英国全土の私立小中高校と東南アジアのインターナショナルスクールを約50校も傘下に収め経営する、コグニータというユニークな投資会社がある。家族経営などの弱小な経営基盤で苦しくなった私立校を買収し、人気校へと刷新して生徒を集め、利益を出すというビジネスモデルだ。

投資先を選択し、保護者や生徒や地域環境に合わせて正しく刷新するためには、「ひと」が財産である。コグニータは単なる投資会社ではなく、現在3,500名にものぼる教育のプロを積極的に採用し、内部でも育成し、経営と教育の両面で「エクセレンス(洗練)」を身につけた人材を、校長・教師又はスタッフとして買収した学校へと送り込む。


傘下の学校は、コグニータから資本、人材、授業カリキュラムなど多面的な改革を受け、規律や校風、学業面で大きな前進を見せ、名門校の仲間入りや返り咲きを果たした学校も数多い。

英国の教育界で広く認知されるコグニータ社、その代表であり、同社設立以前は英国政府の教育監査委員長、Her Majesty's Chief Inspector of Educationとして、英国の教育に40年以上に渡り関わってきたサー・クリス・ウッドヘッド氏に、英国の私立・公立教育について話をうかがった。
(取材:河崎 環)
河崎: 英国の私立校といえば、伝統と名声の代名詞となる世界的な名門校など、華やかな反面、閉鎖的なイメージもあります。しかしコグニータは、あえてその私立校をいくつも買収、取得し、経営改革を行ってきたユニークな会社です。なぜ、あなたの関心は私立校教育にあったのですか? ウェブサイトで「国家の介入は教育の質やレベルを上げられない」と公教育に辛言を呈されておられる理由もお聞かせください。

ウッドヘッド氏: 私は1970年代から約25年間に渡り、英国政府で公立教育の水準を上げるべく、苦しい取り組みをしてきました。この国には2万4,000の学校があるというのに、それをたった一人の教育大臣が統括しているんです。一人の政治家の言動が、そのままこれらの学校の一つひとつの教室の実情に反映されるわけがない。政治と教育現場は乖離している。でもそんな状況が相変わらずずっと続いているんです。

もう一つの重要な問題点は、学校制度の改革の試みに逐一激しい抵抗を示す教職員組合です。教育がストップしてはかないませんから、教職員組合がストをちらつかせれば政治家は概ね妥協してしまう。その結果、公教育の支出が莫大な額へと膨らんでいるというのに、なんら有効な変化も改革もなく今に至るというわけです。

英国は、国際的な学力評価でも順位を下げ続けています。「国家が事態を改善する」というのは神話に過ぎない。代わりに、保護者にお題目ではない本当の選択肢があり、学校が他の業界と同じように「顧客」のために競争する、市場主導型のアプローチが必要だと考えたのです。


河崎: コグニータは会社設立以来8年間で約50もの私立校に投資、取得して来ました。日本ではこのたぐいの会社がこのような規模で学校という「聖域」に足を踏み入れ、利益を上げるなどという発想自体が受け入れられにくいように思います。英国内でもかなりタフな買収だったに違いないと思われるのですが、利益団体が学校という聖域に入って来ることに大きな抵抗や議論などはなかったのでしょうか。

ウッドヘッド氏: そもそも人間や組織というものは変化を好みません。保護者は自分の子どものために選んだ学校に関して、烈しく、頑固なまでに守勢に立つものなのです。ですから確かに、民間の利益団体が教育分野で事業を行うという考えに懐疑的な人がいます。実際何度かは、「利益団体である」我々コグニータが「非利益団体である」あなたの学校のオーナーになりましたと発表した後、保護者グループと会談して議論したこともありますよ!

しかし、純粋に教育の質を上げようという姿勢と、会社としての商業的成功は決して相反しないのですよとお話しすると、皆さん納得してくださるのです。なぜなら前者を達成することなしには、後者は決して実現できないからなんですよ。我々の事業の成果は、子どもたちの各種のテストや受験結果、教育監査機関の監査レポートに明確に表れています。

保護者はそれをよく見ていて、やがてすぐに、自分の子どもが受けている教育の質こそがすなわち我々のビジネスの中心なのだ、と理解してくれるようになります。


河崎: 日本では、民間の会社が提供する教育や保育に懐疑的な目を向ける人が多いようです。例えば保育民営化の議論などでも、保育が市場主義にさらされることによって金儲け主義になる、質が低下する、心がなくなる、などという根強い意見を耳にします。

「教育や保育の質を確保するためにお金を払う」ということに心理的抵抗が強い社会的土壌なのかもしれないとも思うのですが、例えば共働きの夫婦などにとっては、保育も教育も死活問題。

自分たちの子どもを預けるに際してできるだけ長時間、質の高い保育や教育を提供してくれる良いサービスを見つけ、そのためなら多少の経済的負担も受け入れるという層も厚いはずなのですが、それを「金で子育てを人に任せている」という見方をする人もいます。都市部の私立教育が、イメージ先行でやっかみ半分に語られるのも特徴的です。

ウッドヘッド氏: おっしゃる意味はよくわかります。ですが英国の親は、自分たちが子どもの面倒をみなくていいようにと私立教育を「買う」わけではありません。それとは逆に、人生のなかで子どもを何よりも大切に考えるからこそ私立校に通わせるのです。

コグニータが経営する学校の学費は決して安くはありません。保護者は学費を捻出するために大変な金銭的負担を負っています。親は子どもの人生に大きな関心を持ち、私立校が提供する延長保育やクラブ、学校敷地内でできる習い事その他のサービスを最大限に利用しながらも、可能な限り一分一秒すべてを子どもと過ごし、人生や暮らしの楽しみを分かち合おうとしているのです。

私立教育にお金を出すということは、子育ての放棄などではないのです。彼ら保護者の、子どもを思う深い気持ちの表れなのですよ。

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教育改革の合意形成の難しさ、教職員組合の抵抗、国際的な学力順位の低下など、英国と日本の教育問題はいくつもの共通点がある。

しかし日本に増して保守的な英国の教育界で、公教育改革に尽力し続けたクリス・ウッドヘッド卿が公教育界を去り、「市場主義が教育を底上げする」という方針のもとで目に見える教育的成功を収めていることに、私は現代社会のひとつの解を見る。

とはいえ、英国の私立校の授業料の高さは日本の私立校の比ではない。例えば東京の私立小学校の費用が給食や施設維持費などの諸費用込みで年額数十万円前後なら、ロンドンの私立小学校は150~200万円が相場である。長期休暇の多さ、長さを考えると一日当たりの費用は4~5倍にはなろう。

それでも、ロンドンの多くの中流家庭にとって私立校は決して珍しい選択ではないどころか、競争の激しい名門幼稚園などでは生まれると同時に申し込みをするのが当たり前とされる。公立校でも、評判のいい学校に入れるために学区の綿密な調査をして引っ越しをする。結果、学校には大きな格差が生まれ、それは明確に住区域や人種、親の年収とシンクロして、継続的な社会問題となっている。

ロンドンの、そして英国の教育熱は、日本よりも遥かに深刻な経済状態と社会格差、そして将来への不安感から来るものなのかもしれない。

近年、幼児教育の質の高さを国際的に評価された英国。それは英国社会が単なる学力だけでなく「ひと」を育てることを重視して、まずは幼児教育から真剣に取り組んだ成果である。ここから、日本は何を学べるだろうか。

Cognita Schools
http://www.cognitaschools.co.uk/


河崎環河崎環
コラムニスト。子育て系人気サイト運営・執筆後、教育・家族問題、父親の育児参加、世界の子育て文化から商品デザイン・書籍評論まで多彩な執筆を続けており、エッセイや子育て相談にも定評がある。現在は夫、15歳娘、6歳息子と共に欧州2カ国目、英国ロンドン在住。