然となった。「うわぁドリフと一緒だ!」と。

豆つぶみたいにちっちゃいちんちんでも、刺激を受ければ硬くなる。おしっこを出したい時も同様に硬くなるので、ちんちんの強度で「(おむつを)替えるべきか、替えざるべきか」を占ったりしたものだ。強度の高くなったちんちんは「出るちん」と呼ばれ、おむつ替え時は最新の注意を払わねばならない。
-----
さて、男児を持ち「ちんちん」という言葉を日常的に発することにも抵抗がなくなった頃、新たなちんちん問題が頭をもたげてきた。それまでの私は、まだちんちんの“ガワ”しかとらえていなかったのだ。ちんちんの本質的な部分、いわゆる「ムキムキ」である。
シモのゆるかった息子は、おむつが取れてからも少量の漏らしがなかなか治らなかった。遊びに夢中だとどうしてもその場を離れられず、結果ちょっぴり漏らす。ジーンズのまた部分が他よりも濃いインディコに染まった状態で、何事もなかったかのように過ごしている息子に、「オマエは……くしゃみした経産婦か!」と何度ツッこんだことだろう(※全国の経産婦さんメンゴです!RIKACO姐さんもしたって言ってます!)。まあいつかは治るだろうくらいの、軽い気持ちで看過していた。そして事件は起きた。
ある日、風呂に入れようと洋服を脱がすと……「これは!」。ちんちんの辺りが明らかに赤くカブレている。ちょっと漏らしがジーンズで蒸れて炎症を起こしている模様。
くすぐったがるが故、ちんちん洗いを本人に任せていたことを反省し、さっそくがっちり洗ってやろうと豆ちんに手を伸ばした。嫌がる息子をなだめすかしながら、ガワを丹念にウォッシュ。
さらに本懐である中身の洗浄に取り掛かった私の耳に、聞いたこともないような息子の悲鳴が轟いたのだ。「い、痛い!」。びっくらこいた私は思わず手を引っ込めた。そんな痛いのコレ?私虐待?息子トラウマ?……身動きは取れないまま、良からぬ妄想だけが頭の中を駆け巡る。ただただ、シャワーが流れる音と息子の泣き声だけが浴室にこだましていた。
-----
母による幼児への「ムキムキ」。何かと話題になっているようである。『週刊文春』(4月19日号)の記事(「THIS WEEK育児」)によれば、「10年ほど前まで、幼児を対象にした不必要な包茎手術が盛んに行われており」「無駄な手術をなくすためにと医師らによって“ムキムキ”が提唱され始めたのである」と。マジか。知らなかった。
「幼児の包茎手術」がなぜ「無駄」なのか。記事によると幼児は真性包茎であり、手術をしなくても放っておけば成長とともに仮性包茎になるとのこと。それでも「うちの子の将来が……」と心配して手術を申し込む親が後を絶たないのだそう。
しかしながら「ムキムキ」、わが子の悲鳴で証明済みなように相当痛そうだ。知り合いにリサーチしてみると「そりゃ痛いよー。俺は友だち何人かと人気の少ない川辺に行って、そこでムキながら川の水を掛け合うという苦行をしたよ。それが痛くすぐったいのなんのって……」と全く何の参考にもならない意見が返ってきた。
まぁダンスィたちはダンスィたちなりに、その共同体の中から答えを探ろうとするものらしい。女子たちの生理始まった始まらないに比べるとかなり原始的な方法だけども。すなわち「一緒に風呂に入ってバカにしたりバカにされたりする中で、痛みに耐えつつ自らムく」という思春期男子特有の通過儀礼である。
しかし、そのような“気づき”が近年少なくなりつつあると先述のムキムキ記事は危惧している。友だち同士ではその手の話題を避ける傾向にあるというのだ。これまたマジか。だって、思春期にシモの話以外にすることなんてとんと思い当らない。今日びの小中学生は株価の話でもするのか?それを先回りした親たちが「早いうちに」と手術なり苦しみのムキムキをする。こうして日本男児の草食化はますます進んでいく……と記事は締めくくっていた。
-----
思えばテレビでおっぱいを見かけることもほとんどなくなった。大人たちは「気まずい」ものをメディアから徹底的に追い出してしまったからだ。しかし、シモへの人間の根本的な興味は変わらない。TVが大人しくなるのと反比例するように、ネットは過激さを増していく。親たちはさらにフィルタリングをかけようと必死になる。こんないたちごっこが日々繰り返されている。
「ムキムキ」は思春期の気まずさの象徴なのかもしれない。だからこそ何も分からないうちに処理させたいという気持ち、何となく分からなくもない。しかし他人(っつっても親だけど)に施される「痛み」と、自らの決意で行う「痛み」、痛みに意味があるとするなら、断然後者の方が価値がある。だって結果が見えるんだもん。「気まずさ」から逃れるために、テレビからおっぱいを奪い、少年から「ムキムキ」を奪う。そんな権利が誰にあろうか!
ということで、うちではあれ以来「ムキムキ」はしていない。「痛みの意味が分かるまで」なんてオシャレな考えではなく、ただ単に面倒くさいし何よりコワイから。息子の体は息子の体。にゅるんと股から出た瞬間から、子どもは立派な「他者」だから。こうなりゃ思春期の気まずさを存分に体験してみようと思う。
シモのゆるかった息子は、おむつが取れてからも少量の漏らしがなかなか治らなかった。遊びに夢中だとどうしてもその場を離れられず、結果ちょっぴり漏らす。ジーンズのまた部分が他よりも濃いインディコに染まった状態で、何事もなかったかのように過ごしている息子に、「オマエは……くしゃみした経産婦か!」と何度ツッこんだことだろう(※全国の経産婦さんメンゴです!RIKACO姐さんもしたって言ってます!)。まあいつかは治るだろうくらいの、軽い気持ちで看過していた。そして事件は起きた。
ある日、風呂に入れようと洋服を脱がすと……「これは!」。ちんちんの辺りが明らかに赤くカブレている。ちょっと漏らしがジーンズで蒸れて炎症を起こしている模様。
くすぐったがるが故、ちんちん洗いを本人に任せていたことを反省し、さっそくがっちり洗ってやろうと豆ちんに手を伸ばした。嫌がる息子をなだめすかしながら、ガワを丹念にウォッシュ。
さらに本懐である中身の洗浄に取り掛かった私の耳に、聞いたこともないような息子の悲鳴が轟いたのだ。「い、痛い!」。びっくらこいた私は思わず手を引っ込めた。そんな痛いのコレ?私虐待?息子トラウマ?……身動きは取れないまま、良からぬ妄想だけが頭の中を駆け巡る。ただただ、シャワーが流れる音と息子の泣き声だけが浴室にこだましていた。
-----
母による幼児への「ムキムキ」。何かと話題になっているようである。『週刊文春』(4月19日号)の記事(「THIS WEEK育児」)によれば、「10年ほど前まで、幼児を対象にした不必要な包茎手術が盛んに行われており」「無駄な手術をなくすためにと医師らによって“ムキムキ”が提唱され始めたのである」と。マジか。知らなかった。
「幼児の包茎手術」がなぜ「無駄」なのか。記事によると幼児は真性包茎であり、手術をしなくても放っておけば成長とともに仮性包茎になるとのこと。それでも「うちの子の将来が……」と心配して手術を申し込む親が後を絶たないのだそう。
しかしながら「ムキムキ」、わが子の悲鳴で証明済みなように相当痛そうだ。知り合いにリサーチしてみると「そりゃ痛いよー。俺は友だち何人かと人気の少ない川辺に行って、そこでムキながら川の水を掛け合うという苦行をしたよ。それが痛くすぐったいのなんのって……」と全く何の参考にもならない意見が返ってきた。
まぁダンスィたちはダンスィたちなりに、その共同体の中から答えを探ろうとするものらしい。女子たちの生理始まった始まらないに比べるとかなり原始的な方法だけども。すなわち「一緒に風呂に入ってバカにしたりバカにされたりする中で、痛みに耐えつつ自らムく」という思春期男子特有の通過儀礼である。
しかし、そのような“気づき”が近年少なくなりつつあると先述のムキムキ記事は危惧している。友だち同士ではその手の話題を避ける傾向にあるというのだ。これまたマジか。だって、思春期にシモの話以外にすることなんてとんと思い当らない。今日びの小中学生は株価の話でもするのか?それを先回りした親たちが「早いうちに」と手術なり苦しみのムキムキをする。こうして日本男児の草食化はますます進んでいく……と記事は締めくくっていた。
-----
思えばテレビでおっぱいを見かけることもほとんどなくなった。大人たちは「気まずい」ものをメディアから徹底的に追い出してしまったからだ。しかし、シモへの人間の根本的な興味は変わらない。TVが大人しくなるのと反比例するように、ネットは過激さを増していく。親たちはさらにフィルタリングをかけようと必死になる。こんないたちごっこが日々繰り返されている。
「ムキムキ」は思春期の気まずさの象徴なのかもしれない。だからこそ何も分からないうちに処理させたいという気持ち、何となく分からなくもない。しかし他人(っつっても親だけど)に施される「痛み」と、自らの決意で行う「痛み」、痛みに意味があるとするなら、断然後者の方が価値がある。だって結果が見えるんだもん。「気まずさ」から逃れるために、テレビからおっぱいを奪い、少年から「ムキムキ」を奪う。そんな権利が誰にあろうか!
ということで、うちではあれ以来「ムキムキ」はしていない。「痛みの意味が分かるまで」なんてオシャレな考えではなく、ただ単に面倒くさいし何よりコワイから。息子の体は息子の体。にゅるんと股から出た瞬間から、子どもは立派な「他者」だから。こうなりゃ思春期の気まずさを存分に体験してみようと思う。
![]() | 西澤 千央(にしざわ ちひろ) フリーランスライター。一児(男児)の母であるが、実家が近いのをいいことに母親仕事は手抜き気味。「散歩の達人」(交通新聞社) 「QuickJapan」(太田出版)「サイゾーウーマン」などで執筆中。 |
---|